外務省医務官(超エリート)だったひとりの医師(川原尚行さん)が、アフリカ赴任中に発起した。発起という言葉は最近はあまり使われることがないが、志を立て、そのために行動する決意をすること。彼の行動は発起と呼ぶほかないものだった。人を救うことが医師の使命なのだと、キャリアを擲ち、人間としてなすべきまっとうな道をたどり始めた。たくさんの仲間たちが彼を支えた。それがロシナンテスの始まりだった。
そして2011年、ロシナンテスは東北にいた。東北の地に新しい根をおろした。
健康農業のおかんたちプラス若者たち
農家出身のおかん(注:このページでは地元のおばあちゃん、おじいちゃんたちのことを仮に「おかん」。域外から活動に参加してる人々を性別年齢問わず「若者」と呼ぶことにする。これまでの記事で「地元のおばあちゃんやおじいちゃんたち」といった表記があまりに頻出して読みにくかったことによるもので、年齢性別等に関して他意があるものではないことをお断りしておく)が、埼玉からやってきた若者に大根の抜き方を教えてくれる。いい大根だねぇと20代の若者もニッコリ。彼女の笑顔に何だか不思議な余裕みたいなのがあるのがポイント。
この笑顔は、ロッシーハウス東北だからこその、とても素敵なことを物語っている。若い彼女は東北出身者ではない。隣に立って「大根、もうちょっとだったっけな」って言ってるおかんは、先の大津波で被災して仮設住宅に暮らす人だ。何もなければ接点はなかったろう。だけどここで、その2人が、まるでおばあちゃんと孫、みたいな感じで一緒にカメラのフレームにおさまっている。これって、とてもステキなことじゃないか?
この写真、個人的には大好きな1枚だ。何気ないひとコマだが、とても貴重な場面が写っている。
場面はみんなで育てた野菜を使ってお昼ごはんを調理しているところ(もしかしたら後片付けかもしれないけど)。地元で長年、家庭の台所を守ってきたおかんが、関東地方から来た若者たちに料理の方法や味付けなどを直伝しているのだ! 思えば最近では台所仕事を共同で行うことはほとんどなくなった。ほんの数十年くらい前までは、お祭りなどの町の行事や冠婚葬祭で、ご近所さんが集まって調理をする機会はよくあって、おかん同士、おかんと若手の間での情報交換や技の伝承が行われていたのだが。
家族ではない人たちが集って、ともに共同の作業をする。都会で暮らす人たちはそんな経験を失って久しいかもしれない。でも、調理であれ、祭りの飾り付けであれ、祭りの法被の洗濯であれ、共同作業をしながら、何気なく喋る会話の中で交換し合う情報やノウハウはとても貴重なものだった。
ネットが生活に浸透してくるのとほぼ時を同じくして、食べ物に関するブログや、とくにお弁当紹介系のブログが大量に出回るようになったり、クックパッドみたいなサイトが人気を集めているのも、その背景には、かつてあった共同調理・共同作業でのノウハウ交換という場が失われたことに起因する飢餓のようなものがあるのかもしれない。ロッシーハウスでの共同作業を見たり参加させてもらったりしながら、真剣にそう思うようになった。
ロッシーハウス東北では、農作業を終えた後の楽しいランチタイムに引き続き、サプライズで誕生会が開催されることもある!
おかんたちの喜んでくれること!
被災して、仮設住宅に子供たち世代と同居しているとどんな毎日になると思う?
