今年も開催される陸前高田気仙町の「けんか七夕」

iRyota25

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その「けんか」は一度見たら忘れることができない。肚の底にドスンと響くぶつかり合い。そしてお囃子。長い長い綱の引っ張り合い。

勇壮という言葉はこの祭りのためにあるのではないかと思えるほど、力強く魂を揺さぶる祭り。陸前高田の気仙町に長く伝わる七夕祭りだ。

けんか七夕の山車は基本的な構造は高田町のうごく七夕とほぼ同じだ。太鼓や笛のお囃子が乗り込む山車全体に美しい飾り付けが施され、向きを変えるための梶棒という長い一本丸太が据え付けられている。

この一本丸太の梶棒を互いの山車にドスンとぶち当てて、押し合って(綱を引き合って)勝敗を決する。勇壮な祭りだから細かい決まり事はない。ただぶつけ合って押し合うだけというシンプルさ。シンプルだからこそ勇壮なのだ。

ぶつかり合う山車と山車◇必見!陸前高田「けんか七夕」
 ぶつかり合う山車と山車◇必見!陸前高田「けんか七夕」
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今年は会場を気仙川の東岸に移して開催

そんな気仙のけんか七夕だが、今年は開催が危ぶまれていた。今年も、といった方が適切かもしれない。震災では4基あった山車の3基が流された。震災の年は残った1基だけでけんかなしの七夕となった。全国からの支援でけんかは復活したが、気仙町地域は復興に向けての造成工事が遅れに遅れている。工事の遅れが幸いして、昨年は元々の町の中心部だった今泉地区でけんかを開催することができた。

気仙町の人たちにしてみれば工事は早く進んでほしい。しかし、工事が遅れたおかげで祭りが開催できることになった。去年のけんか七夕が複雑で辛い思いの中にあったことは想像に難くない。だからこそ、将来の不安を吹き飛ばそうと勇壮なけんかが繰り広げられたのだろう。

去年のけんかの会場周辺
去年のけんかの会場周辺
かさ上げの盛土が迫る
かさ上げの盛土が迫る

しかし今年は造成工事が本格化したため、元の場所で祭りを行うことができなくなった。いよいよ開催の危機かと思われたが、今年は気仙川を越えた東岸で開催することになった。

今年のけんか七夕会場

2016年けんか七夕会場から東を見る
2016年けんか七夕会場から東を見る

今年のけんか会場から東を臨むと、そこは高田の町のかさ上げ工事現場が広がる。大型ダンプや大型重機が走り回る造成工事のど真ん中。

2016年けんか七夕会場から西を見る
2016年けんか七夕会場から西を見る

けんか会場の西を見れば、川の向こうに今泉地区の造成工事現場を臨むことができる。古い町家が立ち並ぶしっとり落ち着いた町の姿はもういまはない。気仙川に掛かっていた橋も流されたままだ。けんか会場には一本松近くの気仙大橋の仮橋を迂回していくことになる。

「けんか」でぶつかり合う梶棒
「けんか」でぶつかり合う梶棒

会場にはすでに今年のけんかを戦うことになる2基の山車が持ち込まれている。震災を生き延びた山車は老朽化したため、今年は新たに1基が支援によって建造された。

土車(どぐるま)
土車(どぐるま)

山車の足はゴムタイヤではない。ケヤキの丸太から造られた土車と呼ばれる木の車輪。この土車が重たいのだ。大の男が十数人で引っ張っても容易には回ってくれない。しかし、そんな土車もまた、けんか七夕の誇り。昔ながらの山車を戦わせるからこそのけんか七夕なのだ。

質実剛健。けんか七夕の山車は頑丈さが信条
質実剛健。けんか七夕の山車は頑丈さが信条

七夕の山車はきれいに飾り付けが行われるが、ダンプカー並みの重量の山車がぶつかり合うだけに頑丈さが信条。がっちり頑丈に造られている。それでもけんかの衝撃の激しさゆえに震災から6年目にして山車は新調されることになった。

