原発から約10キロ。今年の3月にようやく警戒区域が解除された富岡町には、
いまもなお震災の爪痕と、原発事故の影響が色濃く残る。
そんな富岡町に初めて入った。
人の姿をほとんど見かけることのない町の中に、色とりどりの花が咲き乱れていた。
富岡駅近くの住宅前に咲いていたバラ。
湧きあがるような新緑にかこまれて、ひときわ色鮮やかだった。
通りに面した家の庭先で、たくさんの花が咲いている。
小学校近くの民家の玄関先に咲いていたトケイソウ。
花びらと、おしべめしべの形が、本物の時計のよに見える。
トケイソウは南国の果物パッションフルーツの仲間だ。
パッションフルーツの「パッション」は情熱ではなくて、
「キリストの受難」の意味だとか。
人の姿をほとんど目にすることのない町で見かけた受難の花。
暗示的だった。
被災地では、花の色が鮮やかになるという話を、
以前から、さまざまな場所で耳にしてきた。
このバラの花の紅もまた。
マンホールの蓋には、桜の花のレリーフが施されている。
この桜は夜の森公園の桜並木のイメージだろう。
富岡の町を歩いていると、
「花の町」として行政ががんばっていただけではなく、町の人たちに
花を愛する人たちがたくさんいたことが感じられる。
それにしても、このマンホール、まるでみどりの冠を付けているようだ。
新興住宅街になるはずだった、造成済みの土地には、野の花が咲き乱れていた。
タンポポ、アカツメクサ、ハルジオン、そして名前を知らない花々。
海へ向かう道沿いにも、多くの花が咲いていた。
桜とならんで町の花であるツツジ。
海辺近くの宅地跡にはヘラオオバコ。
そのほかもろもろの花々。
土壌の塩分に負けることなく咲いている。
住宅跡地に残された基礎を囲うように、
ハマナスが枝を伸ばし、ピンク色の花を咲かせていた。
2013年6月下旬。富岡の町の花々は、見にきてほしいと呼んでいるようだった。
●TEXT+PHOTO:井上良太
最終更新:
ockn1006
「時が止まったような」と口で言うのは簡単ですが、こういった写真で見ると時間は動いているんだなと感じました。
パッションは「受難」っていう意味なんですね。
「受難」を受けてもしっかりと咲いていて、植物も少しずつ復興しているのかなと思うと、やっぱり「情熱」と解釈したいなぁと思います。