【熊本地震の風景】支援物資は足りているのか?

iRyota25

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2016年4月20日、益城町の物資集積基地にて
2016年4月20日、益城町の物資集積基地にて

[熊本大地震]熊本市など、支援物資受け入れを中断

この度は、多くの企業や団体、個人の皆様方に、様々な救援物資をいただき、誠にありがとうございます。

本市では、皆様方からいただきました救援物資を必要とされているところにお届けするため、全力を挙げているところでございます。

そのため、一旦、救援物資の受け入れを中断させていただくことといたしましたので、ご理解いただきますようお願いいたします。

地震に関する支援物資の受け入れ中断について / 熊本市ホームページ

4月23日(土曜日)、熊本市は支援物資の受け入れ中断を表明した。24日にかけて各メディアもその状況について報じている。ボランティア支援の移動中に聞いたNHKラジオの報道は、物資自体は足りている。個別の物品で不足しているものがあれば改めて要請するといった内容だった。

さかのぼって20日(水曜日)には、熊本市に隣接し、死者20名という甚大な被害を受けた益城町でも、支援物資送付要請のホームページの掲載内容が、受け入れ中断表明に差し替えられていた。

支援物資は今も、全国のみならず世界中から熊本市エリアを中心とした地域に届けられている。受け入れ中断という報道は、「物資はすでに十分だ」というメッセージのようにも聞こえる。被災した地域は復興に向けて着実に歩み始めたと。

しかし、本当にそうなのか。

先週、益城町を中心に歩き、またボランティアとして作業に関わった経緯から、被災地の現状を解説する。

4月20日の益城町役場前

熊本県上益城郡益城町の役場は、2度の震度7の地震によって立ち入りが困難なまでに破壊された。

益城町役場駐車場に野積みされた物資。被災した町民が受け取っていった(2016年4月20日)
益城町役場駐車場に野積みされた物資。被災した町民が受け取っていった(2016年4月20日)

4月20日、役場前の駐車場には支援物資が山のように積み上げれ、その脇には自衛隊の給水車と民間の給水タンクローリーが並んで駐められていた。

益城町役場駐車場の自衛隊炊事車両(2016年4月20日)
益城町役場駐車場の自衛隊炊事車両(2016年4月20日)

役場庁舎が破壊されたため、町の職員は方々の避難所などに派遣されて避難所運営の任務に当っている。その一方、町全体の運営に関わる幹部スタッフは、壊れた町庁舎のまわりのテントに分散して、庁舎前での物資配布や炊き出しの支援などに当られていた。

そんな中の1人が教えてくれた。

大地震の翌朝早く、「これを使って下さい」と赤ちゃん用の紙おむつやミルクを持参してくれる人がいた。地震から一夜明けたばかりだったので、ありがたいやらうれしいやら。とは言え、大地震がくるなど考えていなかったので、支援物資をどう扱えばいいのかわからない。それでも、届けてもらったそのすぐ後に、紙おむつを求めて役場までやってきた町民がいた。「ありますよ」と手渡すと、若いお母さんは「ありがとうございます。助かりました」と涙を流さんばかり。その表情を目にして、支援して下さった方へのありがみがこみ上げてきた。

役場の職員にはやるべき仕事がたくさんある。通常の業務の中でも防災は心に留めておくべき任務ではあるものの、最初に震度7が発生した時、そしてその夜が明けてからも「まさか!」という思いの方が強かった。それが、支援された紙おむつが支援を求める町民に実際に手渡しされて行ったことに勇気をもらい、自分たち職員も頑張らねばという気持ちになったのだという。

「いまどんな物資が求められているのですか?」と尋ねると、これからは衛生面が問題になるとのこと。具体的な品物として塩素系の漂白剤の商品名をあげてくれた。感染症予防のため、水に薄めて消毒用に使うのだという。もう1人の方がタブレットで送付先の住所を見せてくれようとしたら、

