いろいろ辛いことがありすぎて
涙を流すことも忘れてしまった3月11日以降
この話を聞いたとき
なんだか、とてつもなく悔しくてくやしくて
体中の血が逆流するようにカーっとなって
はじめて泣いた
私の3番目の息子
震災当時2歳半、オムツをつけていた
お義母さんは自宅玄関に津波が入るのを見届けながら車を高台へと発進させた
夜にはエンジンをかけた宮城交通のバスの車内へ入れてもらえた
ただならぬ様子を感じ取ったのか息子は一度も泣かずに一晩過ごしてくれた
一度だけ話したセリフが
「おなかすいたな、のどかわいたな」
お義母さんは積もった雪を口に入れようとしたけど拒まれてしまったって
翌日、廃校になった女川第三小学校へ避難するとその地区の人たちが協力し合って津波被害の無かった家から食料をかき集め炊出しがあった
小さな湯のみ茶碗に半分くらい入った
玄米と焼きそばのような麺を煮込んだ、おじやのようなもの
息子は手に取ると瞬く間に平らげて
「おかわり~!」
と笑顔で言ったんだって
すると配っていたおばちゃんが
「何言ってんの!おかわりなんかあるわけ無いでしょ!」って・・・
息子は2歳半
おかわりすれば家族が誉めてくれるから
昨日のお昼からなんにも食べてないから
やっと食べ物を口にして、つい言っただけなんです
おばちゃんもきっと切羽詰ってたんだとおもうけど・・・おもうけど・・・
2歳半の子が非常事態を理解できるはずがない
お義母さんはその言葉にショックを受けて、ひとこと言いたかったけど
そよ者の自分ら家族を避難所に入れて食料を分けてくれてる人たちに
なんにも言い返せなかったって
泣きながら「こうちゃん、おかわりなくてごめんね、がまんしてね」って
だまし続けたって
これ書きながら今も泣いてしまってる
そのときそばにいれなくてごめんね
そのときおなかいっぱい食べさせてあげられなくてごめんね
震災でいちばん悔しかったこと・・・
那須野公美
これ一枚しか無く、あとはみんな流されてしまいしばらくずっと着ていた。
大切に大切にとっておきたい。
大人になったら当時の思い出と一緒にこれを見せてあげたいとおもう。
最終更新: