神戸市の新長田は阪神・淡路大震災でたいへんな被害を受けた町だ。震災から21年を迎えつつある冬の新長田の町を歩いた。
駅は綺麗だし駅前には人通りも多い。駅前ビルにもたくさんのテナントが入っている。ただその多くが全国展開しているチェーン店なのは気になるが。
「新長田の再開発は失敗だ」。そんな話を聞くことが多い。せっかく再開発ビルを作っても、空き店舗だらけだ。そんな記事もしばしば目にする。
しかし、駅前を歩いて回る限り、そんな悲愴な感じはしてこない。もちろん神戸の中心街・三宮の賑わいに比較することなどできないが、とくべつ寂れているわけではない。
徒歩3分の若松公園には「鉄人28号」が町を見守っているし、観光客に来てもらおうという町の「意志」のようなものも感じる。
震災前の新長田は、アーケード街が縦横に走る賑わいのある町だったという。建物の多くは木造で、町には小さな路地がたくさんあった。この地域の代表的な産業であるケミカルシューズの工場、商店、アパートなどが入り混じって立ち並ぶ人間の体温が伝わってくるような町。しかし震災では、区全体でみて6割近くの建物が倒壊した。
鉄人の背中が語るのは、そんな震災から立ち上がって復活するのだという意志だ。
若松公園から続く新長田一番街の景色はこんな感じ。
人通りもあるし、商店から聞こえてくる音楽のせいか、賑わいも感じる。
でも、歩いている人の数の割には、アーケード街が広すぎる気もしないでもない。一番街を突っ切って大正筋に入る。
一見、よくあるアーケード商店街のようだが、少し離れたところからは背の高いビル街のように見える。大正筋のアーケードは「アスタくにづか」という6棟の再開発ビルの間に設置されているのだ。アスタくにづかは低層階や地下は商業スペースで、上層階は住宅になっている。
大正筋は震災による火災で商店街の店舗の約9割が焼失したという。今ではそんな雰囲気はまるで感じられない。新しくて清潔な感じのする商店街だ。ただ、やはりシャッターが降ろされた店がやや目立つ。
しかし、大正筋に直行する六間道まで来たところで、空気が変わった気がした。駅から離れるにつれて人通りはだんだん少なくなっていたが、ここまで来てまったく雰囲気が別物になった。
この八百屋さんは、たまたまお休みということだろうと自分に言い聞かせるように思ってみる。
それにしてもシャッターが閉まった店ばかり。開いている店の方が珍しいくらいだ。
カメラマンさんが撮影しているのはお店ではない。鉄人28号の作者横山光輝のもうひとつの代表作「三国志」にちなんだ展示スペースだ。まちづくりを推進する団体が空き店舗を利用してオープンしているのだろう。
大規模開発したビルのスペースを使って大丈夫なのだろうか。賃料は誰が払っているのだろうか。新聞等で報道されているように、まちづくり会社が市から委託されたテナントを、タダ同然で賃貸しているというのは本当なのだろうか。(もともと新長田に住んでいた人たちには、当初は分譲か出て行くかしかなかったという)
ほとんどの店がシャッターをおろす中、ついにアーケードの街灯まで消えた。
人づてに聞いたり、記事で読んだりしたイヤな話を思い出してしまう。当時の貝原俊民兵庫県知事が、「震災のおかげでこれまでできなかった21世紀型の街をつくれる」と発言したこと。震災の翌月には行政の方でまちづくりプランがほぼ完成していたこと。
テナントを駐車場代わりしている店もある。
離れたところから見るとたしかに未来的なきれいな町並みにも思えるが、暮らしの場であるアーケード街の中に入るとこんな感じだ。テナントとして入居しても商売にならないから駐車スペースにしている、なんてことが21世紀都市だとは思えない。
行政が早く動き過ぎたという話を聞いた当時は、早い方がいいんじゃないかと感じたことを思い出した。余りにも動きが遅い東日本大震災の被災地で、どうして神戸のように早く復興が進まないのかと考えたことも思い出した。
しかし、実際の再開発の現場を目にして、これではどうにもならないと感じざるを得なかった。最開発計画が軒並み頓挫していく石巻のことも思った。
外見だけはきれいに復興したように見えても、衰退していくばかりの街。とある一日を歩いただけで判断することはできないが、この日、この街を歩きながら考えていたのは、再開発ということの困難だった。
暗い町なかで唯一の灯りといった感じのコンビニ。しかし、建物は東北でよく見かけるプレバブ造だった。レジのアルバイト店員(高校生くらいか)に聞いてみた。「建物が仮設っぽいんだけど、立ち退きの予定でもあるのかな?」。店員さんはちょっと驚いたような顔をした後、「そんなことはないはずですよ」と明るく否定した。
コンビニを出てすぐのマンホールの蓋には犬の糞が落ちていた。どうでもいいことなのかもしれないが、なぜか気になった。
震災前の新長田の雰囲気を残しているような、道幅の狭いアーケード。ほとんどのお店は閉まっていたが、街灯はついていた。むしろ、この通りの方がふだんは賑わっているのかもしれない。
開店していた食品店で話を聞いた。普段はもう少したくさん店は開いているとのこと。しかし、彼が強調したのは再開発のあり方に対する不満だ。
なにしろ行政の対応が早すぎた。震災の翌月頃にはもうプランは出来上がっていて、さあどうするって感じだった。こっちは被災した直後でまだ生活のあてもないし、途方にくれているという状況だったのに決定せざるを得なかった。その歪がどんどん溜まっていく。20年以上たっても解消されていない――。
「イヤな話」と思っていたことがその通りなのだと地元の人から教えてもらう格好になってしまった。賑わいを取り戻したように見える神戸の街だが、ここではまだ震災が続いているということなのか。
大正筋に戻るとちょっとした人だかりができていて、見ると「下町芸術祭」というのぼり旗が立っていた。スタッフの人に声をかけると、これからダンスのパフォーマンスがあるのだという。案内してもらってアスタくにづかの地下に下りて行くと、スーパーの食品売り場の前では、小学生くらいの子供たちによる販売体験イベントも行なわれていた。その一角にはたくさんの人が集まっていた。
案内してもらったダンスパフォーマンスの方も、スペースがいっぱいになるくらいの人だった。大学生だというそのスタッフの人に、神戸の復興がはかばかしくないことについて尋ねると、
「そうですか? 新長田は活気がある方ですよ」
そんな答えが返って来た。ここよりもっと大変な場所があるのかと愕然とした。
ダンスが終わり、アスタくにづかの地下からアーケード街に戻って思ったのは、大学生くらいの彼はたぶん震災を知らないということだ。実際に体験した人とそうでない人の間にはどうしてもギャップができてしまうのかもしれない。実際のところどうなんだろう。もっと話を聞いてみたい。
震災4年目までは毎年1月頃には神戸を訪ねていたが、その後足が遠のいていた。あの頃の記憶と、いま目にしている光景をつなぎ合わせるものを、今の自分は持ち合わせていない。ただ、新長田の町から軋むような小さな悲鳴が聞こえたことは間違いない。もっとたくさんの方に会って話を聞いてみるしかなさそうだ。
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