フクシマの次に新崎原発で過酷事故が発生するという前作「原発ホワイトアウト」の続編という設定だが、描かれている大半は、日本の官僚機構と政治システムの話だ。さらにこの続編には天皇陛下まで登場する。唐突にも感じられる陛下の登場だが、実はこの国の統治機構の神髄に深くかかわっていることが描き出される。
各章ごとに新聞記事等が引用され、続いてその内実が描かれるというスタイルが取られているのも興味深い。東北に行った帰りの新幹線で一気に読めたほどこの続編には吸引力がある。国家公務員上級職の一員でもある著者の、ある種追いつめられたような切実な言葉が語られているからこその吸引力なのかもしれない。
たとえばこんな感じだ。
原子力防災会議は淡々と予定のシナリオ通り三〇分で終了し、異論はまったく差し挟まれなかった。公開の場では、実質的な議論はなされないのである。
「東京ブラックアウト」若杉洌 | 講談社 2014.12.4
これは告発である。日頃私たちがあまり疑うこともなく身を委ねている現実の社会構造がどんなものなのかを、著者はまるで魚の皮でも剥ぐようにして示していく。
きっと新聞記事にもなるだろう原子力防災会議は議論の場ではない。実質的なすり合わせは、各省庁の課長補佐や主任といったクラスの人たちによって行われている。そしてそのすり合わせこそが、キャリア官僚それぞれの将来に直結する権力闘争なのだ。新聞記事になるような話はすでに、力関係と金の流れとでがんじがらめにされていて、覆されることなどほとんどありえない。
しかし、官僚機構と政治家は密に連動しているように見えて、実は必ずしもそうではない。東大法学部を卒業し官僚機構の中枢に入った人々は、想像をはるかに上回る自負の気持ちをもっている。民間企業や地方行員を見下ろすのみならず、仕えるべき大臣や政務官をも軽蔑している。むしろ、この国は官僚のプライドによって回るようにできているのかもしれない。敗戦を経てすら官僚制が死に絶えることなく続いてきた理由も、そこに見いだせるように思えてくる。
ところがこのところ急に状況が変わってきた。政治の権力が増大し、人事を通して官僚を支配しようという流れが進んでいるのだ。
自分たち国家公務員上級職は。天皇にお仕えする官吏だったのだ。いくら戦後の民主制に移行したからといって、連立政権の内閣発足後、慰安婦制度に関して諸外国に誤解を与えるような発言をする下種な輩に仕えることなど、虫唾が走る……。
「東京ブラックアウト」若杉洌 | 講談社 2014.12.4
本書の末尾近くにこんな一節が飛び出してくる。官吏が天皇によって任免される、つまり天皇に仕える存在だったのは事実である。しかし、これまでこんなストレートな表現がなされたことがあっただろうか。しかも、小説中の登場人物の言葉なのか、著者本人の肉声なのか区別ができない形で記されているのだ。
著者はこう言いたいのだろう。これまで日本の歴史の中で幾度か天皇親政が敷かれたことがあった。鎌倉幕府滅亡前後の建武の時代、明治維新、そして太平洋戦争=大東亜戦争での無条件降伏に向けての数日間。いずれも国の存亡の危機だった。今はこれらの時代に匹敵する非常の時であると。おそらくこれが本書の核心なのは間違いない。
少し先回りしすぎてしまった。
今回の作品は前作と比べるとストーリー性は抑えられているが、新崎原発で発生した事故の深刻な影響を描くシーンは真に迫るものがある。
たとえば、新崎原発で爆発が起こり、線量が生命に関わるレベルに急上昇。指揮を執る所長代理が退避命令を出す場面。
「……私はここで、みなさんとはいったんお別れです。最後まで発電所を見届けるために残ります。これから瓦礫を片付けて、非常用電源車の到着を待ちます。ホイールローダーや非常用電源車の操作ができる方で残留を希望される方は、一緒に残ってください。
こうした作業ができない方は、このまま残っても犬死です。みなさんの気持ちはわかりますが、退避は決して恥ずかしいことではありません。いったん、オフサイトセンターに退避をして、態勢を整えて、本店の指示に従ってください。また、みなさんとお会いできる日があればうれしいです。以上……」
去る者も残る者もみな号泣していた。
しかし、なかには、この放送の途中で、早々にバスに乗り込んでいく所員もいた。現地に駐留しているはずの原子力規制庁の検査官の姿も、いつの間にか見えなくなっている。退避の指示が出た以上は、居残って出足が遅れるよりも、とっとと最初のバスに乗り込んだ方が勝ちだ。そう考える者もなかにはいる。
関東電力にも、出入りの業者にも、いろんな人間がいるのだ。人生のなかで何に価値を置くかは、人それぞれなのだ。
「東京ブラックアウト」若杉洌 | 講談社 2014.12.4
新崎原発の非常停止で停電した群馬県では、テレビも映らないため放射性プルームに汚染された雪が降っていることを住民は知る由もなかった。両親は戦艦のようなショッピングモール(モデルは民主党代表に擬せられている人物の兄弟が社長を務める流通大手だろう)に出掛ける。家に残された幼い兄弟は庭で雪遊びを始める――。
そのシッピングモールが建っている場所は。つい最近まで農地として守られ、ゆえに所有者はほとんど税金を払ってこなかった。しかし、なぜか農業委員会は、その小売チェーンにあっさりとモールの造成を認めた……
(中略)
日本には、かくも様々な「モンスター・システム」が存在する。そんなことすら知らない幼子の両親は、まさか新崎原発から三国山脈を越えて一〇〇キロメートル以上先にあるこの地に、放射能が及ぶとは、思いもしない。
(中略)
兄と妹は口に雪を入れた。しかし、予想に反して、金属と酸の入り混じった味がする。
「……おいしくないな」
ペッ、ペッ、と二人はすぐに吐き出した。
「お兄ちゃんの舌、真っ黒だよ」
「お前もだよ、ハハハ……」
「本当?」
二人はお互いの黒い舌を見て笑い転げながら、雪だるまづくりに勤しんだ。
数時間後、黒い雪だるまが完成する頃に、急性放射性障害で毛髪が抜け始めることを、この二人はまだ知らない。両親が帰宅するときには、子どもの髪の毛は、ほとんど抜けてしまっているだろう。
「東京ブラックアウト」若杉洌 | 講談社 2014.12.4
リアルに「ありうる」状況が随所に織り込まれる。政治家やテレビの解説者の口調までもがリアルなのだ。いまここにあると思っている現実と、ありうる未来が確かにつながっていることが、繰り返し印象付けられていく。
そして本書の最終ページ、物語が終わった次の行には、「今上陛下への請願の送付先」が記されるのだ。
現役官僚である著者が本書に込めた思いがここに集約されている。しかし、本書を読んだ後、こうも思う。それは、著者である若杉さんとは何者なのか? 若杉さんに対して権力中枢はどう対処しようとしているのか?
霞が関では秘密裏に、厳しい「犯人探し」が行われたという。しかし若杉さんは続編まで書き上げた。メディアに登場することさえある。見つからない方が不思議なほどだ。あるいは若杉さんは泳がされているのではないか。もっと勘ぐるなら、本当に知られたくないものは他にあり、そのカモフラージュという機能をこの作品は担っているのではないか。そんな疑念も湧いてくる。
ぜひ若杉さんに直接会って話をしてみたい。読み終えて、東京の喧騒の中に滑り込んでいく新幹線から窓の外を眺めながら考えたのはそのことだった。
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