陸前高田の夏祭り「うごく七夕」。祭りから時間がたっても、胸の中にお囃子の音が鳴り続け、天へとのびる笹の葉が目に浮かびます。あの太鼓、あの笛、あの叫び。
あ、ごめんなさい。胸がいっぱいで、なにをどうお話しすればいいのかわからない。せめて写真と動画を紹介したページのリンクだけでも、ここに集めておきましょう。
前夜祭の朝
8月6日朝、震災後に新たに建て替えられた大石の公民館(栃ヶ沢ベースのほぼお向かいです)の扉がすでに開いていました。中では祭組の斉藤さんや菅野さん、矢作さんたちがすでに準備にとりかかっていました。
何カ月も前から続けられてきた祭りの準備。山車の飾りをつくったり、子供たちを集めてお囃子の練習をしたり。以前なら、子ども会や地域の方が中心になって進めてきた祭りの準備。高校を卒業すると同級生の多くが盛岡や仙台や東京などへ出て行ってしまうけれど、夏の祭りのこの時にはみんなが集う特別な祭り、七夕です。帰って来るみんなのために、帰って来るみんなと一緒に楽しむために、そのことばかり思って進めてきた祭りの準備。でも震災から後は、斉藤さんたちの世代の数人の大人が中心になって、祭りの準備を進めてきました。この日に帰って来るみんなのために。震災で帰って来ることできなくなってしまったけれど、きっと帰ってきてくれるあの人、あの人、あの人たち、みんなのために。
前夜祭
公民館の隣にある七夕の山車の倉庫。この倉庫も胸の高さくらいまで水に浸かったそうです。倉庫の壁には津波の水の跡が残されています。山車も海水に浸かり、保存していた飾り付けも泥に染まり。大石公民館の隣の倉庫は、残された人たちが、大石の七夕を未来へつなげていくのだと立ち上がった出発点。津波に屈することなく続けていくことを決意した場所。「だって続けていかなければ繋がらない」
その倉庫の扉を開いて、大石の山車が姿を現す。飾り付けを追加して、提灯を掲げ、照明機器を取り付けて、発電機やスピーカーの調整をして、そうして山車の上に高く高く笹飾りを戴いて。夕空にそびえる山車から太鼓の音が響きます。笛の音が周囲の山や丘を震わせます。流された町に音と光が満ち溢れていきます。
よいやさぁ
せいやさぁ
よいよいよいよい
はっははっははっは
うごく七夕
祭り本番、山車はかつての町を進みます。陸前高田の町なかではかさ上げ工事が急ピッチで進められています。2階建ての建物の屋根くらいの高さがある山車の上に立っていても、「造成計画高さ14.1m」の表示は、それよりさらに高いところ。町ぜんたいが土で覆われていくのです。
今年の七夕はかろうじて、昔の道を進んでいくことができました。しかし、例年たくさんの町内から山車が集まっていた駅前通りはすでにかさ上げの土に埋められています。今年の七夕は駅前通の北側に並行する道を、祭りのために特別に開放してもらって行ったもの。正月に虎舞で大石を訪ねた時には、「今年はかさ上げ工事で七夕はできないかもしれない。でも大石はやるよ。できる場所でやる」と、祭組の人たちが話していたくらいです。
よいやさぁ
せいやさぁ
よいよいよいよい
はっは はっは
たくさんの山車が集まって、お囃子を競い合い、笹を振り合うことができてよかった。まるで目に見えない町の様子が見えてくるようでした。しかし、横を見ればそこにあるのは土の山。遠くに「コンビナート」と通称されるかさ上げ用の巨大ベルトコンビナートが見えます。
よいやさぁ
せいやさぁ
よいよいよいよい
はっは はっは
だけど、だからこそ、七夕を続けていくのです。
「だって続けていかなければ繋がらないからね」
あまりにシンプルに、あまりにさらっと言い切る斉藤さんの言葉が染みこんできます。町の景色、曳かれていく山車の揺れ、そして一打ごとに「念」を込めて打ち上げる太鼓の音。町の姿をよみがえらせていくような笛の音。この町、陸前高田の町を通り抜けていく風が鳴らしていく笹の音。
うごく七夕2015フィナーレへ
昼と夜とで七夕は、山車の飾り付けががらりと変わります。可愛らしい金魚のをあしらえていた大石の山車の七夕飾りも、光る星に模様替え。宵の七夕は一段と美しさを増していきます。
この七夕飾り、歴史的には陸前高田が発祥なのだとか。かつて伊達藩領だったこの地で始まった七夕飾りが仙台に伝わり、さらに全国に広まっていったのだそうです。
夜の七夕山車には、町ごとのオリジナルのメッセージも灯されます。川原の山車に掲げられているのは「一声入魂」。思いはどの祭組も同じです。
お囃子は町によって違っていて、山車がすれ違うときにはお互いに負けじと精魂を込めて太鼓と笛を打ち鳴らすのです。
大石の山車に掲げられたメッセージは、太鼓や笛と同じくらいに響きますよ。
うごく七夕昼の部は子供たちの囃子。夜の部は大人の祭り、のはずが、この宵の祭りでは前半は子供たちがお囃子を担当。折り返し点までの間、天まで届けと内鳴らし続けていました。圧巻だったのは、折り返し点が近づくにつれて、これでもか、まだまだだとさらに子供たちの囃子の音色が際立っていったこと。声が枯れるほどに叫ぶ声が、宵闇のあの町に吸い込まれていきます。
よいやさぁ
せいやさぁ
よいよいよいよい
はっは はっは
「コンビナート」と呼ばれる巨大ベルトコンベアは、すでに解体のスケジュールも決定したそうです。町はどんどん変わっていきます。来年のうごく七夕はきっと、造成されて、14メートルも高くなった新しい町を行くことになるのでしょう。
そして、変化していく町とともに、1年、また1年と年を経て、その年ごとに新しい飾り付けに彩られ、やがて子供囃しの担い手だった少年たちが、いつかは夜の祭りの主役になっていく。そうして陸前高田の魂は、必ず受け渡されていくのです。
この町の姿を目に焼き付けた人たちによって。
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