以前に祖父のことについて書いた通り、カナダ人の親戚がいます。そのうち、父の従兄弟にあたる方とその旦那さんと我が家は年に数回程度で連絡をとる間柄です。と言っても連絡を取るようになったのはここ数年のことです。
戦争が終わり、単身で日本に戻った私の祖父、カナダに残った祖父の家族(現在カナダで暮らしている親戚の親や祖父母)が当時どんな体験をしたのか。について特に旦那さんが熱心で、来日以降も調べ続けているのだそうです。昨年から今年にかけては新型コロナの影響で日本に来る機会がなくなってしまったのですが、手紙(国際郵便)でのやり取りの中で調査の進捗状況を伝えてくれます。
手紙に添えられていた書類
直近で送られてきた書類は8つに分かれて数枚ずつの紙にまとめてられており、それぞれ最初の紙には手書きの番号(4~5桁)だけが表示された画面をコピーしたようなものから始まっています。
それ以外の紙には「British Columbia Security Commission(ブリティッシュ・コロンビア州安保委員会)」や「Information from R.C.M.P(カナダ連邦警察)」と頭に記載された手書きの記録用紙、「Powell street」のように日本人街があった場所毎に明示された資産管理局が発行した文書などがあります。
手紙の内容によると、カナダの西海岸に住んでいた祖父を含めた一家(日系カナダ人)は戦時中ブリティッシュ・コロンビア州の内陸に位置する収容所に抑留されたのですが、そこでどんなことが行われていたのかを知るため、第二次世界大戦の後半である1941年から1949年頃までの出来事を記録に残すプロジェクトが現地の大学で行われており、そこで公開されている文書を一枚ずつコピーしてくれたのだそうです。
この「8つ」というのは、記録が残されている人の数。祖父だけでなく、祖父の父母、兄弟、その家族といった計8人分の収容所の生活を送っていたことを示す文書が当時のまま残っているということでした。おそらくそれぞれに振られていた手書きの番号(4~5桁)は収容所における登録番号だと思われます。
以下のサイトで当時の出来事が書かれています。
内閣条例9591号、戦時特別法により、日本国籍を持つ人と1922年以降にカナダ国籍を獲得した日系カナダ人は2月7日までに敵性外国人名簿に登録を義務付けられる。
日系カナダ人の生命保険が取り消しになる。
内閣条例第1665号により、日系カナダ人の財産は敵性外国人財産管理人により「保護の名目のためだけ」に差し押さえられた。
翻訳サービスを使いながらコピーされた書類を読解していったところ、どうやら上記の出来事の関連書類のようです。所々字がぼやけていたり、黒ずんでいるため、書いてある内容の全てはわからないのですが、祖父を始め、日系カナダ人が戦時中に送っていた生活の様子を、この書類や上記出典元のWEBサイトで感じ取ることが出来ます。
サイトの年表を見ても、これまで本当に様々な出来事を経て今があるということがわかります。今回送られてきた書類もほんの一部だと思われます。これまでの歴史は時間をかけて丁寧に触れていく必要があると改めて感じました。
親戚が言っていたプロジェクトの詳細がわかれば、さらに詳しい部分まで見られるのかもしれませんので、引き続き親戚とやり取りをしながら調べたいと思います。
ちなみに・・・。
親戚からもうすぐ誕生日を迎える息子へ何かプレゼントしたいとのことでお金を送っていただいたのですが、何を買おうか悩んでいます。購入した後は実際に使っている様子を撮影して、その写真を送る予定ですが、印象に残るようなものがいいかなと思っています。(と言ったものの、まずは息子が喜ぶものであることが先ですね・・・)
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