気仙川には松日橋の他にも同様の木の流れ橋が数多くあったという。松日橋以外の橋で掛け替えが行われなくなったのはつい最近のことらしい。橋の掛け替えに参加した地元の人たちなしに松日橋は存続し得ない。
橋は毎年のように夏の豪雨で流され、秋に掛け直されてきたというから、見た目こそ極めて古風ながら松日橋は毎年新しい橋だと言えるかもしれない。しかし、毎年掛け替えられていたとしても、昔ながらの方法で掛けられ続ける松日橋は、やはり歴史のある古い橋に相違ない。
古めかしい木の橋ひとつにも、たくさんの人たちの関わりがある。たくさんの人たちの関わりがあるからこそ橋は守り伝えられてきた。この橋ばかりではない。ありきたりの風景や、当たり前のこととして見過ごされてしまいがちな出来事の中にも、きっと松日橋と同じように、伝統やしきたり、さらには人の思いによって伝えられてきたなものがたくさんある違いない。
撮影にビーサン履いてきたおかげで参加することができた松日橋の掛け替え。ほんのわずかながらでも結の作業に加えてもらったことで、橋に対する自分の感じ方が大きく変わった。まるっきり観光客気分で、「こんな橋があったんだ~」というノリだったものが、掛け替えを手伝わせてもらって身近なものに感じられるようになった。「本当に大丈夫なんだろうか」と手すりに手をかけて恐々渡っていたものが、まるで平地を歩くように平然と(掛け替えの途中から乗ったり降りたりしていたのだから当然だ)渡れるようになった。
見ることは大切だ。調べることも大切だ。でもそれ以上に貴重なことがある。
そんな気持ちの変化が撮る写真にも現れているように自分では感じるのだが、いかがだろうか?
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