高台の山を切り崩して宅地などの新しい町の基盤を造りつつ、切り出した土を津波被害にあった低地に運び出してかさ上げ工事を進める。10年かかる規模の工事を3年ほどに短縮することができた陸前高田の巨大ベルトコンベア。昨年その運行が終了して以来解体作業が進められてきたが、その最終段階として、気仙川を跨いで掛けられていた吊り橋の解体が進められている。22日には橋桁の撤去が完了し、タワーとケーブルだけが残された不思議な光景が広がっていた。
この橋の名は「希望のかけ橋」。
気仙川の対岸で切り出した山の土を、川の対岸に運び、津波浸水高さに匹敵するかさ上げ地を造成するために大活躍した橋。橋の名前は市内の小学生に募集して、2013年に命名されたものだ。
先日、橋の解体工事現場のガードマンさんがこんな風に話してくれた。
「巨大なベルトコンベアがあっという間になくなって、それはそれでいいことなんだろうけど、なんだか寂しい感じがしないでもないんだよね。橋の対岸では三陸道へのアクセス道路の工事も進んでいるみたいだが、住宅地の造成は再来年の完成予定。いろいろ進んではいるんだけど、人が暮らす町ということではまだまだだからね。この橋だけは残すって話もあったらしいよ。でも結局壊すことになった。まあ、寂しいような何とも言えない複雑な感じだよ」
復興のための仮の施設が解体されるということは、復興への動きが着実に進んでいることを意味する。頭ではそのことは分かるのだが、そう一筋縄で理解できるようなものではない感情をかき消すこともできない。
先日、仮設住宅でのワークショップに参加した時の会話を思い出した。
「この仮設もだんだん人が少なくなってきてね、今日のようなイベントをやる時にもなかなか人も集まらないしちょっと寂しい感じなんだよね」すると、
「あら、でも仮設の人たちが少なくなっていくのは、そのこと自体はよろこばしいことなんですけどね」と女性の支援員さんが話を引き取った。
たしかに、仮の住まいでの生活を余儀なくされる人が減っていくのはいいことだ。でも、この会話の数分前、別の支援員さんと話したこんな会話がのどに刺さったままだった。どこの仮設住宅でも入居者は減少している。それを受けて仮設住宅を統合する計画も進んでいる。入居が始まった災害公営住宅も増えてはいるけれど、仮設を引き払った人数には引き合わない。といって自主再建で家を建てて転居した人という人も決して多くはない。「う〜ん、詳しくは分からないけれど、転出した人も少なくないんだろうな」
住宅であれ橋であれ、仮りのものが減っていくということは、その分本設のものが増えていくということ。基本的には確かに喜ばしいことなのかもしれない。しかし、ただ手放しに喜べることなのか。
希望という名を与えられた橋の解体が日々進んでいくのを目にしていると、喜びだけではない思いがふくらんでいるのを感じてしまう。
かさ上げのため専用に造られたこの橋が姿を消すことが、新しい陸前高田の町づくりにつながるのはもちろん理解できてはいるのだが。
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