旅行サイトに掲載されたチリ地震の教訓

iRyota25

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5月24日は1960年にチリ地震津波が日本に到達した日です。これまで記録された地震として最大のマグニチュード9.5の巨大地震が引き起こした大津波は、22時間半をかけて日本沿岸に到達しました。

1960年のチリ地震津波は現在の私たちにとってどんな意味をもっているのか、海外旅行サイトYAZIKITAの投稿を引用してお伝えします。

町の税収50年分の被害

これまでに世界で観測された地震の中で最も規模が大きかったのは、1960年に発生したチリ地震です。そのマグニチュードは9.5。マグニチュード7以上の前震が頻発した後に最大の地震が引き起こされるという、想像を絶する規模の巨大地震でした。

チリ地震というと「津波」を連想される方も多いでしょう。

1960年のチリ津波では、地震が発生したチリの沿岸部のみならず、太平洋を中心として海に面した世界の広い範囲に波及し、様々な場所で大きな被害を引き起こしました。日本でも142人もの死者行方不明者があったと記録されています。

大きくて広い太平洋を越えて、地球の裏側から津波が到達したのは地震から22時間半後、5月24日未明のことでした。津波は北海道から南西諸島まで、広く日本の太平洋岸に被害をもたらしました。志津川町(現在は南三陸町)は、当時のお金で50億円もの被害を蒙りました。町の年間税収が約1億円だった時代のことなのだそうです。

津波は地球の裏側からでも襲ってくる。その被害は、時としてたいへん大きなものになるということを、私たちは肝に銘じておかなければなりません。

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軽微だった被害の経験が仇に

東日本大震災の後、女川町で昔の地震について教えてもらう機会がありました。ご高齢の方からは、1960年のチリ地震の体験談を聞かせてもらいました。津波が引いている間に、道端に取り残されて跳ねている魚や、露出した海底のアワビを採って回ったという信じられない話があった一方、それでも津波にさらわれた方がいらしたという話を伺いました。同じ女川町でも少し場所が違うだけで、

「波が壁になって狭い入り江を走った」

と当時の恐怖に身を震わせて話してくださった方もいました。

1960年5月24日の未明、遠いチリから太平洋を越えて襲来した津波は、北海道から南西諸島まで日本の広い範囲に大きな被害をもたらしました。その経験を受け継いでいこうと、被災した多くの自治体で「チリ地震津波浸水高さ」を示す看板や、電柱などへの表示が行われました。二度と悲劇を繰り返したくないと、半世紀前の人たちは真剣に考えたのです。

しかし私たちは津波の悲劇を再び経験することになってしまいました。東日本大震災の前年に発生した2010年のチリ地震では、ほとんど避難行動がとられなかったばかりか、東京マラソンが予定通り開催されました(幸い日本に到達した津波はたいへん小規模なものでした)。震災2日前の2011年3月9日に東北地方で発生した地震でも、潮位変動程度の津波しか観測されませんでした。

しかし、そんな経験がかえって仇となってしまったのです。3月11日の激しい地震の揺れの後、「そうはいっても1960年のチリ津波より大きな津波など起きないだろう」と避難すらせずに犠牲になられた方が数多くいらしたというのです。

1960年のチリ地震津波そのものも非常に大きな災害でした。しかし、東日本大震災との関連を考えた時、私たちはもっと辛い現実に直面することになります。

自然災害の猛威は過去の経験だけで判断してはならないのです。「想定」という言葉ですら人間の思い上がりを示すものなのかもしれません。私たちはさらに将来、同じ悲劇を繰り返していく存在なのでしょうか。それとも……?

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