2016年3月2日、さぶろうたの3回目の復興支援ツアーが始まりました!
前回は2年前の2014年、震災から3年たった被災地を見てまわりました。
あれから2年、被災地はどう変わったのか。今回も行く先々で何事にも変えがたい貴重な体験ができました。4日間被災地をこの目で見てまわり、さぶが感じた被災地の今をお届けします。
そして今回の旅行で掲げた最大のテーマは『何があっても生き抜く力を身につける』というもの。日々、あまり意識することのない、この『生きる』。もしかしたら生きることって一番難しいことなのかもしれません。さらに今回は『何があっても生き抜く』。
とても難しいテーマを掲げてしまったと感じました。
この旅行でその力を身につけることはできたのでしょうか。
1日目: 三島 ~ 一ノ関 ~ 気仙沼
6時45分の新幹線で東京へ。東京からははやぶさで一ノ関へ向かいました。11時ちょい過ぎには一ノ関到着。いやいや本当に早い。
実はここから先は何時何分の電車に乗るとかまったく調べていません。あんまりきっちり計画を立ててしまうと、本数が少ない電車やBRTでも不便に感じることがないので、こちらの人たちの生活が想像しにくいと考えたからです。
まずはドラゴンレールで気仙沼へ。気仙沼駅からはBRTで南気仙沼駅へ。目的地はリアスアーク美術館です。
ここは震災の現場写真や被災物が数百点展示されています。
ただ写真や被災物が展示されているだけでなく、その1つ1つに書かれているメッセージは強く心に響きました。
娘と一緒に津波から逃げて一度は助かったけど、「記録に残す」とデジカメを持って写真を取りに戻ってしまったため命を落としてしまった娘。デジカメには母親から娘への悲痛のメッセージが添えられていました。1枚1枚、1つ1つの写真や被災物を真剣に見て当時を想像して、文章やメッセージを読んでいくと1つ進むのに相当な時間がかかります。特に時間は決めていませんでしたが、次の目的地もあるため途中からはかなり急ぎ足になってしまいました。
美術館にいたのは2時間くらいでしょうか。全然時間が足りません。。。次に訪れたときには1日かけてしっかりと見たいと思っています。
美術館を出たあとは南郷住宅へ向かいました。
この地区も津波の被害を受けましたが海からではなく、津波はすぐ近くを流れている川を遡上してきました。元々この地は南気仙沼小学校があった場所ですが津波の被害を受け震災後に閉校になり、災害公営住宅が建ちました。
母校がなくなってしまった子どもたちのために、そしてここに学校があったことを忘れないために南郷住宅の入口には小学校の校門が残されています。
2日目: 気仙沼 ~ 陸前高田 ~ 大船渡 ~ 南三陸
朝起きて外を見ると雪。道路にも薄っすら積もっています。
まずは最初の目的地の陸前高田にBRTで向かいました。降っていた雪も陸前高田に着いたときには激しい雨に変わっていました。陸前高田での激しい雨は前回と同じです。
前回見た巨大コンベアはもうありません。コンベアはないものの、海側は防潮堤工事、内陸はかさ上げ工事。どこを見ても工事工事です。
奇跡の一本松を見たあとは高田バイパス(国道45号線)を歩きました。道路沿いにはガソリンスタンドが1件ポツンとあります。このガソリンスタンドにある道路沿いの看板には「津波水位15.1m」、津波がこの高さまで来たという印がつけられています。
津波の高さが15.1メートルと言われてもなかなか想像がつかないと思いますが、写真の下を見るとトラックが走っているのがわかります。このトラックと比べれば津波の高さがいかにすごかったのか想像がつくと思います。
陸前高田・奇跡の一本松駅からBRTに乗って大船渡へ来ました。大船渡を歩いていると、三重商会さんの事務所前に石碑が建っていました。そこには「ここより高い処へ逃げよ」と書かれていました。津波を知っている自分たちのためでなく、同じ悲しみを二度と繰り返さないための後世への強いメッセージなのだと感じました。
大船渡魚市場を見学したあとはまたまたBRT。南三陸の陸前戸倉へ。
今回の旅行はBRTを利用する機会がとても多く、車中では毎回大勢の学生と一緒になりました。
友だちと笑顔で話してるこの子たちは5年前あの震災を経験していることでしょう。仲間と助け合い、励ましあって命を守り抜いたんだと思うと何とも言えない気持ちになり、BRTで学生の笑顔を見るたびにこみあげてくるものがありました。
震災から今日まで辛いことの方が多かったかもしれません。
3日目: 南三陸~女川
朝一で語り部バスに参加しました。戸倉中学校、戸倉小学校跡、防災対策庁舎等を約1時間かけて回りました。写真は防災対策庁舎です。
ここは最後まで町職員が防災無線で住民に避難を呼び掛けた場所です。
このアナウンスによって大勢の尊い命が救われました。
語り部の男性は震災時ここで起きたことを私たちに詳しく教えてくれました。そして最後に、被災地に住んでいる方にとって震災はまだ終わっていないんだということを何よりも強い口調で言われました。生活はむしろ悪化していると。なぜなら振り向く人がいなくなってきているからだと。そして、私たちに(被災地に)来てくれるだけでもありがたいとも言われました。見たこと聞いたことを帰ったら周りの人に伝えてほしいと。そうです。ここで学んだこと、見たこと、聞いたことは今度は私たちが伝える番なのです。
南三陸さんさん商店街を見てまわったあとは、女川へ向かいました。
震災前、駅の隣にあった温泉施設「ゆぽっぽ」は新しくなった女川駅の駅舎に合築される形で復活しました。ちょうど駅舎の左側の2階がゆぽっぽです。
実は今回、女川を訪れるのに大きな楽しみが1つありました。
2年前に女川を訪れたとき「女川温泉タイルアートプロジェクト」というものを知りました。新しいゆぽっぽの壁画は女川のシンボル、スペインタイルで作ることになり、その壁画のデザインは一般募集していると聞きました。1人1人がデザインした1つ1つの小さな花が大きな絵になる。素敵なことですね。
さっそく階段で2階にあがってタイルを探しました。
魚のまち女川をイメージした1枚とすずらんに『きぼうのかね』をイメージした1枚。さて自分たちの「花」は見つかるでしょうか。
正面の壁画だけでも1200枚以上のタイルです。何度見てもなかなか見つかりません。脱衣所にもタイルが貼られているというので見てみることに。しかしながら男湯にも女湯にもありませんでした。半分諦めかけていましたが、もう一度正面の壁画を見てみることに。。。そしたら嫁がきぼうの鐘すずらんを発見!なんとすぐ横にはさぶの女川おさかなタイルも!
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