「あれ、受け入れ中止になってる」

「仕分けが追い付かないんだな」

益城町の物資集積所となっている倉庫の場所を教えてもらい、行ってみることにした。

物資集積所で働いていたのは被災した地元消防団

「けっこう大きな建物だからすぐに分かるよ」と教えてもらった倉庫は、レンゲの花が咲く田んぼが広がる中にあった。

入口に向かうとまさに大型トラックからの積み下ろし作業の真っ最中。飛び入りで手伝わせてもらう。

作業していたのは20人ほどの消防団の制服を着た若手たちと、高校生くらいの年頃の地元の人たち、そして役場の人が数人。トラックから仮置きのパレットまで、みんなでラインをつくって物資をリレーしていく。

このトラックで届けられたのは、下着メーカーの段ボール箱に入れられた下着類(男・女・こども・各サイズの新品とかB級品とかだったらしい)やティッシュなど、箱は大きめながら軽いもの中心。しかし、時々重たい荷物もまじる。「これ重いよ~」と声を掛けられて受け取るが、ずしっと腰に来る。表示のない箱に缶詰とか飲料水が入れられていたりもするわけだ。

途中参加にも関わらず、下ろし終えた時には汗があふれていた。「今のは軽い方だったんだよ」と教えられる。「1時間に1回とか回数が決まってるわけじゃなくて、トラックが来たら下ろす。来たら下ろすの繰り返し。時間が空いたら中身のを仕分けする」「ずっと夜中の2時頃までやってる。下ろしても下ろしてもキリがない」

そんな話をしているうちに、今度は自衛隊の3.5トントラックが2両やってくる。1台はさまざまな荷物が混載された「開けてみなければ分からない」荷物。もう1台は組み立て式の仮設トイレ。混載された段ボールはサイズも重さも中身もそれぞれ。ずしっときたり、小指で持てるんじゃないかと思えるほどの小さく軽い箱だったり、2人がかりで抱えなければならないくらい大きなものもあった。「ほんとに3.5トンなのか~」と声が上がる。10トン積みでも不思議でないくらいの大量の物資だった。「ほれほれ、声が出てないよ~」と声がかかる。「よっしゃ~」と応える。仮設トイレの方はとにかくデカくて重たかったが、消防団パワーで荷下ろし完了。

写真では空きスペースが目立つが、実際の倉庫の中は、次にトラックが着いたらどこに下ろそうかと、パズルみたいに頭を捻らなければならないほど。軽めのものは2メートルくらいの高さまで積み上げている。

台湾の仏教団体からの荷物も下ろした。毛布、懐中電灯など被災地で不可欠な物資だった。団体の人も5、6人やってきていて、「明日は町役場で1,000人分の炊き出しをさせてもらうんです」と言っていた。「遠くからありがとうございます。台湾の方には東北の時にもたいへんお世話になって。本当にありがとうございます」と握手しながらお礼を伝えると、「たいへんでしょうけど、がんばってください」と手を握り返しながら片言の日本語で励ましてくれた。目には涙が光っていた。

荷下ろしの仕事はハードだ。しかも連日夜中の2時まで働いてきた。家には帰らず、地震の後ずっと倉庫で寝泊まりしている。風呂にも入れない。「でもね、強くなりましたよ背中が。コンクリートの床で寝てるからね」と笑う。その一方、「あんな潰れ方したのに、よく自分が潰されなかったと不思議でならない」という言葉も。本来なら家の片付けもしなければならない。でも、町の人たちのためにはここでの仕事は欠かせない。だからやる。(でも、もしかしたら仲間たちと一緒に体を動かして過ごすことで不安を振り払おうという面もあるのかもしれない)

倉庫の隅の方に、荷物に入れられていたメッセージが貼りだされていた。

「こんな言葉があるから頑張れるんだよね」

消防団の若者が教えてくれた。その姿は誇らしげに胸を張ってようにも見えた。

物資は足りているのか?

