ポンちゃん

Kazannonekko452

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なんで「ポンちゃん」って呼ぶか?

それはホームランをポンポン連発するから。

戦後のプロ野球黎明期、川上の赤バットの向こうを張った青バット。昭和21年に放ったホームラン数は、全球団の約1割。

いまだに破られない、飛距離170メートルのホームランや、1試合7打数7安打の大記録。ルール違反の竹製バットで猛打賞。

竹バットのことを自分でバラして罰金を喰らった、なんてこともあった。

昭和27年からは、都落ちした三原さんの西鉄ライオンズに移籍。それまで所属していたチームとの対戦で、スタンドからヤジられると、

観客に向かってペコリと一礼。どこまでも憎めない人だった。

西鉄ライオンズの日本シリーズ3連覇に、不動の四番バッターとして貢献。

若手選手を自宅に下宿させ、毎晩のように飲み歩いた。遊郭あそびもした。面倒見がよすぎて、手元にお金が残らなかった。

二枚目で女からも男からもモテたけど、子供たちにも大人気だった。

握手してもらった、野球を教えてもらった、一緒に写真を撮ってもらった、なんてうれしそうに話すオッちゃんが、今でも北九州や福岡にはたくさんいる。

福岡の自宅はいつも子供たちに解放されていたんだとか。

引退した後も子供たちと遊び続けた。たくさんの少年チームを指導した。少年野球チーム大下フライヤーズも作った。

56歳という若さで亡くなったけど、死の遠因となった脳血栓で卒倒した時も、少年野球の指導中だった。

ポンちゃん。お名前は大下弘さん。

あの三原さんに、名打者を5人選ぶなら、王、大下、川上、中西、長嶋。3人に絞れば大下、中西、長嶋。1人選べば大下だと言わしめた。

ポンちゃんみたいな野球選手にはもう会えないのかな。

ちょっと大人向けのエピソードだけど、こんな話も残っている。

ポンちゃんの奥さんは、素人に手を出さないことを条件に、大下さんにお小遣いとは別に「生理休暇代」を渡していた。

ポンちゃんが、もっと増やしてほしいとねだると、「何を言っているんですか。必要な場合は私が出前出張します」

って言って、「ちょーだい」って出してたポンちゃんの手をはたいたんだって。

人間だなあって思う。

ポンちゃんみたいな人に会ってみたいと、心から思う。

西鉄の全盛期を知る人たちは、三原脩監督のことを今でも「三原さん」と呼ぶ。まるで知り合いのように。(うちの母もそうだ)同じように、ポンちゃんのことも、女性だったら「大下さん」、当時こどもだったオッちゃんたちは「ポンちゃん」と呼んでいる。

誰か、ポンちゃんのこと、映画化してくれないかな。

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