正月休暇明けの会社に一通の年賀状が届いていた。いつもお世話になってばかりの神社の宮司さんからのものだった。
お世話になっています
二月末に災害公営住宅へ120世帯のみなさんが入居予定です
支所と公民館は28年3月完成です
宮司さんからの年賀状
印刷された文面に添えられたこんな言葉の下に、葉書からはみ出すくらいのスペースにさらにもっと強い筆跡の、カッコ囲みで書き足されていた文字があった。
災害公営住宅が建てられていく過程はずっと気になっていた。計画に関わった方の話も聞いた。ほんの時々の訪問だったけれど、この場所に来るたびに必ず工事の進捗を見つめてきた。お世話になった宮司さんだから甘えて言っていたわけではないが、いつもいつも繰り返して聞いていたのはこんなこと。
住宅ができたって、入居された人たちが買い回り出来るような場所もまだ未定だし、そもそもあの場所って…とか、日当りの問題にしたって…などなど。
宮司さんの年賀状はこう続いていた。
(町に人が戻れば大きな力となります)
宮司さんからの年賀状
ちょっとくらい知ってるからって、マイナスなことばかり並べ立てて心配ぶっている私の言葉を思い出したのに違いない。宮司さんは、葉書の下の方にはみ出すくらいのところにそう記してくれていた。
宮司さんのこの言葉をどんなふうに受け止めますか。
いまから半年くらい前、宮司さんの奥さんはこんなことを話してくれたことがある。
「いつまでも被災者って意識じゃなくて、この現実を受けいれて、ここから始める気持ちで、もう被災者って考えるのは止めようと思っているんです」
ここで、「うん、そうですね! 頑張って下さい! ボクたちも応援しますから」って言うのは簡単だと思う。
そうなのだけれども、言葉が出ない、言葉が続かない。どう答えていいのか分からなくなってしまう。
「被災地」とカギカッコで括られた土地では、復興計画とかの青写真はたくさん描かれているし、すでに走り始めてはいるけれど、震災前の生活が元のように戻るかどうかは計画の中には記されていない。人間が生きているあたたかみがある町の再生は、ほとんど90%以上が地元の人たち頼りだと思う。これはどこも一緒だ。
むちゃくちゃ強いんだと思う。宮司さんがいる地域も、あの場所も、あそこの土地も、立ち上がろうとしている人たちはむちゃくちゃ強い。これは間違いない。
時々その場所に行ってため息をついたりしているのとはまったく違うのだ。毎日毎日その光景を目にしながら、目を背けたいという気持ちと闘いながら、ずっと目のk前に据えて感じ続け、考え生き続けているのだ。
そんな人たちの前で僕らはどうしようもなく弱い存在でしかない。屁のつっかいにすらならぬ(下品で済みません)。でも、そんなこんな全部を引っくるめて、本当の友達になりたいと思う。それしかないのではないかと思う。
町に人が戻れば大きな力となります
宮司さんからの年賀状
宮司さん、ありがとうございます。だけど俺らは宮司さんの言葉に甘えちゃいかんと思う。でもヘンに突っ張って、報道の責務だとか何とか吠えてやっていくのも違うと思うのです。どうしたらいいんでしょう。ちょっと悩んだりもします。でも、宮司さんのご好意を受けとめ、親戚みたいな知り合いとしてつき合わせていただくことが一番大切なことなのかと思っています。仕事とかそういうことは抜きにして、ずっと。
甘えん坊でごめんなさい。
◆
福島の南から岩手の真ん中あたりまでしか自分は歩いてはいません。歩いていてもそこで暮らしてきた人たちの気持ちに触れましたなんて言えるようなところはないかもしません。でも、伝えたいと思ってきた。ライターですから。
その伝えたいという気持ちに拮抗するようにして、「それでいいの?」「本当にそんだけでいいの?」という声が聞こえてくるような気がし続けています。
宮司さんからいただいた年賀状の言葉が、垢まみれだった自分を清めてくれたように感じています。状況は違います。生きてきたスタンスも違うでしょう。それでも、遠くに見つめているものは、おそらくそんなに違っていないと思うのです。
宮司さん、ありがとうございます。震災のことも戦災のことも、頭の悪いなりに咀嚼して伝えていきたいと思っています。
末永くおつきあいいただけますように。よろしくお願いいたします。
最終更新: