最初の地震の翌日に一部運転再開したものの、16日の地震で運休となっていた熊本市電だが、最初の地震から5日後には、全線で運行を再開した。路面電車が走り、道にはクルマもあふれている。熊本は日常を取り戻す方向に向かっているようにも思えるが、避難所では意外な言葉を耳にすることがしばしばある。
[熊本大地震]熊本人が熊本人をこき下ろす
避難所で働くボランティアはボランティアセンター(ボラセン)から派遣されたボランティアばかりではない。ボラセンがオープンする以前から、地元の人たちがボランティアとして働いている。そんな1人がこんな話をしてくれた。
この水、見て下さい。ボトルドウォーターって書いてるでしょ。ミネラルウォーターやないんですよ。水道水を詰めただけのもの。コストコで10何円で売ってるものです。これがここにあるってことは、同じ熊本の人間がコストコで買って送ってきたってことなんですよ。水を送ってくれるだけでもありがたいことだやけど、ふざけるんやないと思いませんか。
きっと何かあったのかもしれない。少し興奮気味に話し続ける。
仮設のトイレを見て下さい。汚したって掃除もせん。トイレットペーパーは自分で補充しましょうって張り紙しているのに誰もせん。ぜんぶボランティア任せ。ワシらが掃除をしよっても、ありがとうすら言わん。この避難所は自衛隊の炊き出しもあるし、食べ物もある。そうとう恵まれとるんですよ。それでも不平不満ばっかりです。自分ではなんもせんくせに。
同じ熊本人として恥ずかしい。何でもかんでも誰かがやってくれると思うとる。お殿様、お姫様気分なんですよ。プライドばっかし高くて、ほんと何もせんで文句ばっか言っとる。最低ですよ。熊本が日本一やと勘違いしとる。阿蘇山は日本中の人が憧れとるとか、クマモンは日本一とか。
話はまだまだ続いた。その場所にいる限り何時間でも続いただろう。
どこの土地にでもいろいろな考え方の人はいる。しかし熊本人の県民性を非難する熊本人の声は、別の場所でも聞くことがあった。
黙々とゴミの分別を続けながら県民性についてこぼした自衛官(熊本出身)に、「さっき体育館の前でゴミ拾いをしている人を見ましたよ」と言ったら、そんなことあり得ないというように目を丸くした。
釈然としない思いはあるのだが、熊本の被災地で熊本人を批判する熊本人がいることは伝えた方がいいと思った。女川でも石巻でも東松島でも同じような話はあった。そこには外からやってきたボランティアには分からない何がしかの真実があった。
どうして地元をこき下ろすのか
私自身は北九州市小倉の出身で、こどもの頃に祇園太鼓を叩いていたことや、海や山の自然が豊かなことなど、郷里に対する誇りはある。しかしその反面、町が汚い、言葉が酷い、人情が薄い、身勝手な人間が多いと愚痴ることもよくある。同窓会で、お前は故郷が嫌いなんやねと郷里の友人に言われることもあるほどだ。
生まれ故郷だから大好きであると同時に大嫌いでもある。育った町だからさまざまな感情が断ちがたい形で心の底に混在している。いいこと、悪いこと、うれしいこと、悲しいこと、酷い目にあったこと、人を裏切ったこと。
災害という非常の時には、故郷に対する複雑な思いが増幅されるのかもしれない。いいことも悪いことも。
熊本からの帰途、日曜日の朝の駅前通りにゴミが散乱している故郷の光景を見て、悪態をつく熊本人の気持ちが少し理解できるような気もした。いや、地震で町や人のつながりが破壊された経験の上で語られる悪態の重さには遠く及ばないのはもちろんだが。
愛しているから非難する。なんとしても良くなってほしいから文句をいう。そんな気持ちがどこかにあるのは間違いないと思う。
もうひとつ思うこと。それは彼らの言葉はボランティアのように外からやってくる者にも向けられているということ。ぽわっとした気持ちでやってくるんじゃない。俺たちには生きることがかかっているんだと。
さらにもうひとつ言わせてほしい。被災した熊本人が熊本人を悪し様に言うことは、被災した九州人が九州人を非難することと相似だし、被災した日本人が日本人を批判するのとも同じだということだ。どうにもならない憤りが、その言葉の背景にはあるのかもしれない。
「心配してくれてありがとう」「支援していただいて感謝の言葉もありません」という声の向こうにあるものを受け止める必要がある。
なぜなら被災しなかった私たちは、被災してしまった人たちよりもはるかに鈍感なのだから。
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