三島村と十島村の物語
■1 日本国内で廃藩置県、市町村設置へ。(1800年代後半)
日本では明治維新が起こると、幕府から明治政府へ体制が転換されました。
それまでは幕府の体制における「藩」が全国に置かれていたのですが、新政府が統治するには効率的にやや問題があったそうです。そこで、明治政府は行政改革として藩を廃止、全国へ県及び市町村を設けていくことになりました。
ただし、国内の一部離島においてはその流れから除外されており、市町村とは別に島庁という機関が置かれていました。
■2 10の島々をまとめて「十島村」が誕生!(1908年4月1日)
島しょ町村制度が施行され、島庁が管轄していた島々も、各地域ごとの性質に合わせ、町村制へ移行することになります。
ここで、鹿児島県内にあった10の小さな島々も、ひとつの村になることになりました。それが、北から竹島、黒島、硫黄島、口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島の10島です。この小さな10の島々をまとめ、「十島村」として発足しました。
村役場は、10島の中で最も人口が多く栄えていた中之島に置かれることになりました。
■3 日本が敗戦・・・、十島村は分断されてしまった。(1946年2月2日)
しばらく、10の有人島からなる「十島村」として機能していたのですが、第二次世界大戦が起こり、日本は敗戦国となってしまいました。
戦勝国となったアメリカによって、日本の領土は一部、アメリカの占領下に置かれることが決まりました。
こうして、1946年2月2日のこの日、北緯30度以南はアメリカへ占領されることになったのですが、北緯30度線は十島村の10島を横切ることが分かりました。
十島村の10島のうち、北緯30度以北の竹島、黒島、硫黄島は日本に残り、北緯30度以南の口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島の7島をはじめ、奄美、沖縄の島々までがアメリカの占領下になったのです。
十島村は3:7で分断されてしまいました。
ところが、十島村の村役場は、アメリカの占領下に移った中之島にあります。日本に残った竹島、黒島、硫黄島の3島だけで「十島村」を維持しなければなりません。そこで、占領下にある7島が返還されるまでの一時的な措置として、十島村役場を最寄りの本土である鹿児島市内に置くことになりました。
北緯30度線付近
これより北側に「竹島、黒島、硫黄島」があり、こちらは日本領土のまま。これより南側に「口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島」があり、こちらはアメリカの占領下となった。
■4 アメリカ占領下にあった7島が日本復帰!しかし・・・(1952年2月10日)
アメリカの占領下にあった島々は徐々に返還され始めます。その皮切りとして、1952年2月10日、口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島の7島が本土復帰を果たしました。
6年近く続いた暫定的な処置は解消され、再び10島で十島村に戻る気配が漂います。
ところが、ここで問題が起こりました。6年もの間、竹島、黒島、硫黄島の3島で行政を行ったこともあり、その仕組みは完成されていました。そこへ、復帰を果たした7島が加わってしまうと、せっかく整った行政機能がこじれてしまいかねません。
仕方がないので、「竹島、黒島、硫黄島の3島」と「口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島の7島」は別々の道を歩むことを選びます。
「竹島、黒島、硫黄島の3島」は、その見た目の通りに三島村という名前で発足。
「口之島、中之島、臥蛇島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島の7島」は、かつての名前を引き継ぎ、十島村として新たに発足しました。
■5 新たに誕生した「三島村」と「十島村」は、ちょっと珍しい村(1956年)
三島村は、アメリカの統治をきっかけに、最寄りの本土である鹿児島市内に行政機能を移しました。
一方、十島村はアメリカ統治以前同様、中之島に村役場を置いていましたが、7島をまたいだ行政は、船の移動などもあり、何かと不便さが露呈してしまいます。
そのため、1956年、十島村も最寄りの本土である鹿児島市内に村役場を移転しました。
日本でも珍しい、村外に村役場を置く自治体です。
村の職員が、村外である鹿児島市内に住むことで、村役場職員に村議会選挙の選挙権がない、村役場職員にかかる税金が村に入らないなどといった問題もあるようです。このあたりも、まさに離島ならでは。簡単な問題ではありません。
離島への玄関口、鹿児島市
鹿児島県内には28の有人離島があり、そのほとんどの島々へは、鹿児島市内、鹿児島港から行くことになる。まさに離島への玄関口と言えるだろう。
僕は、鹿児島市内を歩いていた。県内一番の繁華街である天文館を抜け、鹿児島港を目指して進む。鹿児島市役所を抜け、少し歩くと、県道214号線を挟んで三島村役場と十島村役場が向かいあって立っていた。それほど大きくない建物で、パッと見ただけではそれが役場とは気づかないだろう。
しかし、「ひとつの市内に役場が3つもある」というのは、全国でもこの場所だけだ。そして、そこには離島ならではの独特な歴史をはらんでいる。
何気ない光景にすぎないが、ふとそんなことを思い出したのだ。
三島村役場と十島村役場
鹿児島港の手前にある県道214号線。この道路を挟んで三島村役場と十島村役場がある。また、その北西には鹿児島市役所もある。
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