タイトルに「日々」なんて書いてしまったが、NPO法人ロシナンテスの東北本部を訪ねたのは2回目。滞在時間を積算しても8時間に満たない。
タイトルに誤りあり、なのだ。
それでも自分にとってロシナンテスが日々なのは、今後も通い続けようと決めたから。いつづけたいと思うから。
夏の青空の下で農作業にいそしむ。噴き出す汗をぬぐう。おばあちゃんたちとシソジュースを飲みながらしゃべって笑う。事務所でもある古民家(ロッシーハウス)に帰って近くの畑でキュウリやトマトを収穫する。流しそうめんの準備をする。流しそうめんを始める。娘時代に返ったみたいにおしゃべりするおばあちゃんたちと流しそうめんを楽しむ。おばあちゃんたちを送り出す。片づける。納屋の軒先の日陰でしばし寛ぐ…。
ということで本日は、仮設住宅のおばあちゃんたちと農作業をして、お昼を一緒につくって食べるという活動。畑がある亘理いちごファームへ向かう車中で、ロシナンテスの大嶋一馬さんが話してくれたのは、現代医療の問題だった。
「昨日も来てくれていたおじいちゃん、覚えているでしょ。うちのスタッフに農業のことをいろいろ教えてくれてたけど、とにかくバイタリティにあふれる人なんですよ。体は小さいけどスコップとかガンガン使ってとにかく元気。それがですね、彼が週一回通っているデイケアの施設で会ったら、まるで別人でした。うちに来ている時の姿からは想像もできない老人そのものだったんです」
医療制度が人を老人にする。
本当に必要なのは予防医療。居場所や生きがいを作ること。
「自分たちには目の前の一歩のことしかできません。だからやっているのがこれ。仮設の人たちを集めて農作業をしてもらうという活動です。『おばあちゃんは何もしなくていいんですよ』といつも言われている人たちに、やることを提供させてもらっているんです」
現場に到着。スタッフが手際よく日よけのテントを立て、ベンチを設置し、おばあちゃんたちにシソジュースをふるまう。ちょっとしたお茶っこタイム。
作業開始前にはラジオ体操だ。畑のそばで輪になって、カセットデッキから流れる音楽に合わせて体操する。
80歳以上のおばあちゃんから、20歳代のインターンスタッフまで、60歳の年齢差があるのに、みんなで一緒にできるなんて、ラジオ体操は不思議だ。なんてことを考えながら手を振ったり体を回したりしていたら、だんだん大嶋さんの言葉が体のすみずみに浸透していく。お日様の下で体を動かす。みんなで一緒になにかをする。そんなシンプルなことの大切さ、みたいなもの。
農作業、今日のメニューはトマト畑とジャガイモ畑の草取りだった。
「いつも来てるの?」とひとりのおばあちゃんに尋ねると、
「うん、毎日来てる」
あとで大嶋さんに聞いてみたら、
「それは何かの勘違いでしょう」とのこと。
農業活動は月曜日から金曜日までの5日間、毎日開催。
参加者は全員で40人くらい。1日当たりでは7~8人。
参加者それぞれ曜日が決まっているから、
「彼女たちにとっては週1回の活動なんです。自分たちは毎日ですけどね」
膝や腰を痛めている人が多くて、クルマの乗り降りや歩くのは難儀そうなのだけど、
草取りは早い。
草を取るコツがあるみたいで、トマト畑の畝沿いに並んで抜いていると、
すぐに追い付かれてしまう。
草取りしながら、あるいはテントの下で休憩しながら、
通じない言葉までネタにして笑う。
「早く亘理言葉を覚えてもらわねばね」
ときどきぼそっと、
「うちもイチゴをやってたんだ。もっと海の方だったけどね」
という話が出たりする。そしてまた草を取る。
そんな時間。
おばあちゃんたちの草取りが早いから、予定していた作業にプラスアルファして、
それでも予定より早く農作業は終わった。
つづいてロッシーハウスに戻って流しそうめん。
りっぱな孟宗竹で作った樋をそうめんが流れていく。
「ほら、行ったよ」
ときどき、ミニトマトがころころ転がっていく。
そうめんですら箸では取りにくいのに、トマトを掴むのは至難だ。
あちこちで笑い声があがる。
流しそうめんというものが、座る席がどちらサイドかで、
難易度が3倍くらい上がるということを知った。
自分の左側から流れてくる側は、掬いとりやすい(右利きの場合)。
でも反対サイドでは、手首を返した状態でそうめんを引っかけて、
そのまま掬い上げないと、そうめんは川下へ流れてしまう。
「ほら、押さえててあげるから取れ」
返し箸でそうめんを堰き止めて、
若者たちがそうめんを食べやすいようにしてくれたりもする。
(取りにくいサイドにはスタッフたちが座っていたから)
ちょっとした瞬間に、ちいさなよろこびがある。
いきなり友達になったり、
いきなり孫みたいに可愛がってもらえたりなんてことじゃなく、
野辺に咲く小さな花を見つけるような経験。
そんな経験が積み重なっていく時間。
あっという間におばあちゃんたちが帰っていく時間になる。
またねと手を振ってワンボックスが仮設住宅に帰っていく。
おばあちゃんたちを見送りながら、
もうひとつ、大嶋さんの話を思い出した。
「自分は普通の世の中では適応できなかった人間だと思っています。代表の川原は世の中に納まりきれずに医者としてのキャリアを自らドロップアウトした人間です。そんな自分たちが行動の指針にしているのは、まっとうであること」
世の中の当たり前じゃなくても、
それがまっとうなことであるならば万難を排してでも「やる」。
「たとえばね、高校の先輩とかが訪ねてきてこっそりお金を渡してくれたりすることもあるんです。誰も見てないわけだから、自分のポケットに入れてもいいかもしれない。昔ならそうしたかもしれない。でもいまは、なんででしょうかね。お金もろうたよ、とみんなに渡す。そんな話を川原にしたら、『そこなんよ。そんな時に自分が試されるんよ!』と彼も言うてました」
まっとうであることは、最初は試練です。ひとつひとつに打ち勝つための努力が必要だけど、少しずつそれが当たり前になっていく──。大嶋さんはそうも言った。
片づけが終わって、納屋の庇の下でくつろいでいると、時おり風が吹きわたっていく。日差しは強いけれど秋を感じる風だ。ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声につつまれた納屋の軒下で、軍手をいっぱいぶら下げた洗濯物干しが風に揺れる。
ロシナンテスな日々がここにある。
※ロシナンテは「ドン・キホーテ」の主人公ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの乗る馬の名前です。
●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)
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