【復興支援ツアー2015・レポート 】震災5年を見る。そして何があっても生き抜く力を身につける旅 byさぶろうた

saburouta

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2016年3月2日、さぶろうたの3回目の復興支援ツアーが始まりました!
前回は2年前の2014年、震災から3年たった被災地を見てまわりました。
あれから2年、被災地はどう変わったのか。今回も行く先々で何事にも変えがたい貴重な体験ができました。4日間被災地をこの目で見てまわり、さぶが感じた被災地の今をお届けします。

そして今回の旅行で掲げた最大のテーマは『何があっても生き抜く力を身につける』というもの。日々、あまり意識することのない、この『生きる』。もしかしたら生きることって一番難しいことなのかもしれません。さらに今回は『何があっても生き抜く』。

とても難しいテーマを掲げてしまったと感じました。
この旅行でその力を身につけることはできたのでしょうか。

1日目: 三島 ~ 一ノ関 ~ 気仙沼

6時45分の新幹線で東京へ。東京からははやぶさで一ノ関へ向かいました。11時ちょい過ぎには一ノ関到着。いやいや本当に早い。

実はここから先は何時何分の電車に乗るとかまったく調べていません。あんまりきっちり計画を立ててしまうと、本数が少ない電車やBRTでも不便に感じることがないので、こちらの人たちの生活が想像しにくいと考えたからです。

まずはドラゴンレールで気仙沼へ。気仙沼駅からはBRTで南気仙沼駅へ。目的地はリアスアーク美術館です。

リアス・アーク美術館
リアス・アーク美術館

ここは震災の現場写真や被災物が数百点展示されています。
ただ写真や被災物が展示されているだけでなく、その1つ1つに書かれているメッセージは強く心に響きました。

娘と一緒に津波から逃げて一度は助かったけど、「記録に残す」とデジカメを持って写真を取りに戻ってしまったため命を落としてしまった娘。デジカメには母親から娘への悲痛のメッセージが添えられていました。1枚1枚、1つ1つの写真や被災物を真剣に見て当時を想像して、文章やメッセージを読んでいくと1つ進むのに相当な時間がかかります。特に時間は決めていませんでしたが、次の目的地もあるため途中からはかなり急ぎ足になってしまいました。

美術館にいたのは2時間くらいでしょうか。全然時間が足りません。。。次に訪れたときには1日かけてしっかりと見たいと思っています。

美術館を出たあとは南郷住宅へ向かいました。
この地区も津波の被害を受けましたが海からではなく、津波はすぐ近くを流れている川を遡上してきました。元々この地は南気仙沼小学校があった場所ですが津波の被害を受け震災後に閉校になり、災害公営住宅が建ちました。

南郷住宅(旧南気仙沼小学校)
南郷住宅(旧南気仙沼小学校)

母校がなくなってしまった子どもたちのために、そしてここに学校があったことを忘れないために南郷住宅の入口には小学校の校門が残されています。

2日目: 気仙沼 ~ 陸前高田 ~ 大船渡 ~ 南三陸

朝起きて外を見ると雪。道路にも薄っすら積もっています。
まずは最初の目的地の陸前高田にBRTで向かいました。降っていた雪も陸前高田に着いたときには激しい雨に変わっていました。陸前高田での激しい雨は前回と同じです。

前回見た巨大コンベアはもうありません。コンベアはないものの、海側は防潮堤工事、内陸はかさ上げ工事。どこを見ても工事工事です。

奇跡の一本松を見たあとは高田バイパス(国道45号線)を歩きました。道路沿いにはガソリンスタンドが1件ポツンとあります。このガソリンスタンドにある道路沿いの看板には「津波水位15.1m」、津波がこの高さまで来たという印がつけられています。

トラックの何倍もの高さの津波がこの地を襲いました。
トラックの何倍もの高さの津波がこの地を襲いました。

津波の高さが15.1メートルと言われてもなかなか想像がつかないと思いますが、写真の下を見るとトラックが走っているのがわかります。このトラックと比べれば津波の高さがいかにすごかったのか想像がつくと思います。

