海辺の地をゆく「石巻市・中瀬」2012年11月20日

iRyota25

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2012年11月21日(622日目)の宮城県石巻市・中瀬

旧北上川の河口を中心に町並みが形成されてきた石巻。川の中州の中瀬は、大河と海をつなぐ港として、江戸時代から栄えてきた。江戸の町で流通していた米の半数が、伊達藩や南部藩などから石巻経由で運ばれたものだったといわれるほど。明治になって年貢米の運搬がすたれた後も、漁港があり、魚市場があり、さらに劇場や造船所が立ち並ぶ中瀬は石巻の中心だった。

石巻市の南部、日和山から見た中瀬(この写真は2012年10月21日の撮影)。たくさんの建物が立ち並んでいた中瀬は、東日本大震災の津波によってほとんどが流された。残っているのは石ノ森萬画館と歴史的建造物として有名なハリストス正教会教会堂、そして自由の女神くらいしかない。ちなみに、市から「まんがによる町おこし」を依頼され、石巻を訪れた石ノ森章太郎は、日和山からの中瀬の景色がニューヨークのマンハッタン島に似ていることから「マンガッタン」という愛称を提案したという。1995年のことだ。その頃にはまだ、石ノ森章太郎が通った映画館、岡田劇場はもちろん、中瀬には建物が立ち並んでいた。

マンガッタン島の先端、マンハッタンならバッテリーパークにあたる場所。右奥に見える日和大橋の向こうは太平洋。崩れた護岸を北上川の流れや上げ潮の流れが洗う。

ほとんど更地になってしまった中瀬には、陸と水をむすぶレールや巨大な鎖が何カ所も残っている。かつて造船所だった跡地だろう。

これも造船所の設備だろうか。建屋が流された跡に、重たい設備機械だけが野ざらしになっている。

がれきはほとんど片付けられているが、生活の匂いがするものを見つけると切なくなる。

「中瀬マリンパーク(海事公園)」という施設のシンボルだった自由の女神は津波に耐えて生きのびた。ニューヨークの自由の女神の1/7レプリカでFRP製。設置された当初は「どうして石巻に自由の女神なんだ」と非難する声も少なくなかったと聞くけれど、いまは半身が壊れた姿で石巻を見守っている。

単管を組んで養殖ブイで浮かべた仮設のピア。廃墟になった中瀬にあって、ここは明るさを感じる。

ここも未来に向けての明るさが感じられる場所。

石ノ森萬画館近くでは、護岸工事の基礎の下に入れる割栗石にメッセージを書き込むためのテーブルが。

2012年10月17日の石ノ森萬画館ReOPENに合わせてスタートした企画だ。

ペンはデスクの引き出しの中に入っているので、興味のある方はぜひ!メッセージが書かれた石が、石巻・中瀬の防波堤を末永く支えていくことになります。

中瀬の象徴、石ノ森萬画館。世界の漫画ファンと石巻をむすぶ存在であるばかりでなく、いまでは、石巻の人々と水辺の暮らし、海辺で発展してきた石巻の歴史をむすぶ役割も担っている。石巻に来たら、歴史と現実と未来を感じられる場所、中瀬へぜひ!

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

最終更新:

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  • O

    ockn1006

    復興への願いを重ねているかのような「自由の女神」ですね。
    設置当初は似つかわしくない存在だったのかもしれませんが、写真で見る限り、欠かせない存在に見えます。

    • I

      iRyota25

      つくられた時には、日本中にたくさんある自由の女神像のひとつに過ぎなかったかもしれませんが、いまでは震災の象徴になっているようです。荒涼とした空地となった中瀬にぽつりと立っている姿は、かなりインパクトがあります。