霞が関のあそこでうたう歌

iRyota25

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「四当五落って言葉、聞いたことあるでしょ。でもね、今は三当四落なんだって」
初対面のくまさんは脱原発テントのテント前で、いきなりそんな話を始めるのだ。
――睡眠時間5時間の受験生は落ちて、4時間睡眠で頑張んなきゃ合格できないって話ですよね。今じゃ3時間睡眠ってことですか?

「我々の時代はそういうことだったんだけど、今ではちょっと違っているらしい。小学校の3年生からハードな受験勉強を始めれば東大に合格できる。4年生から始めた子は落ちるってことなんだって」

霞が関の真ん中に響く歌声

脱原発テントでなぜ受験の話? とちょっと訝しんだが、こういうお話だった。

「こうして一日中霞が関にいるとね、たくさんの人たちがテントの前を通り過ぎていくだろう。そのうちの多くの人たちが三当四落で生きてきた人たちなんだなぁって思ったりするとね、それってどういうことなんだろうって考えちゃうんだ」

三当四落についての新説は初めて聞いた。
自分も四当五落とけしかけられた年代だが、小学校3年から受験勉強かぁ。目の前を通り過ぎていくスーツ姿のたぶん官僚たちが、みんなそうやって勉強漬けで生きてきたとは思わない(そうじゃない官僚の知り合いもいるし)けれど、中にはそういう人もいるのかもしれない。たしかにいるんだろうな。

足早に横断歩道を渡っていくスーツ姿の人たちは、これまでの人生の折々に、どのような感慨とか思い出とかを積み重ねてきたんだろう。

そういえば高校生の頃に、自分が乞食になって道端に座り込んでいる前を、たくさんの人たちの足が流れ去って行くって景色を想像して物語にしたことがあったなぁ。

そんな風なことを考えてると、不思議な脱力感のようなものがあふれてきて、くまさんの隣の椅子に座らせてもらった。というか座り込んだ。するとくまさんは、「まだ練習中なんだけどね」と言って歌い始めたんだ。それはあの有名な詩をアレンジしたものだった。

くまさんの歌声(高画質)

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「梁塵秘抄」より

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

梁塵秘抄

「遊びせんとや、の遊びって、どういうことなんだろうね。自分はね、子供の遊びのことじゃなくて、あっちの遊びだと思うんだ。となると、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれって続くのをどう理解する?」

経産省前の脱原発テントだということを一瞬忘れた。簡単にお決まりのフレーズで答を出したりなんかできない、にんげんの問題。ア×ノ×クスみたく、それさえ言ってれば全問正解なんていう簡単な問題じゃない。それはまるっきり正反対で、生きとし生けるものすべてに共通するたいせつな問題。

それを、いまここで問う。

これまでいろいろな生き方をしてきた人たちが、通行人としてすれ違ったり、通行人の流れから離れて、椅子に座っている人やテントの中にいる人に一声かけて行ったりする。いろんなものを手に持っていたり、心に抱えていたり、背負い込んでいたり、引きずっていたり、つまり普通のたくさんの人たちがが集まってくる場所。

そこにはさらに平安の昔の歌の響きが加わる。詩の言葉は梁塵秘抄の編纂を命じた後白河院という権力者の声としても聞けるし、読み手に誓い側にあっただろう薄幸の白拍子の歌声として聞くこともできる。
否、薄幸のなんて枕詞自体が場違いにも感じられる。同様に、三当四落という言葉すら色眼鏡が過ぎるかもしれない。

梁塵秘抄に続いてくまさんが歌い始めた「戦争を知らない子供たち」を、くまさんの隣に座っていっしょに歌った。この場所で歌っていることが、至極当たり前のことに思えてきた。

不思議なことに声がすっと出るんだ。しゃべるような調子で歌声になる。くまさんの歌い方を真似したわけじゃないんだけど、自然と同じ感じになる。もちろん、がなり立てるなんてことなどない。霞が関の中でもここはちょっと高台だけど、弁天さまかミューズさまのご加護のある特別な場所、おへそ? みたいな所なのかもしれない。

すれ違っていくだけの人。声をかけていく人。初めてやってきたという人。ほぼ常連の人。この日は比較的、人の集まりは少なかったみたいだが、それでもしばらくいた間にたくさんの人がテントに顔を出して行った。

剣のようなペンや、舌鋒鋭い言葉だけじゃない大事なものがある。
(もちろん鋭い言葉も大切だけど)
福島と周辺の人たちと話していたら、自然と導かれる答えがあると自分は思っている。

抗議行動はいつ? とか山本太郎さんのこととかも話題にのぼったけれど、初めてテントを訪ねたこの日は、初めて出会ったくまさんに、人生について考えさせられる日になった。磨けば光る言葉の原石をいくつかもらった。

「自分たちは年中無休、24時間体制だからね」

霞が関の真ん中で、歌ったり、感じたり、声をあげたり、考えたり、思ったりして、いつもその場所にいる。この場所を現場として、日々ここにいる。下手すればハードワークで知られる官僚よりも長い時間を霞が関で過ごしている。いろんな形容をすることはできる。でも事実は、もっとストレートな言葉で表現できる。

彼はここにいる。
「居る」ことの意味を体現している人に、ここで出会った。

経産省前テントひろば

霞が関二丁目交差点

 経産省前テントひろば
tentohiroba.tumblr.com  

国民的な交流、議論、行動の場として生まれたテントひろば。たくさんの人が情報を発信しているので、「脱原発テント」「テントひろば」で検索してください。

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●TEXT+PHOTO+VIDEO:井上良太

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