市道大町線

iRyota25

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とっても不案内なタイトルだと思う。だけど、わたしにはこう記すことしかできない。陸前高田市道大町線。その路面に刻まれた何か、その路面にしたたった汗、その路面にもしかしたら突っ伏して流した涙、そんないろんな思い出を、思い出を持つ人たちのために記録させていただきたいと思う。いつの日か、この道があったことをなつかしく思い出すことができる日が、かならず来るものと信じて。

「この道を七夕山車が通るのは、これが最後になります。力一杯、思いを込めて曳きましょう!」2016年のうごく七夕夜の部の出発に際して、大石祭組有志会代表の斉藤正彦さんは叫んだ。

それから1カ月も経たないうちに、鳴石の高台にあった「みんなの家」が撤去された。町は少しずつ新しいものへと造り変えられていく。それと同時に、古くからあったものは解体されていく。

そういうことだ。そういうこと。

そういうことなんだから皆んな誰も何も言わないんだけど。

少し前に陸前高田の第一中学校の仮設グラウンドがかさ上げ土地に移転したことをお伝えした。かさ上げされた土地の下にあった仮設グラウンドが、かさ上げされた土地の上に移るということは、積み上げられた土の山の間に谷間のように残されていたこの道が、いよいよ埋め立てられるということだ。

「校庭」のない中学校
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2016年から2017年へ。陸前高田「うごく七夕」〜被災から変わっていく町が生きる現実であるということ〜
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市道大町線を何度も行き来しながら撮影したので、写真の順番は行って戻ってしています。だけど、懐かしいこの道。私なんか震災後しか知らないのに、それでも懐かしいこの道が大量の土に埋もれて無くなってしまうのは悲しいです。

道の凸凹まで知っているのに。その凸凹の理由が上水道や下水道の管路があったから、つまり皆さんのお店やご家庭があった場所なのだというくらいのことは知っています。しかしわたしは、皆さんのこの道への思いの何分の一をも知ってはおりませんから。

よそもののわたしがあれこれしゃべるのはやめにしましょう。

記録のため。記憶のため。このページを記します。

皆さんがこころの中におさめられていらっしゃる思いを、ここで敢えて引っくり返しくはありませんから、このページの写真を静かなきもちでご覧いただけける方にだけ、お伝えしたいと思います。

わたしは陸前高田の大石の祭り組に「はまらせて」頂いたおかげで、大石地域の多くの方と知り合わせていただきました。大石の人たちにとって県道大町線は、小学校への通学路であり、同時に道草の道でもあったそうです(大町線どころか神社を越えて行ったり、帰り道では酔仙であれこれしたり)。そんなお話しを伺いながら、まったくのよそ者であるわたし自身まで、大石の人たち、高田の人たちと一緒に遊んでいたかのような、毎夜そんな夢を見ることがしばしばです。

陸前高田の方々が皆さんとてもやさしくしてくださるから、そんな夢を見ることが多いのだと思います。

皆さんがこころの中におさめられていらっしゃるお気持ちを、すべて受け止めることなど到底できることではありませんが、明日への動きを幾分なりともお手伝いさせていただければ幸いと願っております。

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