紅葉の美しい中禅寺湖に、水の中に住まう魚たちを思う

iRyota25

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言葉が飛び込んできて目に突き刺さることがある。この言葉もそうだった。

皆さんうんざりでしょうし、こっちもうんざり。そろそろこんなまとめもやめたいがセシウムが消えません。

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

この言葉は玄人好みの釣りと自然の雑誌や書籍の出版社、フライの雑誌社のブログの一節。あの日を境に東日本の広い範囲で川や湖の魚たちが汚染されてしまったことを憂いつつ、それでも各地で獲られた淡水魚の放射線量についてまとめページを作ってこられたその最新版、8月29日号の冒頭近くの一節だ。

釣りが、そして自然が大好きで、どうにも体の調子が悪くて病院に行ったら「釣りに行きたくて仕方がない病でしょう」なんて診断をもらってしまった、みたいな感じのエピソードを本当かジョークか分からないように書き綴るような方の文章だ。これはもう、いくらちゃんちゃら釣りバカの自分の胸にも突き刺さらずにはすまされなかった。

東日本の広い範囲の淡水域がどんなことになっているのか、このブログの言葉をいくつか引用することでお伝えしたいと思うのだけれど、その前にひとつ。ワカサギやマス類の釣りのメッカとして知られる日光中禅寺湖がどんな状況なのか少しだけ。

【厳守事項】

◎中禅寺湖の魚類は放射性物質基準値を上回るため、栃木県からの要請を受けて、魚類(ワカサギを除く)の持ち出しを固く禁止します。

◎上記事項により、遊魚においては、毛ばり釣及びルアー釣以外の漁法を用いてはならない。釣針は、カエシの無い釣針以外のものを用いてはならない。

中禅寺湖漁業協同組合 規約とマナー

原文はほぼ全文赤文字である。遊漁券を発行する中禅寺湖行業協同組合が、「持ち出しを固く禁止」「カエシのない釣針」というのは、遊漁は認めるがキャッチアンドリリースしかダメだと念を押しているのである。ホームページを見て行くとさらにショッキングな言葉もあった。

「条件付きで剥製の製作も可能」

食べるのはもちろん、釣った魚を持ち帰るのもまかりならぬ、ということでは、いかにマス釣りのメッカの中禅寺湖とはいえ、おそらく釣り人の数が激減したのだろう。セシウムが高い値が出るから食べるのは絶対ダメだけど、釣れた大物の剥製ならば条件付きで可能です。とすることで、少しでもアングラーたちに戻ってきてほしかったということだろうか。

そんな中禅寺湖で、今年度の「キャッチ&リリース解禁」(基本は大物狙い)は9月19日で終了した。その翌日、9月20日からは「ワカサギ釣り」がスタートした。

モニタリング検査結果が、ワカサギに於いては国の基準値を下回ったため予定通り9月20日より解禁が実施されます。

中禅寺湖漁業協同組合

漁協の案内にはこんな言葉が繰り返し表記されている。

「※放射性物質モニタリング調査において検査値が、国の基準値100Bq/Kgを上回った場合には、禁漁となりますので予め御了承頂きます。 」

 中禅寺湖漁業協同組合
www.chuzenjiko.or.jp  

うーん、なんというか複雑だ。

しかし、残念ながら、これが現状なのだ。

残念とか遺憾とか、そんな言葉では言い尽くせぬ悔しさとか腹立たしさとか、それでもお客さんには戻ってほしいとか、アンビバレントな思いが積み重なっていく。そんな苦しさを、フライの雑誌社のブログは代弁している。

釣り人は食べない魚は殺さないが……

「測定した場所のヤマメとイワナだけが放射能に汚染されているとは考えられない。周辺の渓流や湖、水、草木、昆虫、環境のすべてが、すでにまんべんなく原発の放射能に汚染されていると考えた方がいい。釣り人は美しいヤマメ・イワナを釣りたいだけだ。しかし原発がそれを奪った。」と、2011年5月28日にぼくは書いた。(2013/02/21)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

2011年6月6日に福島県内阿武隈川でのヤマメ釣りが事実上禁止された。「原発のせいで釣りができない。そのことだけでも釣り人が〝原発なんかいらない〟と言う理由になる。まともな釣りのできない人生なんて生きる価値がない。釣りのじゃまをする電気ならいらない。」と、2011年6月7日にぼくは書いた。(2013/02/21)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

