サッカーの魅力を語る上で欠かせないアイテムの1つとしてユニフォームの存在が挙げられます。特に世界各国の代表チームのユニフォームは、その国を特徴づける個性的なデザインが揃います。このシリーズでは日本代表の歴代のユニフォームを紹介したいと思います。
84-86年【クラシックモデル】コンセプトイメージ
1986年以前はシンプルなデザインの代表ユニフォームが目立ちます。86年メキシコW杯予選で着用された『袖ボーダーモデル』は奇抜なデザイン性を感じるものの、その他のユニフォームは肩口から袖にかけてアディダスの3本線が目立つくらいです。
この年代の代表ユニフォームはメインカラーを白にして、ブルーのラインをポイントに入れていますね。この時代はジャパンブルーを全面的に推している訳ではなく、日本代表=青というメインカラーを確立していないようです。
86年・adidasモデル
韓国・大田(テジョン)で行われたアジア大会着用モデル。石井監督に率いられ、奥寺康彦、木村和司という二人のプロを擁したが、クウェート、イランに歯が立たず、予選リーグで敗退しました。このユニフォームにはアウェー用も存在します。ピッチに光るダークブルーが代表への誇りと色気を感じさせてくれます。
85年・PUMAモデル
86年メキシコW杯予選終盤で着用されたモデル。この時代、日本が最も世界に近づいた10月26日の韓国戦が思い起こされます。満員の国立競技場のゴールに吸い込まれた木村和司の芸術的なフリーキックはあまりにも有名です。あと1歩でW杯出場を逃した日本代表は、98年フランスW杯出場まで低迷の期間が長く続きました。
82-83年・adidasモデル
集合写真は、後列左から越田・都並・原・菅又・風間・田口。前列左から田中・金田・木村・加藤・尾崎・風間八宏。後の93年Jリーグ開幕を支えることになるベテラン選手の都並敏史、木村和司、風間八宏の勇姿が見えます。
80年・adidasモデル
スペインW杯予選に臨んだ日本代表は平均22歳。歴代で最も若いチームだったようです。川淵三郎監督に率いられた日本代表は、中盤に風間、戸塚、金田というそれまでの日本のレベルを超えるテクニシャンを揃えました。
テクニックで中盤を制する現在の日本のスタイルの前兆を見せたチームでした。この時代を知る代表選手は現在の日本サッカー界の繁栄を予知することは難しかったと思います。どんな思いを胸に秘めて世界と戦っていたのでしょう?
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