思いついたら吉日、時間が空いたら、思いの向くまま気の向くまま、無計画な行き当たりばったり。ゆるゆると楽しむのが醍醐味、それが行きあ旅ばっ旅。
今回の秋旅は、「岩手県盛岡市」お目当てのべアレンビールの工場見学を終えて、次はどこへ行こうかな。
それにしても紅葉がキレイだわ~~~
石川啄木の母校、旧渋民尋常小学校へ
観光案内所でもらった盛岡市周辺の地図に石川啄木記念館を発見。紅葉もまだあるかもしれないし、行ってみるか。
明治初期の建物が、なんだか懐かしい。魂がそう感じているのかな。啄木の時代に自分もいたのかもしれないと思いふけってしまう。
啄木が家族と過ごした、旧斎藤家
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもいでの川
啄木
石川啄木記念館、啄木が夢描いたマイホームをイメージした建築
啄木の名前の由来は「啄木鳥(きつつき)」当時彼は、すでに環境問題に警鐘を鳴らしていた。啄木という名は世の中を変えたいという彼の願いだと思う。
渋民渋民9
盛岡城跡公園の紅葉
啄木の世界にどっぷりつかった後は、紅葉を見に岩手公園へ
広大な敷地には美しい紅葉。城跡ながら石垣とイチョウやモミジが渋いしキレイ。
公園敷地のところどころに文学碑、石川啄木はもちろん、新渡戸稲造、宮沢賢治詩碑もあり、日本の文人たちを感じられる公園だ。
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
石川 啄木
不来方とは盛岡城のことで、啄木はときおり学校を抜け出して、歌の世界を想っていたよう。
岩手銀行旧本店本館ともりおか啄木・賢治青春館
盛岡 材木町 よ市 2017 40年の歴史ある市場
べアレンビールじっくり飲み in 菜園マイクロブルワリー with Kitchen
生ベアレンビールをじっくり楽しむことができた。料理もどれもこれもおいしい。特に杜仲茶ポークは柔らかくて優しい味。なんでも杜仲茶の葉を食べて育った牛さんだそう。今度杜仲茶にお肉をつけて柔らかくなるか実験してみたくなった。
行きあ旅ばっ旅を終えて
今回も、行きあ旅ばっ旅から学べることがたくさんあった。あえて何も決めないで行けば、思いもよらない場所、思いがけない世界と出会える。
自分の関心を超えた、無関心だったけれど味のある世界。石川啄木も、新渡戸稲造も、終戦へ導いた米内光正海軍大佐(第37第総理大臣)も、盛岡出身。宮沢賢治は盛岡高等農林学校出身だ。啄木は没26歳、賢治は37歳、その短い一生を重厚な時間とともに生きていただろう。
26才で亡くなった啄木。私たちはその3倍も生きることができる。この忙しい社会、あれもしなければ、これもしなければならい、こうするべきだ、ああするべきだ、あれも欲しいこれも欲しい。
時間があると小さな理想と小さな不満に焦点があたるけれど、小さなことにとらわれず、せっかく先人たちより多くいただいた時間、もっと力を抜いて、前だけを向いて生きたい。
そして、べアレンビール醸造所やベアレン直営レストランを訪れて感じたのは、あの人身事故から立ち上がったベアレンは、まだ答えを出す過程なのかもしれない。答えなんてないように思う。人の命の意味は年月を経たからと言って出せるものではない。
ただ、ベアレンビールは社員同士の絆の大切さ、心から「仕事を楽しむ」ことを知っていると思う。ベアレン社員のみなさまの笑顔がそれを教えてくれた。天国に行ったら、笑顔で亡くなった社員へよき報告ができるように。
私も、笑顔で仕事がしたい。そして、いつか天国に行ったら、交通事故で亡くなった先輩に会って笑顔で仕事の報告がしたい。
仕事をしたくてもできなくなった先輩の分も、私たちが精いっぱい仕事を楽しもう、だから安心して天国から見守っていてほしい。
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