5年6カ月後の空にそびえる「奇跡の一本松」

iRyota25

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樹脂で固定されたその松はいつ見ても変わることはないはずなのに、一本松の表情は一日として同じことはない。

震災からもう5年6カ月。9月10日と11日、陸前高田の奇跡の一本松に行ってきた。

晴れているか曇っているか雪空か、風は強いか、ツバメが飛んでいるか、野に花が揺れているかどうか。一本松をとりまく光景は日々変化していくが、一本松の容貌をもっとも大きく変えるのは、この場所にやってくる「人」なのかもしれない。最近とくにそう思う。

2016.9.10

9月10日土曜日。朝9時にはすでに何組かの人々が一本松からの帰り道だった。杖をついている人がいる。介助の人に抱えられるようにしてゆっくりと松へ向かう人がすれ違う。早足で歩きながら、何度も立ち止まって写真を撮っている若者たちのグループもいる。そういえば先日は車いすに乗った人も見かけた。

一本松は樹脂で固定されたレプリカだ。それでもなぜ、人は一本松を目指すのだろうか。

一本松へのルートの途中、フェンスの向こうにカメラを向けて、何かを一所懸命に撮影している女性がいた。次の瞬間、フェンスの隙間から連れの男性が飛び出してくる。手にはある植物の花の部分を握っていた。

「ここのところが独特な感じなんだよね」

「何なのかしらね」

「他の所では見たことないから、ね」

そんな言葉が断片的に聞こえてくる。カップルが関心を寄せていたのはガマだった。

元から海抜が低いのに、地震で地盤沈下が進んだために一本松の周辺にはガマが生えている所が少なくない。一本松茶屋の周りの消えない水溜りにも生えている。ガマの穂を手にした2人は、植物を通して地震について学んでいたのかもしれない。

空には青空が広がるものの、厚い雲が点在している。風に乗って雲が移動していくのに合わせて、地上は夏みたいな日差しに輝いたり、季節が冬へ向かっているのを思わずにいられないようなモノトーンの空気に包まれたりする。

一本松のある東北はいま、季節の変わり目にある。夏と冬が劇的に入れ替わる時間のただ中にある。

5年6カ月目の空の下、一本松はそびえている。

そんな松を目指してたくさんの人が歩いて行く。松の根元にたどり着いた人たちは一様に松を見上げる。松を背景に写真を撮る。

汐見橋から松を見上げるように写真を撮っていた人たちのカメラに写された松はきっとこんなだっただろう。

松を見上げるということは、一本だけ残された松を見上げるということは、空を見上げることに他ならない。一本松は、ふだんの生活の中で空を見上げることの少なくなった私たちに、空を忘れないよう教えているのかもしれない。

空が希望を象徴しているのは言うまでもない。多くの人が青い空を愛するのは、そこに希望を見いだそうとするからだろう。しかし、同じ汐見橋から東側を見るとこんな光景が広がっている。手前には変わり果てた古川沼。しかしその岸辺だった所には震災前からの道路のガードレールが傾きながらも残っている。そのすぐ脇を工事用の大型ダンプがゆく。白い壁のように続く巨大な防潮堤の彼方には、真新しい復興住宅の姿も見える。この光景の中で5年半前から変わっていないのは、氷上山から右手のアンテナが立っている箱根山に連なる山並みだけかもしれない。

過去と未来、記憶と希望の間に挟まれた現在がここにある。空を見上げることを教えてくれる松のすぐ隣に。それでも、汐見橋から一本松の反対側、古川沼の景色の中にも希望を見いだすことはできる。

工事現場の荒れ地で背伸びしているネコジャラシの写真だって、センチメンタルな淋しさを掻き立てるだけじゃない。

ススキと一本松のツーショット写真に割って入ってきたトンボの影が愛おしい。この場所にいるだけでいのちのたいせつさや重さ、ありがたさが秋空の光に透かされるようにして体の中に入ってくる。

