【訃報】探検家・敷島悦朗さんが急逝されました

iRyota25

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ヒマラヤやアルプスはもとより、アフリカ、アマゾン、ギアナ高地、そして日本の沢など秘境を愛し、旅してきた登山家で探検家、そして著述家の敷島悦朗さんが3月13日午後、急逝されました。

敷島さんは1951年、熊本県の生まれ。年代からいってお分かりのとおり、世界や日本の注目される山域の初登頂やルート開拓はすでにやり遂げられ、バリエーションと呼ばれる新たなフロンティア開拓からも、さらに一歩遅れてやってきた世代でした。しかし自然のおもしろさを極めるんだというどん欲さという点で右に出る人がいない存在なのは、同時代を生きた多くの登山家・冒険家が認めるところ。

知り合った頃、敷島さんは沢登りに命をかけるほどに熱中していました。なぜなら、日本のように水の豊かな自然の中では、川は毎年のように表情のみならず、姿形まで変えていくから。

「いったん雪に覆われて、次の年に同じ沢を訪れると、前の年に辿ったルートなど跡形も無くなっていることがしょっちゅうだ。その上、台風だ、大増水だ、鉄砲水だ、なんだかんだで川は変化し続けている」

と、まるでオモチャを前にした子どものようにうれしそうな顔で話していたのを思い出します。敷島さんにとっては、自分の名前がつけられるようなルートを開拓することよりも、大きな大きな自然に相手にしてもらい、一緒に遊んでもらえるような人間であり続けることこそが無上の喜びだったのだと思えてなりません。

毎年夏になると、東京から手近な距離で、けっこうな迫力が楽しめる丹沢の小川谷廊下で、沢登りと称した水遊びツアーをやっていたのも、まさにそれだと思うのです。

アウトドア、ことに沢登りを含めて「辺境」が大好きだった敷島さんは、下界(山登りを愛する人々の言葉で、ふだんの日常生活が送られる都会とか平地部のこと)ではライターとして、カメラマンとして、そして編集者として活躍されました。山登りをする人たちの中には、山での性格と下界での性格がまったく異なっている人が少なくありません。大半がそうだといってもいいかもしれない。なぜなら、下界での生活は「我慢して頑張って、お金を貯めるためのもの」で、かかる苦労の後に山に行くというスタイルの人が大多数だからでしょう。

しかし、敷島さんは下界にあっても山にいるときとまったく変わらぬ人柄、そして考え方の人。裏表がまったくない正義の人でした。山での敷島さんを知らない人からは、しばしば野人のような人物だと思われてもいたようです。

20年ほど前、下界の仕事を一緒にした際に、山手線を新宿から品川まで走る間中、つり革にぶら下がりながらこんな話をしました。

「最近さ、山を汚すなみたいなことがよく言われるけど、オレは正直、うさんくさいんだよね。だってアフリカなんかで塔を作るシロアリとかいるけど、奴らがやってることって考えようによっては、奴ら以外の自然を改変していること、つまりは環境破壊しているわけだよね。人間は知恵を持って、ものを作ることを種族の生き様にしてきた。ものを作るということは、ゴミを出す。ゴミを環境中に棄てるってことだ。それが人間という生物のありようなんだったら、山でゴミを棄てるななんていうのはおかしいんじゃないか。それこそ、人間さまだけは別格なんだという奢った考えだと思うんだよね」

自称エコロジストだった当時の自分は、やはりつり革にぶら下がりながら反論を試みましたが、プリミティブな、本源的なところから立ち上がった野人の思想には歯が立ちませんでした。結局話が終わらなくて、山手線をもう一周して、渋谷で飲み屋に行ったんだっけ。

彼については、とある就職系雑誌で原子力関係の法人の若手社員を取材した際に、「ところで教えてほしいんだけど、組織の方針とかは抜きにして、あなた自身は自分の仕事のことどう思っているの? 社会的に正しいと信じるだけのものがあるの?」などと言って、出入り禁止を喰らったということが、業界内で武勇伝のように伝えられていたことがありました。でも、先の「山でゴミ」の話と同様、敷島さん自身の「根源から来る問い」を素直に投げかけただけだったのかもしれない。いや、彼自身、「オレさ、聞きたいと思ったら聞かずにいられないんだよね」と言っていたくらいだから、たぶん本当にストレートだったのでしょう。

山にあっても、下界にあっても、愛すべきやさしい野人であった敷島悦朗さん。あなたが亡くなられたというメールを目にしても、そこに書かれている文字が本当のこととは思えないでいます。

だから、ご冥福を祈りますとは言いません。あなたの素晴らしさに出会い、知ってしまった以上、敷島悦朗の仲間としてこれからも生きていきます。

敷島さん、これからどこか高いところ、地上よりずっと高いところに登っていくのだったら、くれぐれも忘れ物などないようにして下さいね。いつものようにピトンを掴んでも、フェイスクライミング(手足だけじゃ足りない時に、顔のフリクションまで使って登るという、敷島さんが命名したクライミング作法)してもOKですから落っこちないように気をつけて。そして空の高みから、ずっと下界を見続けてください。今はこれしか言えません。

シキさん、ありがとう。

敷島悦朗

■1951年 熊本県 熊本市 富合町出身
■主な山登り
国内では谷川、北岳、穂高、剣、南&中央プアルプスなどの岩や沢、全国の島の山や沢を登る。
国外ではネパールヒマラヤ・ダウラギリ5峰、南米ペルー、アマゾンやアフリカなど赤道直下の山を中心に登る。アマゾン源流・ギアナ高地のネブリナ山、中央アフリカ・ルエンゾリ峰、ケニア山、間宮海峡スキー横断、ペルーアンデス・アウサンガテ峰、ニューカレドニア・フンボルト山ほか、ニュージーランド北島ホーストレッキング、タスマニア、カナディアンロッキー、ヨーロッパアルプス・モンブランなど。

■登山関連所属
NPO法人日本トレッキング協会(常任理事)、アウトドアーズクラブ風来坊など

■その他
編集者&ライター&カメラマン&登山愛好家&辺境愛好家&ダイバー&登山インストラクター。
最近は体力の衰えに何かと口実をつけながらも、若いスタッフと張り合い、冷や汗をかきながらも空元気で陣頭指揮に立ちたがる。

オリソンテ登山学校 ◆ スタッフ ◆ 敷島悦朗 -プロフィール

●敷島悦朗さんの著書
・ とにかく、しつこくアマゾンネブリナ―ギアナ高地ひとり旅 (1992/9)
・ そしてみんな登った―不揃いの先生たちのスパンティーク峰 (1993/11)
・月の山、ゴリラの山―中央アフリカ・パチンコ登山 (1994/11)
・ 秘境ごくらく日記 (2002/12)
ほか多数

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