なかなかキレイでしょ。女川町の清水地区仮設団地に住む石田志寿恵さんが、3本の糸を合わせて編み上げた小物入れ。ひとつ5時間くらいかけて丁寧に仕上げた手作り品です。石田さんと仲間たちは、浴衣を利用したシャツやパジャマ、着物を使ったのれんやカーテンなどさまざまな手芸品を手掛けています。
なぜって、
冬の仮設住宅に引きこもっていたら、気分までふさいでしまうから。
「手芸品を作って、わずかの値段でもいいから販売したら、気持ちに張りが出るでしょ。前に向かおうって気持ちが今はとってもたいせつなの」
手仕事をとおして、みんなに少しずつ元気を届ける活動。まずは石田さんの作品をご紹介しますしょう!
金糸を編み込むとこんな色合いも出せます。
こちらは銀糸を入れたもの。クールでおしゃれです。金と銀の糸は神奈川にいらっしゃる娘さんが送ってくれたものだとか。
編み込む糸によって風合いが大きく変化するのが魅力。しかも、糸の合わせで色が変わるので、すべてが世界にひとつだけの品物です。
編み方を工夫してペットボトル入れにも。
いまは、すべて自室で作業しています。石田さんはひとり暮らしですが、家族が多いと作業も大変です。「仮設は狭いから、布を広げて作業していると大変なのよ。食事の時にはもちろん片づけたりしなければならないし、電気代もかかるしね」
同じ色の糸でつくっても、右と左で色合いが違うでしょう。これがこの手芸品の魅力です。「プレハブでもいいんだ。みんなが集まれて、作業できる場所がほしい。実はね、土地は貸してくれる人がいるんだ」
「お客さんが買いにくることができて、仮設の人たちが顔を合わせて作業できる場所。そんな場所を作れたら、来てくれた人に清水の辺りの被害についても知ってもらえるんだけどね」
女川町の仮設住宅の人たちは、先が見通せない中で「遠い復興の時間」を生きています。災害復興住宅の着工といったニュースも聞かれますが、まだそれは例外中の例外。女川では、まだまだ先の見通しが立っていません。震災直後から「2年で復旧」「3年たてば復興が目に見えてくる」と言われてきました。でも、震災から2年近くが過ぎても、町はまだ更地のままです。がれきが撤去されただけの状態です。
復興までの時間がどんどん延びていくということは、それだけ『兵糧攻め』が続くことを意味しています。たとえば基礎年金だけで生活しているような人たちにとっては、精神的にとてもつらいことなのです。でも、生きがいになることがあれば、前を見て行ける。「たとえ何千円かにしかならなくても、自分が作ったものを来てくれたお客さんに買ってもらえたら、いいなあって思うのよね」
「それにね、女川に来てくれる人たちって、町とか港とかしか見ないでしょ。私はね、清水の状況を見てほしいのよ」
石田さんたちが生活している清水地区仮設住宅が海からどれくらい離れているのか、クルマのトリップメーターで測ると港から2.5kmでした。入り江の一番奥からでも2.0kmあります。周囲は山間の里といった雰囲気の場所。海辺の集落といった雰囲気はまったくありません。しかし津波は清水の集落を全滅させました。山に逃げた人たちは、津波に乗った大きな漁船が谷あいを突っ走るのも目にしています。
女川では町の中心部や海沿いの集落だけでなく、海から遠く離れた山近くの集落も壊滅的な被害を受けているのです。復興の時計はまだほんのわずかしか進んでいません。
石田さんと仲間たちは、いままだ商品の試作品を作っている段階です。どうやって販売するかもまだ決めていません。
「最初はネット通販とかになるだろうけど、本当は少しでも早くプレハブのお店を出せたらいいなって思うんだ。みんなに女川の山間の集落に来てほしいんだ」
石田さんを応援してくれる方のご連絡をお待ちしています。写真をきれいに撮れる方、デザインが上手な方、ネット通販に詳しい方、そしてもちろん店舗用プレハブの情報をお持ちの方。みなさんのご意見も参考にして、女川町清水仮設のおばちゃんたちを支援する枠組みをつくっていきたいと考えています。
「復興」はまだまだこれから。いまからが正念場です。
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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
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