――そんな活動もされていたんですか。
私は、子供たちもみんな手が離れて身ひとつだからね。動けるうちは動きましょうって思ってやってます。国会議員の岡崎トミ子さんにはね、仮設の追加工事を働きかけてもらったけど、電動自転車30台とかも支援してもらいました。私たちみたいな普通の人間が何とかしたいと頑張ってることを、町会議員とか偉そうな人はみんな自分の手柄にしたりするんですけどね。
でもね、やんなきゃならないことは、まだまだいっぱいあるんだ。
これから、あっという間に冬になるでしょ。この冬、老人がどう過ごすのかはたいへんな問題なんですよ。私が考えているのはね、来年の春をみんな笑顔で迎えようってこと。たとえば、仮設住宅の敷地内に集会所を作りました!って言ったって、できたからいいってもんじゃないんです。集会場に出てこられない人、出ていきたいくない人もいる。そんな人たちが家に閉じこもってしまったらどうなると思う?
大切なのは、仮設で出会った人には、知らない人にでも声を掛けること。「お元気ですか。寒くなってきたから風邪ひかないように気を付けて下さいね」とか、少しでも話をするようにしています。単純なことだけど、これがほんとに大切なんだ。そうやって、孤立したような気持ちになる人が出ないようにしているんです。
――冬を乗り越えることって、外側の人間が想像する以上に厳しく切実な問題なんですね。
来年の春をみんな笑顔で迎えるためにはね、私は仕事を用意しなきゃいけないと思うんだ。たとえば、みんなで集まってミシンとか使えたらどうだろうとかね。
でも、さっき言ったみたいな状況だから、避難している人が自分でミシンを買うなんてことは無理なんです。だから、ボランティアの人にお願いしてミシンを10台用意してもらいました。それを仮設の集会所や、縫物をやりたいって人に貸し出して、11月からは火曜日の午後に手習い教室も始めました。自分の部屋に閉じこもってないで、何かを作って、それを使って発信していけるといいと考えたんです。
――目標ができるし、仮設の中で友だちも作れそうですね。
冬を乗り越えるためにお願いしたい支援
でもね、規制とかの問題もあるんです。作ったものを売れたらいいんだけど、仮設住宅のルールで、仮設の団地の中で物を売ることはできないし、それどころか売る物を作るのもダメなんだ。店を再開する上での規制もあるんですよ。仮設に入っている人の中には、自分の店を流されてしまった人もいます。酒屋さんだったりタバコ屋さんだったり。津波でやられた女川の町中には、いま商店がありません。だから、仮設店舗でもあればみんな助かるんだけど、酒屋やタバコ屋には販売規制があって別の場所では営業できないんだそうです。
――ルール上は登録した場所でなければ営業できないということですね。しかし、その場所は津波の被害で何もなくなっていたり、がれき置き場になっていたりする。
しかも、そういうお店をやってた人たちが、大人4人で仮設1部屋で生活しているんです。見てもらえば分けるけど、仮設住宅に大人4人が入居したらどうなります?地獄ですよ。座るところも寝るところもない状態になるでしょう。
もしもお店を出せたら、少なくとも昼の間は家族も息が抜けるでしょう。開いた店の隅っこの方でも借りてミシンを置かせてもらえば、そこで売る物も作れるし、みんなが集まる場所にもなる。酒とかタバコの営業許可が難しいんなら、雑貨品とかを売るだけのお店でもいい。
――お店を出すというだけで、いくつもの問題がいい方向に向かうんですね。それに集会場とは違って、人が自然に集まれる場所になりますね。引きこもった人が買い物に来た時に普通にコミュニケーションすることもできそうです。
だからね、いまトレーラーハウスなんかを貸してもらえるところを探しているんだ。
――トレーラーハウスなら大丈夫なんですか。
うん、役場に確認しました。酒やタバコの規制を抜きにすれば、基礎を打つ建物でなければお店をやっても大丈夫なんだって。トレーラーハウスじゃなくても、仮設の事務所みたいなのでもいいんだ。
――工事現場によくあるスーパーハウスのような、トラックで運べるユニットハウスでもいいんですね。
そう。外側はどんなものでもいいんだ。仮設のお店に使えるものがあれば、女川の町で商売が再開できる。そこはみんなが集まれる場所になる。とっても大切なことなんです。
――東北の厳しい冬に、どうやってコミュニティを維持するか。この場を借りて、私の方からもご支援をお願いいたします。
前に向かうことは、振り向かないこと
私はほんとはね、3月15日に関東にいる子供たち孫たちに会いに行く予定だったんだ。でも、こういう運命だったんだって思うことにしてるんです。
「前を見て歩こう」。それが私なの。いろいろ大変なこともあるだろうけど、前進あるのみなんです。
――地震の当日も、避難所でも、仮設に入居されてからもですか。
動いてないと、いろいろなことを思ってしまうから。くやしいとか、情けないとか。そういうことを思い出すのがイヤなんです。前に進もうと言いながら、くよくよしているのって、それでは前に進んでることにならないんです。
できるだけ先手を打って、いろいろな対応を考えて、この冬を仮設の団地のみんなが元気に乗り越えられるように、動き続けるんだ。それが私というものだからね。
石田志寿恵さん
34歳の時、ご主人を交通事故で亡くす。残された5人のお子さんを育て上げ、女川町で1人暮らしを始めて数カ月、石田さんは今回の震災に見舞われた。「自分は1人だから、動けるかぎりは動こう」。そんな考えで、避難所でも仮設住宅でも飛び回ってきた石田さんは、地元女川の主婦の星、希望の星だ。
編集後記
石田さんと出会ったのは新田地区の仮設住宅で炊き出しボランティアをしている時のことでした。
となりの仮設団地に住む石田さんたち主婦4~5人がボランティアとして、野菜切りなどの仕込みを手伝いにやって来てくれたのです。郷土料理の話に始まって、地元出身の中村雅俊のお決まりジョークの話、切れない包丁の話などなど、青空の下の厨房はにぎやかな井戸端会議の場に一変。明るく元気な主婦パワーに圧倒されました。そして、そのパワーは料理やおしゃべりだけでなく、町の未来に向けても注がれていることを、翌日お話を伺って知りました。石田さん、お元気ですか。その節はお世話になりました。そちらは寒くありませんか。私たちも、自分たちにできることが何なのかしっかり考えて、少しでも皆さんのお力になれるように頑張ります。(2011年11月17日~18日取材)
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