仙台空港の近くに個人が残した震災遺構

iRyota25

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仙台空港から「千年希望の丘」に向かう途中、半壊した1軒の家が見えてくる。震災から5年8カ月、津波で大きな被害を受けたこの辺りの住宅はほぼすべて解体撤去されている。そんな中に立つ1軒は、まるで荒れ地に残されたかのように見える。

建物の周囲を廻ってみると、建物の一階部分は津波によってほぼ完全に打ち抜かれ、二階は残された柱の上に乗っているだけ。空港側から見ると半壊に見えた建物が、実は全壊した家屋なのだと分かる。どうして、今もなおこんな状態の建物が残っているのだろう?

住宅の玄関があったであろう場所に設置されたパネルがその理由を教えてくれた。

鈴木英二さん宅

所在地:名取市下増田字屋敷161-2

震災当日、地元の病院にて診察中に地震に遭った鈴木さん。
急いで自宅へ戻る途中、橋や道路が陥没していた為、迂回しながら自宅へ戻りました。
その後、職場へ戻り散乱した家財などの片付けをしていたところ、駐車場から東へ約800m離れた松の木(約10m)を超えて津波が来るのが見えました。
急いで車に乗り、仙台空港へ避難した鈴木さん。
津波の約100m手前で空港の外階段を駆け上がり助かりました。
そのまま3日間仙台空港で避難しました。

現在は名取市にて自主再建しています。
鈴木さんは東日本大震災を後世に伝える為、この場所を震災遺構として残しています。

「鈴木英二さん宅」の説明パネル

パネルから海の方を望むとそこには残骸としか呼びようのないような松林。

反対側を見ると、鈴木さんの命を救った仙台空港。

命からがら津波を逃れ、その後自主再建した人が、被災した自宅を個人として震災遺構として残す。

鈴木英二さんという人に会ったことはないが、「東日本大震災を後世に伝える」という鈴木さんの思いの強さに強い感銘を受ける。鈴木さんが残すことを考えた背景にあった出来事や思いについて思いめぐらると、もっと深いところから感情が湧いてくる。それはほとんど畏敬の念に近いものだ。

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