【サッカー日本代表】 歴代ユニフォーム大辞典 1996-99 《炎モデル》

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 サッカーの魅力を語る上で欠かせないアイテムの1つとしてユニフォームの存在が挙げられます。特に世界各国の代表チームのユニフォームは、その国を特徴づける個性的なデザインが揃います。このシリーズでは日本代表の歴代のユニフォームを紹介したいと思います。

96-99年【炎モデル】コンセプトイメージ

 袖に不動明王をイメージした炎のモチーフが描かれたモデル。95年まで着用された『ドーハモデル』とはガラリとイメージを変えて強烈なインパクトを残したユニフォームです。袖に描かれた炎の絵は唐草模様のようにも見えます。史上初のワールドカップ出場に向けて並々ならぬ気合いが伝わってきますね。

日本サッカー協会のシンボルである八咫烏(やたがらす)をイメージした鮮やかな青。そして燃えたぎる闘志を描いた炎の赤!これほどまで日本の和をストレートに意識したデザインが他にあるでしょうか?このユニフォームを着用した日本の選手は着物姿のサムライのように見えました。後に日本代表がサムライブルーと呼ばれる基礎を作ったモデルではないでしょうか。

炎モデルほど劇的な戦いを演じたユニフォームはない

 歴代の代表ユニフォームのなかで、『炎モデル』ほど過酷な戦いを強いられたモデルはないでしょう。96年アトランタ五輪代表では前園真聖がキャプテンとしてチームを率い、幾多の激戦を制して28年ぶりの五輪出場の切符を手にしました。本戦では1-0でブラジルを破る「マイアミの軌跡」を起こしたことは有名です。

98年フランスW杯予選では加茂監督が戦績不振で更迭され、緊急登板した岡田監督がイランや韓国と壮絶な死闘を繰り広げ、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた岡野雅行の劇的なVゴールで史上初のW杯出場の切符を掴みとりました。日本のサッカーが世界に飛び出すきっかけを作ったメモリアルモデルです!

前園真聖
前園真聖
岡野雅行
岡野雅行

それにしても・・・ちょっと和風すぎじゃない?

 日本のサッカー界に大きな記録を残した『炎モデル』ですが、デザイン面だけを取り上げてみると若干ダサくなくないか?という気持ちがこみ上げます。あくまでも個人的な見解になりますが、袖に描かれた炎が唐草模様のように見えてしまい、あまり炎らしく見えない!と思いました。

『炎モデル』は数ある代表ユニフォームのなかで、最も異彩を放つ個性的なデザインだと思います。胸元に施された真っ赤な下地はサムライの熱き血のように映り、鮮やかなコバルトブルーはサムライの着物のようにも映り・・・

コソ泥
コソ泥
サムライ
サムライ
サムライブルー
サムライブルー

とにかく和!和風なんです!このあまりにも和のデザインがサッカーとはミスマッチで・・・などと注文ばかりつけてしまう悪い癖が出てしまいました。。。下手をすると江戸時代のサムライなのか?コソ泥なのか?と迷ってしまいます。それでも現在の『結束の1本戦』よりはマシに見えるのは私だけでしょうか?

98年フランスW杯で着用された【炎モデル2】

 98年2月~99年3月まで1年間しか着用されていない幻のユニフォームが『炎モデル2』です。記念すべきワールドカップ初出場を飾ったモデルとして有名ですが、筆者にはそれ以外の印象がまるでありません。デザインは前モデルを踏襲しており、袖に入った炎模様が少し小さくなり、パンツの裾に青いラインが入っています。左胸の協会エンブレムの下に「FIFA WORLD CUP FRANCE 98」の文字が刻まれています。

これ以降、adidasの独占契約となるため、asics、PUMAの日本代表モデルは最後になりました。フランス大会で日本代表は悪夢の3連敗という屈辱を味わいました。予選グループリーグ第3戦のジャマイカ戦で中山雅史が挙げたW杯初ゴールが唯一の殊勲でした。この試合、当時18歳の小野伸二が途中出場し、相手DFをマタ抜きしてミドルシュートを放つプレーが深く印象に残っています。

呂比須ワグナー
呂比須ワグナー
中山雅史
中山雅史
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