息子へ。被災地からのメール(2012年11月27日)

iRyota25

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◆ 11月27日・陸前高田のまちなみ

今日は陸前高田で午後から取材の予定。午前中、気仙沼の街中を歩きながら、漁船の船乗りさんとカツオ漁やカジキの突きんぼ漁の話をしていたら、はらりと風に乗って白いものが舞った。船乗りさんと顔を見合わせちゃったよ。

初雪。

これから、東北は寒い季節を迎えるんだなぁと、ちょっとしんみり。

陸前高田に向かって県境を越えたあたりから、雪は吹雪になった。といっても積もるような雪ではなかったけどね。それでも仮設商店街の駐車場に入ってくる車の中には、フロントグリルのあたりに雪をびっしりと載せたのもある。海近くの山の稜線も枯れ木と雪の墨絵のような景色になっていた。

そんな天候の中で訪ねたのは、陸前高田の気仙町にあった和菓子の老舗・木村屋さん。震災前から和菓子だけでなく洋菓子も作るようになっていて、ゆべしや雁月といった伝統的な和菓子も洋菓子もどちらも地元で人気だったんだ。震災後、陸前高田の奇跡の一本松をイメージして作られた「夢の樹バウム」というバームクーヘンは有名だから知ってるかもね。

でも、今回はお菓子の話ではなくて、町づくりの話を2時間以上の長時間にわたって聞かせてもらった。

気仙町エリアは伊達正宗の時代から陸前高田市、大船渡市、三陸町の中心として栄えてきた歴史のある町。震災前から訪れる人も多く、「すてきな町ですね」「いい雰囲気ですね」と訪れる人たちから言われることがよくあったのだとか。でも言われた木村さんは、どうしてそんな風に言ってもらえるのか、ずっと不思議だったと言うんだ。

「京都や仙台みたいに歴史的街並みが残されている訳ではなくて、町の中に古い建物が点在しているだけ。住んでる方にしてみれば、なんだか継ぎはぎだらけの町みたいに思っていたんです」

震災と大津波で陸前高田市の中心部は文字通り壊滅した。街並みも何も残らなかったと言ってもいいくらいだ。

「それでも、そんな姿になった町に来てくれる人が同じことを言ってくれるんです。いい町だと」

木村さんは少しずつ理解するようになったんだという。陸前高田の魅力は、建物とか街並みといったハードだけじゃなくて、そこに住んでいた人たちの生活感とか、訪れた人への対応といった“ハート”にあったんだろうと。

震災で壊滅した町を再建する話が立ち上がった当初には、気仙町の歴史的な街並みを映画のセットみたいに人工的に作り上げようというプランも提案されたという。でも、外部の人たちが提案した構想は立ち消えになった。町に暮らしてきた人々の中に当たり前のものとして継承されてきた思いやりとか、外から来た人をもてなす気持ちとか、そんな目に見えないものの方が大切だと地域の人たちは知っていたんだという。

「ちょっとぶらぶらしてみたい。あの人に会いたいからまた来たい」

ゼロから始まる陸前高田の町づくり。そんな風に思ってもらえるような町にしたいと陸前高田・今泉地区明日へのまちづくり協議会の代表理事も務める木村さんは話してくれた。

日本の原風景みたいな、あたたかい気持ちになれる町が、廃墟となったこの場所から、もう一度立ち上がっていくことを半分期待、半分以上確信したよ。ただそれは、10年とか20年とかの時間が必要になる仕事。

木村さんは以前、地元の新聞にこう話していた。

「歴史や伝統を継承しながらも、若い人が住みたくなるまちにしたい。子どもたちも含め多くの意見を聞き、地域をつくりたい」(岩手日報 2012年9月22日)

まちづくりの主役はお前さんたちの世代なんだ。

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