ロッシーハウス東北があるのは、仙台平野の南、大きな平野と広い海が広がる場所。だから震災前には、おかんたちの多くは、何部屋もあるような家だったり、敷地内に網小屋があったり、自宅近くに菜園があったり、あるいはかなり大きな田畑を持っていた人たちも多い。仙台市にも近いから、子供や孫たち世代が会社員だった人も多いが、おかん世代は畑仕事や漁業関係の仕事など日中にはやることがたくさんあった。大変だけど日々の暮らしの中に生き甲斐があった。
ところが震災ですべてが変わった。
仮設住宅で二世代・三世代同居していると、「おばあちゃんは何もしなくていいですから」と嫁に言われる。だって嫁と姑が2人で立てるような台所じゃないから。かく言う嫁も、生活再建のために日中は働きに出る。日中、仮設住宅には誰もいない。しかも、嫁からは「おばあちゃんは何もしなくていいですから」って言われているわけだから、何をするにも引っ込み思案になってしまう。その上、仮設暮らしが3年4年と続くうち荷物ばかりが増えていくから、物理的にも居場所は減っていく。
こんなんじゃ、どんなに嫁や息子たちができた人物であっても、おかんたちは居場所を失って病気になってしまう。
ロッシーハウスで健康農業に散開しているおかんたちには、そんな危惧からは真反対の生き生きした笑顔が溢れている。
たぶんね、家でも誕生祝いはしてもらっているかもしれない。だけど、健康農業で毎週顔を合わせている友達たちや、飛び入りで参加してくれる若者たちから祝ってもらうのって、それはそれでとってもうれしいことだと思う。いや、本当によろこんでくれているのが伝わってくる。
おかんも若者も一緒にハッピーバースデーの歌をうたう。勢い余ってギターを持ちだした若者が誕生祝いミニコンサートを始めることもあったりする。ロッシーハウスの歌を作詞作曲した若者もいた。ギターをジャカジャカ鳴らすのに合わせて、おかんたちがウェーブする。すげえ世界だと思った。
お祭りともなるとさらにヒートアップして
夏のお祭りになると全国からたくさんの若者が集まってくる。写真は夏祭り前のミーティング風景。折り畳み椅子をずらっと円形に並べて、参加したのは40人以上いただろうか。最年少は中学生のボランティアだった。輪の全体が写るように写真を撮ってなかったのが残念でならない。だけど、ここにいるのはみんなロシナンテスの仲間、ロッシーたちだ。ちなみにロシナンテとは、ドンキホーテが乗っていた馬の名前。世の人にいかに嘲られようとも志を貫くものの象徴である。ひとりだけのロッシーでは、あるいはたまには不安になってしまうこともあるかもしれない。しかし、東北のこの地にはこれほどたくさんのロシナンテたちが集って来る。
ロシナンテス東北の責任者である田地野さんによると、東北に集うロッシーたちの人数は2000人を超えるという。もちろん延べ人数ではなく、顔の見える1人ひとりの人数としての2000人だ。
それはさておき、お祭りの主役は参加してくれる地域の方々。ミーティング後の準備作業がまだ完了しないうちから、たくさんの人たちが集まって来た。
この祭りは地元のお祭りではなくて、ロシナンテスが地域の人たちに向けて開催している夏祭り。写真は一昨年の様子。あいにくの空模様だったが仮設住宅などから地元の人たちがたくさん集まってくれた。(プレゼント抽選会がお目当てということはあるにせよ、これだけの集客はすばらしいと思う)
こちらロッシーたちのソウルドリンク「カルカデ」。ロシナンテス代表が体を張って活動するアフリカ・スーダン特産のハイビスカスティー。鮮やかな色と爽やかな酸味がたまらない。健康農業のお茶っこでも大好評。
外はパラパラ雨模様だったが、大型テントの会場内は熱気いっぱい。健康農業に参加しているおかんたちも、椅子席の前列を埋めている。おかんたちの孫や家族や友人たちもぞくぞく集まってきて、あちこちでおしゃべりの輪が出来る。地域の一体感のようなものを感じるのは気のせいか。いや気のせいなんかじゃないだろう。
盆踊りには地元の方々、ロッシーたち、よしもと住みます芸人のオコチャさんも。
お祭りの模様を逐一お伝えするほどの紙数はないけれど、東北のロッシーたちは、日々の活動の中で地域のおかんたちと恊働しながら、さまざまなサポートを行なっている。「恊働=コラボ」という言葉もいい加減使い古された感があるが、ロッシーたちとおかんたちの関わりは、まさしくコラボレーションに他ならない。
おかんたちが元気になれる