一本松への駐車場に戻ると、観光バスの前で一列に整列する人たちがいた。

バスの運転手さんに聞いてみると、岡山の倉敷からやってきた大学生の団体なのだとか。岡山から陸前高田までは大型バスで、そしてここから先は地元のバス会社のバスに分乗して被災地を巡るのだという。整列しているのは、「犠牲者を追悼するため海に向かって黙祷するらしいよ」とのこと。

震災から5年6カ月。記憶の風化が叫ばれる中、この日もたくさんの人たちが一本松を訪れていた。たしかに風化はあるだろう。それでも、この場所に来て、この場所の空気に包まれ、目を開き、耳を澄ませる時間に風化はない。もしかしたら風化ということすら幻想とか物語といった類いのものなのではないか。

2016.9.11

震災から5年6カ月目となる9月11日、一本松茶屋の駐車場から交差点への出口に設置されたパイロンに、これは何の木なのか草なのか、一本の芽生えを見つけた。

一本松茶屋の駐車場には、北東北唯一のクラシックカーツーリングイベント「ツール・ド・みちのく」の参加車両が何台か停車中。

きっとものすごく高価なクラッシックカーやスポーツカーなのだろう。愛車から降り立つ人々もファッション雑誌から切り取ったようなおしゃれな人たち。一本松を訪れた人たちは、時ならぬ高級外車の登場を遠巻きに見守るばかりだった。

昨日よりもさらに厚くなった雲の下、昨日よりもさらに多くの人たちが一本松を目指して歩いて行く。ちょうど5年半というこの日も、杖をついた人や車いすの人の姿があった。

前日の写真と同じに見えるだろうか?

見上げる人の立ち位置も、見上げる角度もたしかによく似ているかもしれない。

でも、本当に同じだろうか?

まだベビーカーなしではお出かけできないくらいのお子さん連れの家族も、語り部ガイドとともに汐見橋で記念撮影。お母さんのカメラの連写音がすごい。この場所だけで軽く20枚は撮影したみたいだ。

母よ、あなたはなぜ何十枚もの写真をこの場所で撮るのか?

ほんとうは聞いてみたかった。聞けば、人がなぜ松を目指すのか、なぜ自分が一本松に何度も来てしまうのか、その理由の手がかりくらい見つかったかもしれない。

一本松の前にたたずむ人。一本松を見上げる人。

ガイドさんの姿からは、いかに一生懸命に説明しているのかが伝わってくる。声が聞こえないくらい離れていても、どんな言葉で何を伝えようとしているのか分かるような気がしてくる。

しかし、ガイドさんが懸命に伝えようとするほど、伝わらなくなっていくものはないのか?

遠すぎてよく分からないが、説明を受ける人の表情の中に数パーセントくらい、陰が差しているのが見えるように感じるのは、私がひねくれているからだろうか。

まっすぐな熱意。純粋な哀悼。歪んだ思い。さまざまな思いを持つ人々を、この日も松は迎え入れる。何百人、何千人が訪れても、面倒くさがったりすることなく受け入れる。そして丁寧に、空を見るように教えてくれる。松の根元からつながる被災地の大地に目を向けるように伝えてくれる。

この場所はいのちについて思いを致さずにはいられない特別な場所。訪れる誰にとっても特別という、希有な場所。

ベビーカーの子ども連れは一本松からの帰り道。いのちに思いを致す土地から彼らは外の世界に帰っていく。

彼らが帰っていくのはどんな世界なんだろうか。いまや人の生活というものが存在しない一本松周辺だから、誰もがこの場所から別の世界に帰っていくのは当然なのだが、思わずにいられなかった。その問いが自分にも向けられているのは言うまでもない。

ひとはなぜ松を目指すのか。

なぜ松はひとびとを受け入れるのか。

樹脂で固められた松に命はない。だから変わることもない。それでも日を追うごとに一本松がどんどん大きくなっていくように感じる。

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