あの日から4年が経過し、直後に議論された日頃の備えについての意見交換や実践なども耳にする機会が少なくなってきた。いや、少ないというより、ほとんどないというほうが適切か。もちろん、防災の日が近かったり、1.17や3.11付近では話題になるけれども、日常的に接しているかというとそんなことはない。
静岡県民の防災意識って高いの?
静岡県民は防災意識が高いとよく言われるけれど、実際に住んでいる身からすると、ホントにそうなの?と思ってしまう。地域の訓練はそこそこ実施されているし、「東海地震は必ず来る、明日来ても不思議じゃない」と言われて育って来たけれど、いまひとつピンと来ていなかったのが正直なところだ。2011年3月11日までは。
いま思えば、上辺では防災・防災と言ってきたけれど、自分の身に置き換えてみることができていなかったんだろう。ダメな静岡県民の代表みたいだ。結婚して子どもが生まれてみて、初めてリアルに想像することができた気がする。
未だ進まぬ復興、子どもたちへの心のケア、原発問題など、丸4年が経過しようとしているけれど、まだまだ問題は山積していて、そのすべてについて同じ状況になり得る可能性があるということ。恥ずかしながら、この年齢になって初めて現実的な問題として考えることができてきた。
意識の変化
そうなると、例えば地域の防災訓練なんかでも、しっかりと防災に関する意識を持って参加できるようになることを知った。訓練での色々な体験は積極的に参加するようになったし、説明内容に疑問を持ったらすぐに質問もするようになった。
こういう変化に自分でも驚いているけれど、要はタイミングの問題で、自分と同じように何かをきっかけにして変われる人も多くいるはず。そして、常日頃から意識している人が多ければ多いほど、いざ事が起きた際には最善の対処をしていけるはず。
それにこの変化後っていうのが不思議なもので、自分の状況が変わったり新しい情報を仕入れると、それに応じて今までの情報にアップデートが掛かって、より精度が高くなる。自分の意識が変わる前は、それこそすべての事象に対してスルーしていたわけで、この変化は侮れない。
なるべく多くの人に変わってほしい
結局のところ、いくら地域で防災訓練をやろうが、行政からの指導があろうが、そこに住むひとりひとりの意識を底上げしていかないことには、有事の際に役に立たない。
言葉は悪いかもしれないが、3.11の経験を糧にして、具体的に災害を想像できる年齢になった今だからこそ、そしてだんだん人々の記憶が薄れていく今だからこそ、自分たちのような世代の人間が中心になって啓蒙していくときだと思う。
幸いにも、自分は色々な人に情報を伝達することができる可能性のある仕事に就いているし、これまた幸いにも同じ志を持った仲間たちと一緒に仕事をすることができている。やらない理由は何もない。いざ行かん。
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