[東日本大震災]チリ地震のせいで…

iRyota25

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チリ地震津波 | 自然災害情報室
チリ地震津波 | 自然災害情報室

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東日本大震災で巨大津波に襲われる以前には、東北地方の各地に「チリ地震津波」の到達点や浸水高さを示す看板が数多く設置されていました。JR女川駅には駅舎前の階段部分に、津波の高さがペンキで塗り分けられていたそうです。

今日、チリ地震津波の危険を知らしていた看板を目にすることはありません。なぜなら、その全てが東日本大震災の巨大津波の被害を受けたからです。東日本大震災で発生した津波はチリ地震津波をはるかに凌駕するもので、しかも津波の性質も異なっていました。

チリ津波を経験した人で亡くなった人が多いんだ

塩釜における1960年チリ地震の被害
塩釜における1960年チリ地震の被害

commons.wikimedia.org

震災の後の女川町で聞いた話です。最初に聞いた時には意外でした。津波の怖さを知っているならそれこそ「てんでんこ」で避難して助かったのではないかと感じたからです。ところが話は逆さまでした。

「チリ津波は50年ちょっと前の津波だったから、経験者はけっこういるんだ。でも、チリ津波経験者はそれより大きな津波が来るなんて思っていないから、避難もせずにそのまま犠牲になった人が多いんだ」

女川町での津波はじわじわとゆっくり水位が上がっていくものだったそうです。駅の階段付近まで水位が上がると、しばらく満水状態が続き、そして今度は水が引いていく。引き波は深さ5mくらいの海底が露出するほどで、引き波と寄せ波は40~50分もの長い周期だったので、波が引いた町なかでピチピチ跳ねている魚を拾ったり、海底のアワビを取る人もあったとのこと。

それでも、とくに引き波の際には陸地に流れこんだ船や、浮き上がった家屋などが互いにひしめいて衝突し、湾の一番奥を中心に町が破壊されたそうです。波が引いた時に魚を拾うなどのどかなエピソードを紹介すると、まるで大した被害がなかったかのように思えてきますが、津波の様相や被害は場所によって大きく異なっていたそうです。

女川町と隣接する万石浦の湾の入り口付近では、「狭い瀬戸を津波が壁になって走った」のを目撃したと、恐ろしそうに当時の記憶をたどる人もいました。
(東日本大震災でたいへんな被害を受けた女川町の中心部ではチリ地震津波の被害が軽微で、東日本大震災では浸水程度の被害にとどまった万石浦で大きな津波が発生していたという話もまた印象的です)

志津川町(現・南三陸町)では、明治や昭和の三陸沖津波よりも、チリ地震津波による浸水域の方が広かったそうです。また、志津川町は町の税収の約50倍もの被害総額という想像を絶する被害を経験しています。約半世紀前に起こったチリ地震津波は、東北地方の人々にとって「かつて体験した最大の津波」であり、それ以上の被害が考えにくい過去の大災害だったのです。

チリ地震の功罪。経験を元に想定することの罪

宮古市の浄土ヶ浜に設置されている「チリ地震津波記念碑」(写真:奥野真人)
宮古市の浄土ヶ浜に設置されている「チリ地震津波記念碑」(写真:奥野真人)

各地に伝えられるチリ地震津波の記憶を辿って行くと、この津波を半世紀前に発生した歴史の中の出来事ととらえてはならないことがわかります。チリ地震津波の経験は、人々に津波に警戒することの大切さを伝えた一方、あたかもそれが最大級の被害であるかのような誤った印象を強く残した災害でした。人々の津波に対する姿勢を決定づけた津波だったということもできるかもしれません。

「あのチリ津波でも浸水しなかったから大丈夫」
「チリ津波の時は床が少し浸かったくらいだから、まあ2階に上がれば平気だろう」

そんな数多くの「だろう」が人々の命を奪いました。

チリ地震津波で甚大な被害を受けた志津川町は、チリ津波30周年を記念してチリ・イースター島のモアイ像を町の公園に設置しました。それは震災からの復活を象徴する像でした。その石像は東日本大震災の津波で流されてしまいました。(頭部だけは発見され、現在は中学校に展示されているそうです)

酷な言い方になりますが、悲劇を繰り返さないと誓った私たちは、東日本大震災で悲しみを繰り返すことになってしまったのです。

自然災害の猛威は過去の経験だけで判断してはならないのです。「想定」という言葉ですら人間の思い上がりを示すものなのかもしれません。私たちはさらに将来、同じ悲劇を繰り返していく存在なのでしょうか――。

チリ地震津波と東日本大震災。2つを一組にして考えると、私たちが自然に対してどのように向き合わなければならないのかが見えてくるように思います。

各地に伝えられているチリ津波の記憶をたどりながら、自然とどのように向かい合うべきなのか考えていきたいと思います。記事はこのページにもリンクしていく予定ですので、時々ご覧いただけたら幸いです。

 被災地が「未来に生きる」シンボル、モアイ像
potaru.com

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