まだ梶棒が取り付けられていないけんか七夕の山車の近くの国道は工事の道。毎日何百台ものダンプカーが土埃とうなりを上げて走り抜けていく。

けんか七夕の山車は山から切り出した太い藤蔓で梶棒を括りつけ、太鼓を載せ、飾り付けを施して、本番の8月7日に向けてこれから着々と準備が進められることになる。

気仙町の現実、けんか七夕の未来

しかし——

けんかの会場は変わったものの、今年もけんか七夕が開催されることになって良かった、と手放しに喜べない現実がある。

先に述べたとおり、気仙地区は町の再建の基盤となる造成工事が遅れに遅れている。住宅の建築が可能になるのは2年先とも言われるほどだ。気仙町を離れて新しい暮らしを始める住民も少なくないという。気仙町出身の知り合いは工事の遅れを嘆きつつ、将来の生活を思い描くことが難しいと言う人が多い。

震災から7年はあまりにも長い。

想像してみてほしい。家族や友人や知人の多くを失う災害に見舞われ、その上さらに住む家、暮らす町を再建するまで7年も待たなければならなくなってしまったら——。

今年のけんか七夕のけんか会場からは、今泉地区のかさ上げ工事現場や、山を切り出して造成している現場が見渡せる。

今年のけんか七夕が盛大に、例年にも増して勇壮なものとなることを、けんかの熱が気仙川を越えてふるさとの空に響き渡ることを願わずにはいられない。

将来が見通せないなか、それでも気仙町に戻るのだという人は少なくない。

藤巻き作業が始まる

7月24日日曜日、陸前高田市気仙町。かさ上げ工事現場に囲まれるように立っている公民館には駐車場から溢れるほどのクルマが集まっていた。川を渡った対岸のけんか七夕会場にもたくさんのクルマが集まっていく。

今年のけんかの会場を見てみると、山車に掛けられていたブルーシートが取り外され、何十人もの男たちが山車を取り囲んでいた。

山車が置かれた駐車場には投光器まで用意されいる。

これから夜通しで飾り付け作業が始まるのですかと若手に聞いてみると、「いや、それはどうでしょうか」との返事。先輩格の人が質問を引き取って答えてくれた。

「飾り付けはずっと後。祭り本番の前日あたりですよ」

じゃあ今日は梶棒の取り付けですか?(こんなことを聞いて、生半可なことを言ってやがると思われたに違いない)

「それもまだ先。今日は藤蔓(ふじづる)を巻く作業です」

藤蔓というのは読んで字のごとく藤のつる。山に自生している藤の木から、太くて丈夫で、しかもある程度のしなやかさを持っている藤のつるを取ってきて、山車に巻き付ける。それもただ巻き付けるという単純なものではない。ネジやボルトのない時代から続いてきた七夕の山車は、昔から材木を藤蔓で締め上げて造られてきた。

藤のつるは梶棒を山車に括り付けるだけじゃなくて、山車そのものを強化するわけなんですね。

「うん…まあ、そういうことです。あ、作業が始まるみたいなんで…」

言われてみればブルーシートが外された山車は、ぶつかり合う祭りを戦うには少し華奢な印象だ。昨年のけんか七夕の山車の写真を見てみると、たしかに梶棒だけでなく山車本体も藤蔓で頑丈に補強されている。梶棒が相手にぶつかる武器だとすれば、藤蔓は相手の梶棒を受け止める盾のような存在。藤蔓がしっかり巻かれることで山車は「けんかの山車」になる。

つると言っても藤蔓は固い。しなやかさはあるものの木そのものと言ってもいい。それを人間の思いどおりに曲げたり巻き付けたりするわけだから大変な作業だ。だからこそたくさんの男たちの腕と力が必要になる。

祭りは当日に人手が必要というだけではない。準備の段階から多くの人の手と力と思いを結集しなければ行うことはできないのだ。

シートの下からつるが現れる。傍らには藤蔓を叩く木槌を手にした男性の姿も見える。これから始まる大変な力仕事を前に、祭りの準備と言っても和やかな雰囲気はない。

900年の伝統を誇る祭りの準備。毎年続けられてきた作業。今年はそれが、これまでとは違う場所、違う条件の下で進められる。

それでも——。という「——」の部分に、この場にいる人たちの決意が満ち満ちている。山車。藤蔓。工事現場の中にある七夕の舞台。見つめる人々の厳しい眼差しは、ずっと先をも見つめているに違いない。

2016年のけんか七夕会場

 気仙町けんか七夕祭り保存連合会 | Facebook
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【東北の風の道】まつり・つどい・いのり(第2号)
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