陸前高田・奇跡の一本松駅からBRTに乗って大船渡へ来ました。大船渡を歩いていると、三重商会さんの事務所前に石碑が建っていました。そこには「ここより高い処へ逃げよ」と書かれていました。津波を知っている自分たちのためでなく、同じ悲しみを二度と繰り返さないための後世への強いメッセージなのだと感じました。

大船渡魚市場を見学したあとはまたまたBRT。南三陸の陸前戸倉へ。
今回の旅行はBRTを利用する機会がとても多く、車中では毎回大勢の学生と一緒になりました。

友だちと笑顔で話してるこの子たちは5年前あの震災を経験していることでしょう。仲間と助け合い、励ましあって命を守り抜いたんだと思うと何とも言えない気持ちになり、BRTで学生の笑顔を見るたびにこみあげてくるものがありました。
震災から今日まで辛いことの方が多かったかもしれません。

3日目: 南三陸~女川

朝一で語り部バスに参加しました。戸倉中学校、戸倉小学校跡、防災対策庁舎等を約1時間かけて回りました。写真は防災対策庁舎です。

高さ12メートルの建物は15メートル以上の津波に飲み込まれました。
高さ12メートルの建物は15メートル以上の津波に飲み込まれました。

ここは最後まで町職員が防災無線で住民に避難を呼び掛けた場所です。
このアナウンスによって大勢の尊い命が救われました。

語り部の男性は震災時ここで起きたことを私たちに詳しく教えてくれました。そして最後に、被災地に住んでいる方にとって震災はまだ終わっていないんだということを何よりも強い口調で言われました。生活はむしろ悪化していると。なぜなら振り向く人がいなくなってきているからだと。そして、私たちに(被災地に)来てくれるだけでもありがたいとも言われました。見たこと聞いたことを帰ったら周りの人に伝えてほしいと。そうです。ここで学んだこと、見たこと、聞いたことは今度は私たちが伝える番なのです。

南三陸さんさん商店街を見てまわったあとは、女川へ向かいました。

震災前、駅の隣にあった温泉施設「ゆぽっぽ」は新しくなった女川駅の駅舎に合築される形で復活しました。ちょうど駅舎の左側の2階がゆぽっぽです。

実は今回、女川を訪れるのに大きな楽しみが1つありました。
2年前に女川を訪れたとき「女川温泉タイルアートプロジェクト」というものを知りました。新しいゆぽっぽの壁画は女川のシンボル、スペインタイルで作ることになり、その壁画のデザインは一般募集していると聞きました。1人1人がデザインした1つ1つの小さな花が大きな絵になる。素敵なことですね。

2年前に参加した『女川温泉ゆぽっぽタイルアートプロジェクト』
2年前に参加した『女川温泉ゆぽっぽタイルアートプロジェクト』

さっそく階段で2階にあがってタイルを探しました。
魚のまち女川をイメージした1枚とすずらんに『きぼうのかね』をイメージした1枚。さて自分たちの「花」は見つかるでしょうか。

縦18枚、横68枚のスペインタイルは圧巻です!
縦18枚、横68枚のスペインタイルは圧巻です!

正面の壁画だけでも1200枚以上のタイルです。何度見てもなかなか見つかりません。脱衣所にもタイルが貼られているというので見てみることに。しかしながら男湯にも女湯にもありませんでした。半分諦めかけていましたが、もう一度正面の壁画を見てみることに。。。そしたら嫁がきぼうの鐘すずらんを発見!なんとすぐ横にはさぶの女川おさかなタイルも!

見つけたときは感激しました!
見つけたときは感激しました!

女川駅前のテナント型商店街『シーパルピア女川』には石巻市の段ボール加工会社今野梱包さんが仕事の合間に6人がかりで半年かかって作りあげたという『ダンボルギーニ』がありました。東北復興を願って作られたものです。

ちなみに重さ100キロと書かれたダンボルギーニ。店員さんがいうには実際には60キロくらいらしいです。60キロって表示していたときは、じゃあ持ちあげてみようといたづらする人も多かったらしく、100キロってことにしているらしいです。効果大と言っていました。(これは内緒のはなしですよ^^;)

まさに本物より本物!
まさに本物より本物!