遊びの釣り人なんて、それで生計を立てているわけではないのだしという意見もきっとあるだろう。しかし釣り人だからこそ感じ取れる痛みがあるということが、このブログを通して伝わってくる。語弊はあるかもしれないが、それは遊びだからこそ分かるナチュラリストとしての悲しみだ。

ものすごくおおざっぱな感覚だが、今年自分が釣りに行く可能性のある釣り場で、ヤマメ・イワナなら30ベクレル/kg、ウグイ・フナ・モツゴなら50ベクレル/kgくらいまでは普通に出るんだろうなと覚悟している。魚食性マス類、ブラックバス類は測られていないが、もっとずっと高いはずだ。(2013/3/9)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

ぜひとも本文を読んでほしいのだが、このブログのページには各地で獲られた淡水魚の測定データとそれについてのコメントが延々と並べられている。取り上げられているのは中禅寺湖ばかりではない。雑誌社がある八王子の浅川も、山梨の川も、埼玉や群馬、栃木、茨城の川や湖も、もちろん福島、さらに宮城、岩手の川で獲れた魚についてもコメントともに数値が紹介されている。

岩手県陸前高田市気仙川のウグイから110ベクレル/kg。2010年に陸前高田へ泊まったとき、地元の方にウグイの丸煮をいただいた。心の底からじんわり染みるような美味しさだった。(2013/02/04)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

陸前高田から気仙川に沿って、住田町や遠野方面に遡って行く途中、横田という集落に道の駅ならぬ川の駅と名付けられた施設がある。川の駅と言いつつも地元の野菜なんかが並んでいる。ふらっと立ち寄ったよそ者にも温かい言葉をかけてくれるようないい場所だ。建物のすぐそばに気仙川の清流が流れる。大きな岩がごろごろする河床を蒼い水がしぶきを立てて流れて行く。昔から鮎やウグイの釣りが盛んだったところらしい。見た目にはいまも変わらず美しい、あの気仙川の渓谷美を思い出して泣きそうになった。

東京都も淡水魚の放射線量測定をしている。しかし、ある時期以降、検体はなぜか天然ウナギばかりとなる。

東京都はウナギばかり測っている。ウナギの全頭検査やってるつもりか。猪瀬閣下はよほどウナギがお好きなのだろう。放射能測定でウナギが絶滅しそう。(2013/10/29)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

釣りを通して自然とつながることが大好きだったという人が、原発事故によって川での遊びを奪われた。このブログに綴られているのは、その痛みに他ならない。

日付は前後するが、ウナギについて記された次の言葉はさらに鮮烈だ。

東京都ウナギはまた18尾追加で、汚染測定のために殺されたウナギは149尾に。釣り人は食べない魚は殺さないが、放射能汚染は無駄に殺す。
(2013/09/09)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

釣り糸の先に感じられる魚信は、純粋な自然の贈与

あまりにも繊細な渓流釣りは自分には不向きだったのでほぼ諦めていたが、渓流釣りと似たようなステージである沢登りは大好きで、あちこちの沢を歩いたことがある。沢登りというのは、基本的に尾根沿いに作られていることが多い人工的な登山道ではなく、沢沿いを登って行く登山スタイル。浅瀬をバシャバシャ進む。深い淵を激流に逆らって泳ぐ。高い滝を登る、高巻きする。暑い夏の季節だったら、ハダカで滝壺を泳いだり、つるつるの天然の滑り台でウォータースライダーを楽しんだりもする。そして誰かに決められたキャンプサイトではない天然のとある場所に動物的嗅覚で幕営地を決定するや、自分たちのテントをはったり、露台のベッドを設えたりする。沢登りの本質はとにかく野蛮な山登りなのだ。

そんな下品な山登りなのだけれど、メンバーにひとり渓流釣り師が加わると様相が一変する。バシャバシャ遊びながら登って行くただ中で、とつぜん先達たる釣り師が合図する。「シーッ、ここからはオレが先頭だ。ついてきてもいいが、絶対に音を立てるなよ」

山登りパーティーに緊張がよぎる。渓流釣りでは自然との一体化こそが釣りの技の中核をなしているのだ。その場で待つ者もいる。叱られながらも、後から登って行く者もいる。そして30分もしないうちに釣り師の先覚者が、ネマガリタケの笹にエラを通した人数分のイワナを釣って持って帰ってくるのである。

