岩手県大船渡市から国道45号を北上。三陸道路と呼ばれる自動車専用道路区間が終わって、坂を下ったあたりから海沿いへ。
地名は越喜来。「おきらい」と読む。吉浜村、越喜来村、綾里村が合併して気仙郡三陸町になった後、2001年に大船渡市に編入された海辺の町だ。
45号から海に向かってすぐの場所に、赤いレンガ風の印象的な建物が建っている。
大型土嚢に隠れたあたりに立派な石造りの標石がって、「三陸町中央公民館」と記されていた。
遠くから見る限り、構造体としては残っているようだが、窓ガラスがほとんどない。国土交通省の資料によると、この辺りは15メートルを超える高さの津波に襲われたのだという。
(左)天井から衣類が垂れていた。
(中)天井を見上げると、天井裏へのハッチの割れたところに本が引っかかっていた。
(右)窓の外には、さら地になった風景が広がる。
時計があった。
指し示された時刻は、3時23分の少し前。
全面ガラスの下から3分の2辺りに、水で付けられたような跡がある。時計の中に溜まった水の高さを示すものだろう。津波ははるかに高く、2階以上のものまで壊していったのだから。
(左)エレベーターがひどいことになっていた。頑丈そうに見える扉も歪んでいる。
(中)エレベーターホールの天井にはゴミ箱があった。
(右)本来なら見えるはずのないエレベーターのタワー内部。玩具の車が引っかかっている。
海がすぐ近くに見える場所だが、国土地理院の「標高がわかるWeb地図」で調べると、この辺りの標高は9メートルほどもある。この地を襲った津波は、どれほどの力を持っていたのか。空恐ろしくなった。
これも、エレベーターのタワー内部。
津波は、あってはならないものを、そこに運んでくる。やすやすと。
真ん中の写真の窓に残されていたのは、長座布団だった(右)。これも、あってはならないもの。
建物の奥はステージのあるホールだった。
津波はホールを突きぬけることはなかったようだ。それでも、この空間で押し止められた津波は、ホールの内部を破壊していった。
客席が床ごと崩れ落ちそうになっている。
行き場を失って暴れ狂う津波の波の音が聞こえてこないか。
津波の破壊力は、想像を絶しています。
この場所は標高約9メートルの場所なのです。それでも、津波が去った後には、あるべきではないたくさんのものが、あるべきでない場所に残されていました。
本も毛糸もおもちゃも長座布団も、みんな誰かが愛用したものなのです。
建物を出る時に、正面玄関だった場所に「立入禁止」と書かれた看板が置かれていたのに気が付きました。ごめんなさい。
それでも、写真を公開させていただきます。少しでもたくさんの人に、津波の恐ろしさを考えてもらいたいと考えるからです。
この場所に、ツバメたちだけではなく、多くの人たちの声が響く日が、早く訪れることを願います。
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
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