4日目: 女川~石巻~仙台~三島

いよいよ最終日。この日は石巻でレンタカーを借りました。
最初に向かったのは日和山公園。高台になっているこの公園をめざして震災時雪が降る中、多くの方がこの階段を登りました。

どんな気持ちで登ったんでしょうか。わたしも状況はまったく違いますが、津波を想定してこの階段を登ってみました。

左の階段を登りきったところが頂上ではありません。
左の階段が99段。登りきると少し右に向かってさらに45段の階段があります。この45段の階段を登るとようやく右の写真の一番下にたどり着きます。そこから87段登るとようやく鳥居がある頂上です。一番上までは231段もありました。

最後の87段は1段1段とても段差があり、最後は足がガクガクでした。
当時体調が万全だった人ばかりではないと思います。高齢者もいたでしょう。歩けない人をおぶって階段を登った人もいたと思います。みんなで「がんばれ、がんがれ」と声を掛け合って登ったと聞きました。

日和山公園をあとにして次に向かったのは『がんばろう石巻』の看板。
まわり一帯工事中で、なかなか目的地に行けませんでした。変わったのは看板の周辺だけでなく看板の敷地横にも『南浜つなぐ館』という建物が建ちました。

3Dプリンターで作られた模型は震災前の街並みです。多くの家が建っていたことがわかります。
そしてこの南浜つなぐ館で一番目をひいたのは震災前の航空写真。写真に貼られている付箋は被災された方々が書いたメッセージです。

「部屋から家の景色がキレイでした」「散歩コースでした」「←家。とても懐かしいです」「もっと住みたかった」「ロリアンのチーズケーキ最高でした!!」...付箋を1つ1つ読むとその方の思いがひしひしと伝わってきます。
中には、「女房どこ?」というメッセージも。震災は多くの方の大切なものを一気に奪い去りました。

このあと、大川小学校をまわり雄勝に向かいました。

雄勝ローズファクトリーガーデン(上写真・右下)。「花と緑の力」で復興するためにこの地で被災された方が自ら立ち上げたそうです。「うちは無料だから自由に見て行ってね」とオーナーらしき人は私たちに笑顔で話しかけてくれました。寒い時期なので花はほとんど咲いていませんでしたが、バラだけでなく本当に多くの花が植えられています。きれいな花が咲くころまた、ここを訪れたいと思います。

そして雄勝の復興商店街『おがつ店こ屋街(たなこやがい)』。
ここを訪れるのも今回で3回目。いつ来ても、お店の方は本当によくしてくれます。しかし私たち以外、お客さんはほとんど見当たりませんでした。
雄勝は今回見てまわった中でも、特にさみしさを感じました。とにかく周りを見渡しても人がいません。わたしが見た感じですが、復興もまったく進んでいないように感じました。

これが被災地の現状なのかもしれません。
漁業と硯のまち雄勝。ここにも雄勝硯のお店(生産販売協同組合)があります。お店で知り合ったNさんという女性にとても貴重な話を聞くことができました。

その話はまた後日書きたいと思います。

最後に...

この旅行を通して、いろいろな人に出会い、いろいろなことを学びました。
わたしは震災が起きたとき、なにが正解というのはないと思っています。
マニュアルどおり行動すれば助かるというものではないと思います。
その場その場で冷静に判断して行動できるかどうかが一番大事なのかなと思います。

リアスアーク美術館に書かれていた言葉で印象に残っているものの1つに
『運悪く、運良く、偶然...という考えを捨てなければ命を守ることはできない』ということばが書かれていました。

今回の旅行で掲げた『何があっても生き抜く力を身につける』というテーマの答えは、旅行を終えて『心の備え、物の備え、身体の備え、知識の備えがあれば絶対に生き抜くことができる』という自分なりの答えがでました。

そして『自分の命は自分で守るんだ』という強い気持ちこそが大事だと感じました。

―――――――――――――――――――――宿泊費 84,632
交通費 88,330 ※レンタカー代含む
食事代 16,824
雑費・その他 5,902
おみやげ 34,655
――――――――――――――――――――― 230,343

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