GWにおすすめ。東京から日帰りで行く久之浜(PLAN-2)

iRyota25

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被災地に行きたいけど、電車と徒歩で簡単に行ける場所はどこかにないかな?

そんなご要望にお応えしましょう。東京から電車で2時間半の近場で、駅から歩いて被災地を見学できて、仮設商店街でたくさんお話を聞くことができる場所。それは、いわき市久之浜(ひさのはま)。
レンタカーを借りなくても、電車だけで移動できて、地元の人たちと話をしたり、お手伝いをしたりすることもできるから、「ボランティアに行くぞ!」なんて力まなくても、ちょっと空いた休日にぶらりと出かけてOK。行けば必ず貴重な経験ができるから大人はもちろん子どもたちにもお勧め。中高生の自由研究にもいいかもしれませんね。

スーパーひたちと常磐線で久之浜へ!

黄色い駅舎が印象的な久ノ浜駅

黄色い駅舎が印象的な久ノ浜駅

被災地ツアーの起点となるのは常磐線の久ノ浜駅。地名は久之浜だけど駅の名前は「久ノ浜」ってところは要チェック(さらに、駅前の交差点名は「久之浜駅南」だったりする!)。自由研究のうんちくネタになるかもね。

それはさておき、日帰りで久之浜を見学するために利用したい列車をピックアップしました。

特急スーパーひたち15号 10:00上野発⇒12:07いわき着
常磐線普通電車広野行き 12:20いわき発⇒12:34久ノ浜着

東京をゆっくり目に出発しても、昼過ぎには久之浜に到着できちゃうのです。

改札を抜けるとこんな感じ
改札を抜けるとこんな感じ
駅から見える久之浜の町
駅から見える久之浜の町

駅を出ると右側が崩壊した殿上山が正面に見えます。地図で現在地とこれから歩く場所を確認しましょう。

航空写真で見るとよくわかりますが、殿上崎と表示された岬の付け根、南側が白茶けて見えるのが殿上山。久之浜のシンボルとも言える山だから、名前も覚えておきましょうね。

今回は、駅と殿上山を結ぶ道沿いに、まずは河口の方向へ向かいます。

久之浜駅南の交差点

久之浜駅南の交差点

と言っても、久之浜の町を見学するにあたっては、道案内はほとんど必要ありません。
駅を出たら徒歩30秒で交差点。目的地へはそのまま直進するだけだからです。

(ワンポイント情報)
交差点の左にはコンビニがあるので、小腹が空いている人は軽い食事を買っていくのもいいでしょう。ただし、町の見学の後には仮設商店街を訪問する予定なので、お腹一杯になりすぎませんように。

信号待ちをしながら左を見ると、そこにはコンビニ。

交差点を直進すると、大きな被害を受けた町並みが視界の中で広がっていきます。

北町の十字路
北町の十字路

交差点の先を町の中心部に向かって歩いていくと、道が緩やかに下っていくのがわかります。津波はこの坂道を遡って駅まで達したというわけです。いま歩いているこの道は、津波が押し寄せ、引き波となって建物や車や人を連れ去り、また押し波として町を破壊していく――。そんな悲劇が繰り広げられた場所。

そのことを忘れずに歩いてください。

ほどなく、目の前に破壊された町並みが広がる十字路に出ます。

この十字路からは、思い思いに久之浜を見学しましょう。海岸線を歩いたり、廃墟の中に残った神社(町の人たちの心の拠り所となっています)を巡って歩いたり、かつてどんな町だったのかを想像しながら見学して歩いたり。

ただし、注意点がふたつあります。

ひとつは町で出会った人に、必ずあいさつをすることです。あなたが、この町にとって「敵」でないことを示すためにも、しっかり声に出して、丁寧にあいさつしましょう。久之浜の町は地震と津波、火災、原発事故、さらに盗難の五重苦に見舞われたといわれています。

もうひとつは敷地内に入らないようにすることです。建物が撤去されていても、そこは人々の生活があった場所。楽しいことや悲しいこと、さまざまな思い出が詰まった特別な土地なのです。
とくに、敷地をロープなどで囲っている場合は、決して立ち入らないようにしましょう。まわりでは写真も撮らない方がいいかもしれません。

久之浜の光景から何が聞こえますか?