この日から、荷下ろしなどは20時までに終了させることに決まっていたという。それでも作業は21時過ぎまでかかった。翌日にはボランティアセンターが立ち上がる。荷下ろしや仕分けはボランティアにお願いする予定だという。消防団員はもっと他の仕事にまわることになる。

立て続けにトラックがやってきたので荷下ろし作業ばかりで、仕分けをすることがなかったのだが、混載らしき段ボール箱をいくつか開けて見せてもらった。外箱にAmazonのロゴが印刷された、デスクトップPCくらいのサイズの箱の中には、ベビーフードの小瓶が8本。破損しないように二重三重にパッキングされていた。子供用品と書かれた箱の中からは、着古した子供服と使い込まれたおもちゃ(しかも100円均一ショップで売られているもの)とペットボトルの水。黄ばんだ下着や冬物の古着が入れられた箱もあった。

中にはメッセージにあったように、「おむつ、ミルク缶、新品未開封」のようなものもあるが、いずれにしろ箱を開けて中身を仕分けしなければならない。

届けられる物資は、全国からのあたたかい「気持ち」そのものだ。しかし、その仕分けは大変だ。大変なんて言葉では伝わらないくらい大変だ。

企業や団体などからまとまった形で届けられる物資ならたしかに仕分けの手間は少なくて済む。しかし、倉庫の中を見回せば、カップ麺やインスタントラーメンの箱が大変な数積み上げられている。

食料を届けてもらえることはもちろんありがたいことだ。

しかし、思い出さずにいられないこともある。

東北の仮設住宅にやってきた全国チェーンのスーパーの移動販売車の前にずらっと並べられたカップ麺を横目に、「見たくないのよね、あれ。見たくなくなるくらいあればかり食べていたから。ありがたいんだけどね、でも見たくないの」と話してくれたおばあさんの言葉。

毎日毎日菓子パンが届けられていたあの時以来、二度と口にしていないという話もあった。1カ月以上、届けられるご飯が唐揚げ弁当1種類だけという避難所もあった。

食べ物があることを感謝しなければならないことは分かっている。しかし、集積所に積み上げられたカップ麺や菓子パンを見上げると、この貴重な物資が届けられた先でどんな気持ちで受け取ってもらえるのだろうかと複雑な気持ちになってしまう。

 救援物資を送る時の「当たり前」
potaru.com

物資は届いているのか?

消防団の人たちにお礼を言って挨拶して、その日の寝床に向かって走っていた夜、とあるコンビニのトイレの貼り紙が気になった。

場所は熊本市東区。益城町との境界から200メートルほどの場所。このあたりは水が出る。しかし益城町はずっと断水が続いている。つまり水洗トイレが使えない。だからこのコンビニにトイレを利用しにやってくる人がたくさんいる。

余震も続いている。大きな揺れもある。とても屋内で寝ることなどできない。だから益城町では避難所に入らずに駐車場に駐めたクルマの車中で避難している人がたくさんいる。田んぼや畑の脇にクルマを駐めている人もいる。そして、コンビニの駐車場で車中避難している人もいる。

このコンビニの店員さんと店長さんは言った。

「トイレが使えるって大きいでしょ。だから、そのためにお店を開けているんですよ。商品はほとんどありませんからね」

店内の商品棚にはほとんど何も残されていなかった。冷蔵庫に飲料水のペットボトルが20本ほど。あとはお酒と文房具と化粧品関連くらい。

商売のためではなく、トイレを使ってもらうために店を開ける。その気持がありがたくてならない。

しかし、トイレのために店を開け続けようにも、トイレットペーパーが足りなくなってしまう。

集積所に行けばあることは分かっている。でも、集積所に出向いて行ってもらってくるとなるとハードルは高い。支援物資として送られてきたものをもらいに行くには、商店だからこそという問題もある。たとえ売るものがなく、地元の人たちのために開けているのだとしても。

物資は足りているのか?

答えは「あるい程度は」と、限定的なものでしかない。

物資は届いているのか?

答えは「必要な人のところに必要なものが届いているとは言いがたい」となる。

物資受け入れのため、被災地の人たちは懸命に働いている。それでも追っつかないというのが現実だ。さらに、受け入れた後に需要地に運ぶという大きな課題もクリアされていない。

最初の大きな地震から10日あまり。熊本の被災地は混乱の最中にある。東日本大震災の教訓が生かされていないという声も上がっている。

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