「震災歌集・地津震波」へのプロローグ

onagawa986

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女川町役場での偶然の出会い

私はその老夫婦に見覚えがあった。

その日は被災者向けの所得税の特別減税の申請をしに女川第二小学校を訪れていた。
全壊した役場の機能は、小学校の使用されていない教室へとすっかり移されていた。

朝早くに出たつもりではいたが、やはり長蛇の列。
ダンナと二人、話題も尽きてしまう位の待ち時間。
それでも辛抱してみんな並んでいる。
疲れた表情、重い空気。

やっと温かさが感じられるようになった5月。
列を邪魔するように、中央にはNTTの設置した無料の固定電話。
食料・電気・水・ガソリンの心配はいらなくなったが、まだまだ町も人も混乱は続いていた。

夫婦で黙って列を眺める。
目に止まった白髪頭の老夫婦。
おじいちゃんに見覚えがある。
誰だっけ?
「あのおじいちゃんどっかであった気がするんだけど?知らない?」
「知らない、トイレ行ってあとタバコ吸ってくる」
震災前に初めて禁煙に成功してその記録を8か月まで伸ばしていたのに、いつの間にかダンナのタバコは復活していた。

「次の方は中へ入りこちらで名前と住所をご記入下さ~い」
やっと建物へ入れる。
震災後いろんな手続きで何度書かせられたであろう、もう住めなくなった住所。
保険や受取、解約、変更手続き…それはもうウンザリするほど書かされた。

思えば震災二日後に女川入りし、ごくごく普通の大学ノートに住所と名前を地区ごとに並んで書かされた、そう、そのときからそれは始まった。
生きている人しかそのノートに書き記すことは出来ない。
行政は住民台帳とそのノートの照らし合わせを行う。
つまりあれは、生死を判断するノートだったんだ。

「那須野さ~ん!」
それからさらに待ってやっと呼ばれた!
窓口に行くと娘のクラスメートのお父さんで安心して笑顔になる。
「疲れでんでない?痩せたみだいだよ~?」
「いやいや食べでっから!健康的に痩せだのっしゃ~!」
冗談言い合って、面倒な手続きの場も少しだけ和んだ。

ふと横を見ると、先ほどの見覚えのある老夫婦。
どうやら書類に不備があったようで今日は手続き出来ないようだ、奥さんがとても困惑している。
ご主人はやさしく、まるで子供に説明するかのように丁寧に、なぜ今日手続きできないかという理由を、ゆっくりゆっくりと述べていた。

とても気になったが、最後まで誰かは思い出せなかった。
長い長い手続きからやっと解放され女川を後にした。

思い出した!こないだのおじいちゃんって実は…!

その日は朝から天気が良く、津波を被ったアルバムの写真を一枚づつ外し、真水で洗っては干すという作業を朝から行う。
引き波に耐えた2階部分の部屋にアルバムを置いていたためほとんどを回収することが出来たのは不幸中の幸いだった。
でもそのせっかくの幸いも、忙しさにかまけて1ヶ月近く放置した為、変色したり、端の部分が消えていたり…
そんな自分に嫌気が差したし、調子にのってイベントたんびに大量に写真をバシバシ撮ってた自分を呪った。
まだまだしばらく終わりそうも無い。
挟む洗濯バサミも無くなったことだし、大物に取り掛かろうか。
分厚い婚礼アルバムにまさかシャワーで水をかけまくる日が来ようとは…
海水の塩分が無くなるように容赦なくジャージャーかけまくる。
赤ちゃんの頃から撮影して増やしてきた子供達3人分、3冊の大きなアルバム。
お宮参り、百日祝、1歳、3歳、入園式、七五三、入学式…
写真同士くっついてしまっている…水をかけながら慎重にはがす。
そして自分の高校の卒業アルバムを開き、目の合った人物に思わず声をあげた!

「こないだのおじいちゃんって!高校の校長先生じゃーん!!」

この間の白髪頭と顔に刻まれた沢山のシワとは打って変わり、目の前の校長先生は黒髪で少し色黒の健康そうな肌つや。
当時の私が「卒業だから記念に!」と校長室へ押しかけて友人と5人で記念撮影したこと、校長先生は覚えているだろうか?
役場で会ったということは女川の人だったのかな?
ずっと抱えていたモヤモヤが解決した私は、風になびく写真たちをスッキリした気分で眺めた。

あまりの衝撃に身動きが取れなくなった震災歌集

それから半年過ぎた頃、女川の情報を発信するサイト「おながわ.me」を覗いていたら「佐藤成晃」という名前が目に止まった。

校長先生だ!
たしか国語が専門だったはず、だから短歌を?

タイトルは
震災歌集「地津震波(じつしんぱ)」
地津震波とは、地震×津波がシャッフルされた状態を意味すると書かれている。

震災歌集…
やはり女川にお住まいだったのか?

読み進めた私はあまりの衝撃に身動きが取れなくなった。



「走れよと妻の背中を突き出してつんのめった手で津波を掴む」



なんと校長先生は、私と同じ女川の行政区・石浜にお住まいだった。
我が家から少し坂を下った、山の谷間に広がる集落に。
近くには石浜の集会所もあった。
あの日、避難した何十人ものお年寄りもろとも、流された集会所が…。



何回かに渡って校長先生の短歌をご紹介していきたいと思う。
ずっとずっと、この歌集を広く伝えなければと思い続けていたが、出会ったときの衝撃が凄まじく、書き始めるにもとても勇気がいった。
今やっと、その心の準備が出来たようだ。

襟を正して、気持ちを込めて。
校長先生の短歌を一人でも多くの方にお伝えしたい。


那須野公美

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