山の食料なんてものは乾物やらレトルトやらが中心で味気ないのがお決まりなのだが、そんな日にはスペシャルなディナーとなる。秋の頃なら即席のイクラにありつけることもしばしばだ。

中沢新一は「純粋な自然の贈与」の中で日本の捕鯨についての一文の中で、次のように書いている。

しかも森ならぬ深い水中に潜む動物を追跡しながらおこなわれるときには、狩猟の本質はさらに深々として神秘的な厚みをもつようになるのではないだろうか。鯨が人間の駆使する技術と戦略とによって、海の底からひきだされたとき、そこには境界面を横切ってあらわれた巨大な富が出現するのだ。

中沢新一「純粋な自然の贈与」2009年11月 講談社・1996年6月せりか書房

巨体を誇る鯨に対する漁と、竹製の釣り竿でさえやり取りを行う川魚の漁とでは比較にはならないかもしれない。しかし本質は同じだ。漁とは、人間にとって別世界である水中から、見えない相手を捕えてこちらの世界に引き上げること。元々はこちら側になかった富(というと川魚の場合は話が大きすぎるが、明確には存在しなかった価値という点では同一だ)を自分達の側のものにするということだ。知恵や工夫や駆け引きがあって勝敗が決するという点で、巨大な鯨との激闘も、繊細な釣り竿で渡り合う川の釣りも同じ。相手と自分が糸でつながった瞬間に感じるピピピッという振動を釣り師達は魚信と呼ぶ。ベテラン釣り師ならずとも、保育園の子供までが魅了されてしまうのは、そこに自然からのプレゼントを獲得できるかどうかのギリギリの戦いの最中に身を以て入り込むことができるからにほかならぬ。

21世紀。ひとは成熟した資本主義社会のまっただ中にあっても、まるで縄文時代のような狩猟生活の記憶を忘れていない。林立するビル群の中からは見えにくくはなっているが、漁業や農業の収穫のように自然から与えられるプレゼントこそが、商品が資本を生んだり、労働力が資本を生んだり、資本が資本を生んだりする不思議の「元絵」だからだ。おっと脱線し過ぎだ。それは中沢新一さんが語っているところのこと。そうなんだけれども、ナチュラリストだから感じ得るという理由づけとしても説得力があるのではないか。つながっている。自分はそう確信した。

フライの雑誌社のブログの文章には、そんな太古的な世界に分け入って自らの獲物としてきたエスキースを感じずにはいられない。だからなのだと思う。

このブログ作者の言葉は信じられる。

放射線量に関して、「そんなに目くじら立てるなよ」という人たちがいる。「だけど、たとえ線量が低くても人体への影響の有無はよく分かっていないんだぜ」という声もある。中には放射性の元素が一粒子体の中に入っただけだとしても、そのひとつが発した放射線によって健康被害を引き起こす可能性がゼロとは言えないという話もある。いろいろな立場からの発言に、それぞれもっともだと思わないわけでもないが、それでもやはり、放射性物質はあの事故の前と同じレベルでないと安心できないと思う。

どんなに後付けで説明が追加されても、それは「ただちに健康に影響はありません」としたステートメントの延長線上のものとしてしか認識できない。その発言をした人物が政権という区分けで民主党の人であろうがなかろうが、それ以前から原子力発電を推進してきた自民党の人たちが、頭を下げて「ごめんなさい」したことはないわけだ。

この原発の事故で引き起こされてしまったことに関して、ニュースで語られる政治ばなしとは違って、確かに認識できることはひとつしかない。釣り好きで山好きで、都会に暮らしながらも週末には野山や海辺で過ごしてきた人間の端くれとして、現状への不信感を拭うことなどできぬ、自分で判断して、家族やら友人やらを守らなければという思いしかない。それだけだ。

ファミリーに人気だったワカサギ釣りも

中禅寺湖でマス類のキャッチ&リリースほぼ限定の釣りと入れ替わりに解禁になったワカサギ釣り。その危険にも触れないわけにはいかない。なぜなら釣り好きな人間は、ブログ作者が言うとおり、食べない魚は殺さないからだ。

中禅寺湖のブラウントラウトの放射能汚染は、12年4月から160ベクレル/kg → 250 → 220 → 160 → 140 → 150 → 210ベクレル/kg(今回)で推移している。中禅寺湖のワカサギは12年10月時点で94ベクレル/kgある。魚食性の強いブラウントラウトはそのワカサギを食べていると思われる。(2013/3/14)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