ここからは写真で久之浜の町の様子をご紹介します。写真を撮影したのはおもに2013年3月7日です。

久之浜のお祭り「奉奠祭」のステージとなる辺りから南東の方角、海の方を見ています
久之浜のお祭り「奉奠祭」のステージとなる辺りから南東の方角、海の方を見ています
北町の人々の心の拠り所となっている星廼宮神社の仮神殿です
北町の人々の心の拠り所となっている星廼宮神社の仮神殿です
蔭磯橋は地盤沈下と漂砂の影響で砂に埋もれそうです。ここからは海辺を歩きます
蔭磯橋は地盤沈下と漂砂の影響で砂に埋もれそうです。ここからは海辺を歩きます
防波堤から町を振り返るとこんな光景です。「空襲の跡みたい」と言った人がいました
防波堤から町を振り返るとこんな光景です。「空襲の跡みたい」と言った人がいました
堤防の護岸は壊れたままです
堤防の護岸は壊れたままです
新たにかさ上げされる堤防の高さが表示されています
新たにかさ上げされる堤防の高さが表示されています
激しく破壊された堤防の向こうに久之浜の町が広がっています
激しく破壊された堤防の向こうに久之浜の町が広がっています
堤防の護岸には消波ブロックが点々と残されています。震災直後には同じように自動車が護岸にとり残されていました
堤防の護岸には消波ブロックが点々と残されています。震災直後には同じように自動車が護岸にとり残されていました
かつて献花台が設置されていた場所にいた方々は九州からいらしたそうです
かつて献花台が設置されていた場所にいた方々は九州からいらしたそうです
防波堤工事開始を控え、献花台が防波堤から移動していました。3月7日の風景です
防波堤工事開始を控え、献花台が防波堤から移動していました。3月7日の風景です
海辺から住宅街に向かいます。細い路地のアスファルトが火災で焼け焦げています
海辺から住宅街に向かいます。細い路地のアスファルトが火災で焼け焦げています

住宅地の中には、跡地に花壇や祭壇を設けているところもあります。色とりどりの花を囲むのに使われているのは、家の瓦や食器、庭石など、思い出深いものたちなのでしょうか。

海のすぐ近くにも関わらず、奇跡的に社殿が流されなかった稲荷神社の周辺は、津波の勢いが激しかったところだといいます。建物が撤去された跡に祭壇が設けられた敷地が点々とみられます。
三月のひな祭りのメッセージや色紙が飾られた祭壇の様子は、涙でよく見ることができませんでした。

いったん十字路に戻り、商店街だった通りを南に向かいます。無傷に見える建物が通りに沿って3棟。遠くに見えるのは土蔵です。手前に向かい合って残っている二棟の左側は駄菓子屋さんのあかもの屋さん、向かいは食品スーパーのはたやさん。どちらのお宅も1階は津波で大きな被害を受けています。

そして、この商店街は津波とともに火災でも大きな被害を受けた場所。街灯に注目してください。

火災で焼かれガラスが溶けています。
震災の当日、町の消防団の人々は火を消すために奮闘しましたが、繰り返し出される津波警報のたびに避難を余儀なくされ、消失面積が拡大していったのだそうです。消したいのに消せなかったくやしさ。ここは自分たちが生まれ育った町なのに。
溶けた街灯のガラスは、町の人たちの無念を物語っているようにも見えます。

商店街を200メートルほど南に歩いて振り返ると、意外なほどの高度感に驚かされます。
でもこの辺りでも、激しい勢いの津波で1階が水没するほどの被害に見舞われました。

久之浜の復活に向けて、震災直後にボランティアさんたちの拠点ともなっていた諏訪神社です。
こちらの社務所を前線基地として、側溝の泥出し、解体される住宅の片付け、数々のイベント企画など、町の再生と発展を目指すさまざまな活動が展開されました。

さらに南へ進むと、浜風商店街のアイドル的なおかあさん、斉藤キヨ子さんが九死に一生を得た自宅店舗があります。町の人たちの心を鼓舞する言葉が胸を打ちます。この場所は1階の天井まで浸かる津波に襲われる中、80代の女性がひとりで生き延びた場所。そこにこんな言葉が並んでいるのです。

人間のすごさを感じさせられる場所です。


さて、ここまで歩いたら、そろそろ浜風商店街に向かいましょうか。久之浜は町がコンパクトなので、町の見学時間はゆっくり歩いて回っても1時間半くらい。商店街には、これまで見て回った町に住んでいた方たちがお店を出していらっしゃいます。

