忘れられた水害。忘れた私自身のDisaster

iRyota25

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古い資料を探していて、こんな写真を見つけました。ここは大川、隅田川。高い橋の上からの光景です。

かつてはすっかり汚れていた隅田川ですが、江戸の頃から名物だった白魚が帰ってくるくらいに綺麗にしようという活動が進められました。かなり成果も出たそうです。だから高い堤の内側には、水に親しむための遊歩道が造られたりもしています。朝夕は、ジョギングや散歩をする人の姿をよく見かけたものです。

写真のデータを見ると、撮影したのは2002年の1月30日。その日ここで何があったのか、私はもう覚えていません。思い出すこともできません。ただ、川の堤防の内側、遊歩道に水が越水していたことは事実です。

堤防の内側の遊歩道の少しだけ奥まって、数センチだけ高くなったところに、段ボールで作られた住宅がありました。雨をよけるためにビニールシートは掛けられています。しかし足下からの水を防ぐものなどありません。写真は2002年1月30日。まさに真冬の寒い夜に撮影したものです。

このまま隅田川の水かさが増して行ったらどうなるのだろう。そう考えずにいられる人はいないでしょう。たぶん写真を撮影した人も、そう思っていたはずです。そう思っていたはずの人とは私です。そのことすら忘れてしまっていたのも私です。

カメラを新調したばかりの頃で、あちこち歩きながら写真を撮っていたのは覚えています。買ったばかりのカメラだから使い方がよく分からずに、ピンぼけばかりの写真が同じフォルダに残っていました。

一年で一番冷え込む季節。水がもっとも冷たく感じられる季節。だけど橋の上から見晴らすウォーターフロントは、ピンぼけ写真の中でもきらめいていました。

写真を撮ったこの場所は、隅田川に掛かる清洲橋という鉄製の橋の上。清洲橋という橋の名は、深川区清住町と日本橋区中洲町から一文字ずつをとってつけられたものなのだとか。下町でたくさんの悲劇を生んだ関東大震災の後、復興事業として隅田川を越えて掛けられたのがこの橋です。ヨーロッパの橋を模して造られたとされ「震災復興の華」とも呼ばれた橋なのだそうです。なのだそうです。なのだそうです。

震災では多くの人々が火災から逃れようと、隅田川にかかる橋に殺到し、身動きがとれなくなり、そのまま火災旋風によって何千何万もの命が奪われたといいます。隅田川の西岸、本所あたりの人たちは、川を声さえすれば猛烈な火災旋風から逃れられるのではないか。逆に川の東岸の人たちは、迫り来る火の手から逃れるためには川を越えるしかないと。そうして身動きすらとれない橋の上の人たちに地震後に発生した火焔が襲いかかったのです。荷車の荷物が燃え、着物が燃え、周囲の温度が高まるにつれ、いきなり髪の毛に発火したと思ったら全身に火が廻り、立ったまま焼死した人々。折り重なるように焼け崩れた人々。逃れようと川に飛び込む人々。飛び込む人々をも呑み込んで行く火焔。次々とたくさんの人が飛び込んで来るので川底に沈むしかなかった人々。水面に浮かびながら、半身ばかり黒こげになるまで焼かれた人々。

そんな凄惨を極めた震災の後に造られたのが清洲橋です。まるで橋とは思えないほど、たくさんの鋲が打たれて、見るからに屈強そうに見えるその姿は、二度と惨劇を繰り返すまいという決意の表れのようにも思えます。「震災復興の華」とも呼ばれた橋なればこそです。なればこそです。なればこそです?

しかし、その橋のすぐ下で、段ボールの住宅に暮らす人たちの命が危機に晒されていたのです。真冬に水に浸かってしまえば、それすなわち命を失うことに直結しかねないことは、東日本大震災で多くの人が知ったはずのこと。レスキュー隊の必死の救助で津波の泥流の中から助け出された人たちが、避難所となった小学校の体育館などの冷たい床の上でその夜、次の夜、さらに次の夜、幾人も幾人も亡くなられていったという話、誰が忘れられましょうか。

しかし、2002年の真冬のこの日、水が遊歩道にあふれようとしている状況を目にし、写真にまでおさめた人は、ただ写真を撮っただけで、何もしなかったのです。区役所に電話をかけるとか、交番のおまわりさんに知らせるとか、そんなことすらも。

そして、橋から見晴らす先にあった、きらめくようなウォーターフロントの景色を、きれいだなあと惚けたように眺めていたのです。

ただでさえ、石すら冷たい真冬の夜に、段ボールハウスで暮らしていた人たちが、せめてこの日だけでも辛い目に遭わずにいてくれたことを祈ります。

と、そう書いて、自分の欺瞞に打ちのめされる気がします。

写真に撮るという形でたしかに関わったにもかかわらず、そのことさえなかったことにしようとしている自分に。

真冬の冷たい水に浸され、「終わって」いたのは自分ではないか。

私はいま、きらきらきらめくウォーターフロントの灯りを遠くに眺めながら、無関心という言葉そのままに、あらゆる感覚を失って、冷たい水の中に自分がしずかに沈んでいくのを感じます。

無関心という冷たい水はすで自分の中を浸し尽くしていたのです。もはや、その冷たさすら感じることができないまでに。

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