これは辛いっす。

中禅寺湖のワカサギ釣りが今年2014年も解禁になったのは、国が定めた1キロあたり100ベクレルという数値を下回ったからこそということだろう。

しかし、おそらくワカサギをたくさん食しているであろうブラウントラウト(マスの一種)は、同じ中禅寺湖で食べることはおろか、持ち出すことすら禁じられているのだ。理由は言うまでもない、体内に放射性物質を大量に蓄えているからだ。

ワカサギそのものが体内に蓄えた放射性物質は、検査されたサンプルでは国が定めたレベル以下だった。だから漁も解禁になった。しかし、それらを食べている同じ湖の魚は剥製にする以外は持ち出しも不可とされている現実。

こんな記述もある。

宮城県阿武隈川(丸森町)のアユは140ベクレル/kgと、99ベクレル/kg。99ベクレル/kgの方は問題なしで、厚労省の基準値超過リストに載らず。(2013/07/13)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

群馬県榛名湖のワカサギは前回91 → 今回110ベクレル/kg、赤城大沼のワカサギは前回130 → 今回95ベクレル/kg。基準値内だから安全だ、いや安全ではない、という議論は空しい(2013/09/23)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

群馬県赤城大沼のワカサギ 95→97→83ベクレル/kgで、出荷自粛解除見送り。「出荷自粛要請を解除する条件として、基準値を三回連続で下回ることを目安にしている」(群馬県)。こういう科学的根拠のない枠組みが科学不信をあおる。といっても打つ手はない。(2013/10/07)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

群馬県赤城大沼のワカサギ 95 → 97 → 83 →今回 110ベクレル/kg。基準値を越えた越えないで一喜一憂するのは無意味だとは思うが、地元のことを思うと少しでも下がってほしい。(2013/10/09)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

日光湯ノ湖のカワマス(ブルックトラウト)から5ベクレル/kg。9月は<9.1ベクレル/kgだった。これくらいは有意な差ではない。利根川のウナギは7.4〜83ベクレル/kgまで個体による汚染度の差がある。(2013/11/29)

淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか(2014/08/29) | フライの雑誌社

「皆さんうんざりでしょうし、こっちもうんざり。」
その言葉が繰り返し繰り返し聞こえてくる。

だが、現実として押さえておかなければならない。同じ魚種でも測定値は大きく変動する。それは、「たまたま」による部分が大きいと考えるしかない。

水は低いところへと流れて行く。その過程でセシウム等放射性物質が堆積した森の斜面を通過する。そうした水が合わさって流れ落ちて行く場所が沢であり川である。途中に湖があればそこに大量の放射性物質が蓄積されていく可能性が高い。

科学的な知識があってもなくても、そんなこと自明だ。

悔しいことにあの事故によって、東日本の多くの山が汚染された。その結果、山から流れ落ちる水の通り道と溜まり場たる池や湖には汚染が蓄積されてしまった。

蓄積された汚染物質が生物によってさらに濃縮されていく。

その結果、環境全体としてどれくらいの汚染度になってしまったのか、わからない。環境汚染によってどのような影響が人間に及ぼされるのかそれもわからない。

さらにだ、人々を惑わせているものがある。それは一個人の健康に対して影響を及ぼすほどの有意な差がどれくらいなのか、ということ。それすら分からない。どのレベルまでなら絶対に大丈夫ということをだれも保証できないわけだ。そんな客観的状況の中で国が、基準値をつくる矛盾がある。

家族連れで湖面に浮かべたボートから、竿をおろすたびに入れ食いで、鈴なりのワカサギを釣り上げて、その都度ピチピチと竿の先に反応する魚信に歓声を上げて、寒い冬空の下、数時間で200尾300尾くらい当たり前でつり上げて、帰ったらみんなで食べようねって言って、天ぷらとかフライとかにして食卓でも楽しむ。ワカサギはそんな魚なのだ。

だからこそ、大人は知っていなければならない。
お上が「基準値以下ですから」といって、その言葉を鵜呑みにしていいのかどうか。
「ただちに健康に影響はありません」発言について、何ら説明も釈明もしていないお上なのだ。その言に従えといわれて「はいそうですね」では、大人として家族に対する責任、あるいは次の世代への責任を果たしているとはいえないのではないか。

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