ひとつには、おかんたちへのメリット。
被災地に限らず、そこそこ年齢を重ねて生活習慣病その他、さまざまな病気が出て来るとまずは薬づけだ。毎日5種類とかの薬を服用している人も少なくない。さらに年齢が上がって、何かのきっかけで入院することになると、何本ものチューブがつながれて、身動きが取れない状態でベッドでの寝たきりになる。しかし今日では医療が進歩しているから、寝たきりで自分で身動きができないような状態でも、寿命だけは長らえることが不可能ではない。
そんな状況がいいのか悪いのか、さまざまな意見があることだろう。
しかし、ロシナンテスの健康農業に参加しているおかんたちは、きわめて元気はつらつなのだ。この事業がスタートした頃、ロッシー東北の責任者だった大島一馬さんはこんな経験をしたことがあったという。
「たまたま病院に行く機会があったんですが、知り合いの男性に出会ったんです。最初は誰なのか分からなかった。健康農業に参加されている時と、病院の待合室に佇んでいる時とで、表情まで別人のようだったんです」
ロシナンテス東北スタッフの岡部さんは昨年、フェイスブックにとてもステキな記事をアップした。町中をクルマで走っているとき、健康農業で知っているおかん2人が道をてくてく歩いていた。どうしたの?と尋ねると、
「バス待ってるより歩いた方が早いから」
健康農業はたしかに着実に成果をあげている。もちろん、太陽の下で土を触ることが、人間にとってとても自然で大切なこと、という面もあるだろう。同時にとても大きいと思うのが、若者たちに農業であれ、料理のことであれ、生活のことであれ、何かれと喋ったり教えたりすることだ。仮設住宅の中では「何もしなくていいから」と言われているおかんたちが、ここでは先生であり、文化の継承者であり、遠い親戚の大叔母や大叔父だったりするのだ。
若者と接する効果は絶大だ!
そこに行けば学べる場所があるという意義
方や若者たちにも、とてつもなく大きなメリットがある。それはロッシー東北に来るだけで、(言い方は悪いかもしれないが)自働的に被災された人たちとの生の関わりを経験できること。
震災から5年近くが過ぎ、ようやく被災地の状況は大きく変化しつつある。ほんの半年前まで、かさ上げ工事(町を再建するためのゼロレベルを回復するための工事)ばかりが目立っていた土地で、このところテンポラリー(仮設)ではない、パーマネント(本設)の道路工事や宅地造成、さらには住宅など建物の建築工事が急ピッチで進められている。
震災から1〜2年後さかんに言われていた「復興の槌音」がいまになってようやく現実のものになろうとしている状況で、ハードとしての町の復旧・復興が進んでいくこと自体は喜ばしいことだ。
しかし私たちは、阪神・淡路大震災の復興事業でも、また東日本大震災後の復旧が遅れていく過程の中からも、暮らしの再建とハードとしての町の復旧がイコールではないことを学んでいる。
しかし、ハードとしての町が復旧していく中で、その土地の主役であるはずの人々の生活がどのように再建されていくのかが見えにくくなっていくおそれが大きい。ハードの復旧が目くらましとなって、暮らし再建の実体がかすんでしまいかねないのだ。
再建は急速に進んでいるように見える。しかし、実態はどんどん見えにくくなる。そんな状況が今年2016年から数年間にわたって続いていくことは目に見えている。
だからこそ、その場所に行けば会える。復旧・復興・再開発といった言葉に翻弄されているおかんたちの、暮らしの中からの本音に出会える。しかも、おかんたちと交歓し、助け合う道を探っていく場となりうるロシナンテスは、今からこそ貴重な場所だといえると思うのだ。
ロシナンテスは、スーダンであれ東北であれ、「医」というキーワードを切り口に、人々の暮らしを本当の姿に近づける活動を続けていく団体である。ロシナンテスが標榜する「医」とは医療だけに止まらず、生活環境の改善や教育など、人間が人間らしく生きるためのあらゆるジャンルを包括した「医」であると理解している。特定の地域に根ざした活動を基本としながらも、目指しているのは地球規模の健康、それはつまり平和ということなのだと思う。自分もロシナンテスに関わることで、ひとりのロッシーとなった。ロシナンテスの今後の活動を支えていきたいと思っている。
ロッシーたちが東北にいてくれて、本当によかった。目下の仕事は、同じ思いでいてくれる人をどんどん増やしていくことだ。
最終更新: