盆踊りには地元の方々、ロッシーたち、よしもと住みます芸人のオコチャさんも。
お祭りの模様を逐一お伝えするほどの紙数はないけれど、東北のロッシーたちは、日々の活動の中で地域のおかんたちと恊働しながら、さまざまなサポートを行なっている。「恊働=コラボ」という言葉もいい加減使い古された感があるが、ロッシーたちとおかんたちの関わりは、まさしくコラボレーションに他ならない。
おかんたちが元気になれる
ひとつには、おかんたちへのメリット。
被災地に限らず、そこそこ年齢を重ねて生活習慣病その他、さまざまな病気が出て来るとまずは薬づけだ。毎日5種類とかの薬を服用している人も少なくない。さらに年齢が上がって、何かのきっかけで入院することになると、何本ものチューブがつながれて、身動きが取れない状態でベッドでの寝たきりになる。しかし今日では医療が進歩しているから、寝たきりで自分で身動きができないような状態でも、寿命だけは長らえることが不可能ではない。
そんな状況がいいのか悪いのか、さまざまな意見があることだろう。
しかし、ロシナンテスの健康農業に参加しているおかんたちは、きわめて元気はつらつなのだ。この事業がスタートした頃、ロッシー東北の責任者だった大島一馬さんはこんな経験をしたことがあったという。
「たまたま病院に行く機会があったんですが、知り合いの男性に出会ったんです。最初は誰なのか分からなかった。健康農業に参加されている時と、病院の待合室に佇んでいる時とで、表情まで別人のようだったんです」
ロシナンテス東北スタッフの岡部さんは昨年、フェイスブックにとてもステキな記事をアップした。町中をクルマで走っているとき、健康農業で知っているおかん2人が道をてくてく歩いていた。どうしたの?と尋ねると、
「バス待ってるより歩いた方が早いから」
健康農業はたしかに着実に成果をあげている。もちろん、太陽の下で土を触ることが、人間にとってとても自然で大切なこと、という面もあるだろう。同時にとても大きいと思うのが、若者たちに農業であれ、料理のことであれ、生活のことであれ、何かれと喋ったり教えたりすることだ。仮設住宅の中では「何もしなくていいから」と言われているおかんたちが、ここでは先生であり、文化の継承者であり、遠い親戚の大叔母や大叔父だったりするのだ。
若者と接する効果は絶大だ!
そこに行けば学べる場所があるという意義
方や若者たちにも、とてつもなく大きなメリットがある。それはロッシー東北に来るだけで、(言い方は悪いかもしれないが)自働的に被災された人たちとの生の関わりを経験できること。
震災から5年近くが過ぎ、ようやく被災地の状況は大きく変化しつつある。ほんの半年前まで、かさ上げ工事(町を再建するためのゼロレベルを回復するための工事)ばかりが目立っていた土地で、このところテンポラリー(仮設)ではない、パーマネント(本設)の道路工事や宅地造成、さらには住宅など建物の建築工事が急ピッチで進められている。
震災から1〜2年後さかんに言われていた「復興の槌音」がいまになってようやく現実のものになろうとしている状況で、ハードとしての町の復旧・復興が進んでいくこと自体は喜ばしいことだ。
しかし私たちは、阪神・淡路大震災の復興事業でも、また東日本大震災後の復旧が遅れていく過程の中からも、暮らしの再建とハードとしての町の復旧がイコールではないことを学んでいる。
しかし、ハードとしての町が復旧していく中で、その土地の主役であるはずの人々の生活がどのように再建されていくのかが見えにくくなっていくおそれが大きい。ハードの復旧が目くらましとなって、暮らし再建の実体がかすんでしまいかねないのだ。
再建は急速に進んでいるように見える。しかし、実態はどんどん見えにくくなる。そんな状況が今年2016年から数年間にわたって続いていくことは目に見えている。
だからこそ、その場所に行けば会える。復旧・復興・再開発といった言葉に翻弄されているおかんたちの、暮らしの中からの本音に出会える。しかも、おかんたちと交歓し、助け合う道を探っていく場となりうるロシナンテスは、今からこそ貴重な場所だといえると思うのだ。
ロシナンテスは、スーダンであれ東北であれ、「医」というキーワードを切り口に、人々の暮らしを本当の姿に近づける活動を続けていく団体である。ロシナンテスが標榜する「医」とは医療だけに止まらず、生活環境の改善や教育など、人間が人間らしく生きるためのあらゆるジャンルを包括した「医」であると理解している。特定の地域に根ざした活動を基本としながらも、目指しているのは地球規模の健康、それはつまり平和ということなのだと思う。自分もロシナンテスに関わることで、ひとりのロッシーとなった。ロシナンテスの今後の活動を支えていきたいと思っている。
ロッシーたちが東北にいてくれて、本当によかった。目下の仕事は、同じ思いでいてくれる人をどんどん増やしていくことだ。
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