商店街へは来た道を少し戻って、高木屋旅館さんの角を西に曲がります。ちょっと分かりにくいので地図をご確認ください。

浜風商店街は駅向こう。いわき市立久之浜第一小学校のグラウンドにあります。
高木屋旅館前を西に進み、南荒蒔の交差点を渡って、常磐線の線路は南側の小久街道踏切で渡ります。

だまし看板!
だまし看板!
この踏切を渡ります
この踏切を渡ります
踏切の名は小久街道踏切
踏切の名は小久街道踏切

線路を南に迂回していくと、踏切のところに浜風商店街の案内看板。しかし、方向が正反対です。
この看板、逆方向から来る人のために設置されたものなのに、なぜか風で回ってこちら向きになっていることが多いのだとか。要注意ですよ。

線路を渡って5分ほど。高木屋旅館さんからだと10分ちょっとで小学校に開設された「浜風商店街」に到着です。

商店街は震災の記憶を伝えてくれるベース

商店街のほぼ真ん中にある「久之浜ふれあい情報館」には、震災当日の写真や、かつての町並みを再現した模型など、現在までの久之浜のあゆみを伝える資料が取り揃えられています。
さらに、地震と津波の後に発生した火災に商店街が呑み込まれていく様子を撮影した写真も。とてもつらい写真ですが、あの日、久之浜の町で何が起きたのかを伝えています。

浜風商店街に入居しているお店が付箋で示されています
浜風商店街に入居しているお店が付箋で示されています

それだけではありません。ふれあい情報館でお話を聞いていると、商店街のお店の人たちがやってきて、あの日のこと、いまの生活のこと、将来のことなど、たくさんお話を聞かせてくれるのです。

初めての人でも、まるで「お帰りなさい」と呼びかけるかのような親しみを込めて、お店の方たちの方から話しかけてくれます。

「伝えたい」という皆さんの気持ちを大切に、たくさんお話を伺ってください。

コーヒーでも飲んでいかない?

商店街で声を掛けられたら、ぜひお茶していってくださいね。

浜風商店街にお店を出しているのは、上の写真の皆さん。
入り口から順に紹介すると、

あかもの屋さんは駄菓子屋さん。かつての子どもの「おとな買い」も大歓迎!
からすや食堂さんはラーメンとカツカレーと餃子が絶品。目指せ全メニュー制覇!
シューズショップさいとうさんには、津波から生還したキヨ子さんがいます!
石井魚店さんは町で人気の魚屋さん。丁寧につくられた干物は最高です!
プラネットさとうさんは電器屋さんですが、商店街のお茶っこベースです。
スガハラ理容さんに行けば、津波から復活した奇跡のハサミで調髪してもらえるかも。
白土設計事務所のご主人は津波で全身傷だらけになりながら消防団を指揮した人!
リカーランドてんぐやさん。津波で商品はダメになったけど、復活にむけ前進中。
商店街のまとめ役、食品スーパーのはたやさんの人気商品はお弁当やお惣菜。

一緒にお茶を飲みながらたくさんお話をして、
当時のことや被災地の現実を少しでも理解して、
美味しいものを食べて、できればお土産も買って。

そうして、被災地・久之浜の皆さんと知り合い・友だちになってください。

いつか久之浜から被災地という形容詞が外される日まで、いえその後もずっとずっと、友だちでいられたらいいですね。

その第一歩。このGWに始めてみてはいかがですか。

ちなみに、帰りの列車時刻の候補はこんな感じです。

常磐線普通電車   17:01久ノ浜発⇒17:16いわき着
特急スーパーひたち58号   17:20いわき発⇒19:36上野着

もう1本後なら、

常磐線普通電車   17:50久ノ浜発⇒18:05いわき着
特急スーパーひたち62号   18:20いわき発⇒20:35上野着

GWや春休みのご予定にぜひ!

 ほぼ同じ内容のテキスト版「息子へ。被災地からの手紙(2013年3月8日)」
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 関連ページ「浜風商店街」
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 関連ページ「久之浜」
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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

最終更新:

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  • H

    habihabi64

    どこにもないガイドブックで、子供達を連れて浜風商店街に行きたいと思いました。伺った際にはしっかり「こんにちは」が言えるよう、被害に合われた町でのマナーに気をつけます。そして久之浜で子供達が感じる思いを知りたいです。