「夏到来!キャンプ~」の楽しみ《その1》♪

Kazannonekko452

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小さな滝がしゃばしゃば落ちてる渓谷の片隅の小さなお花畑のような場所に、草花の邪魔にならないように小さな小さなテントを張って、水の音と風の音に耳を澄ませながら過ごす……。キャンプっていうか、テント山行ってイイよね。

「sKenji」さんの記事「夏到来!キャンプのススメ♪ ~前編~」にインスパイアされてしまった。彼の記事にあるような美しい写真はご提供できないが、老・山好き男としての思い出話を少々。

 【ぽたるページ】夏到来!キャンプのススメ♪ ~前編~ - By sKenji - ぽたる
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キャンプと言えば家型テントだった時代

最初にテントで泊まったのはいつだったっれけ…と思い返してみれば、ボーイスカウトの頃だったな。当時のテントは垂直の柱を2本立てて、その間に屋根のシートを垂らすタイプのクラシックなもの。一応、「壁」にあたる部分もあったけど、それは斜めに大面積を占める屋根の部分に覆われてしまうから、ほぼ断面が直角二等辺三角形の三角柱を横にしたような格好だった(スンマせんね。説明している自分でもうまく想像できない。つまりは、よくある家型テントみたいなもんです)。で、底面に当たる部分は別布で、グラウンドシートって呼んでたっけな。屋根の布よりちょっとだけ分厚いシートを2枚くらい敷いて、その廻りに雨が降ったときに排水するための溝を掘って、それから屋根の部分のシートを張る。

ほとんど張り終えた後に隊長がやってきて、「う~ん残念、張り直しだな」なんて言われたりしてね。雨が降ったときの排水がちゃんとできてないからって理由だったなあ。土地の微妙な傾斜を見極めろなんて言われたっけ。そんなこともあったもんで、竃(カマド)造りでは負けないぞってチーム全員で頭を働かせて頑張ったりして。まあ、とっても楽しい思い出だった。

でも夜は辛かった。いちおうグラウンドシートの下にある石ころはどけるんですよ。拳ほどの石はもちろんのこと、親指くらいの小石まで除いて、できるだけ平坦にするわけだ。でも目で見て邪魔っけだと思う石ころのサイズと、寝てる時に背中で感じる石ころのサイズは全然別ものでね。しかも当時はウレタンマットなんてないから、多少厚めとはいえグラウンドシートを通して地面の凸凹が背中に直接感じられる。どうしても眠れなくてテントから外に出て、下から石を引っ張り出すと、小指の先ほどもないくらいに小さい石だったりしてね。さらに、その小さな石を引っ張り出す時に荒れてしまった地面の凸凹が気になったりして。

ぐっすり眠れたのかどうかは……。でも小さい子に眠れないと起こされて何度も何度も石ころを出してた記憶があるくらいだから、案外自分はぐっすりだったのかも。

(いまのように、いい断熱兼クッションシートがなかった時代には、グラウンドシートの下に、テン場<テント場>周辺で刈り取った草を敷き詰めたりしたのだそうな。さすがに公設のテント場ではそんなことはできなかったので、小学生の我々は土の上にシートを敷いただけの床で寝ることになった。だけど、そんな悪い経験ではなかったように感じているのだけれど。同じ班の最年少だった山岸くん、どうだった?)

1分以内に張れます! に驚いた日

ボーイスカウトやら、地域のなんとか少年団とかで何度かテント泊を経験してはいたけれど、高校に入学した後のクラブ紹介イベントで、山岳部がテント伸展をやったのには驚いた。何しろ披露場所の学校の講堂のステージ上で、「これからテントを1分以内に張ります」なんて言うんだから。

そして山岳部のメンバーは約束通り、1分以内どころか30秒ほどでテントを建ててしまった。とはいえ小学生の頃に経験した山型テントではなくて、横から見るとアーチ、上から見るとX型のポールで、屋根も壁も床も一緒になったカマボコ型のテントだったけれど、その設営の早さには驚いた。ヒマラヤ遠征とか、南極でも使われているなんてふれこみにも驚いた。後に知ったところでは、ダンロップが開発した通称カマボコテントという奴だった。

このダンロップテントには、それから20年後、山岳会に入会した後に出会うことになった。山岳会事務所の大掃除で「とてもじゃないが古すぎて使えないから棄てるか」って、押し入れから引っ張り出されてきた黄橙色の、ビニール臭さと、まるで体育館のマットのような臭いが混ざったような布切れがまさにそれだったのだ。広げてみて、ちょっとポールを入れて建ててみて、先輩の山屋さんたちが「懐かしいなあ」なんていってる横から中に潜り込んでみると、なぜかグラウンドシートの一部に開閉できる四角い穴があった。

「先輩、この穴、何なんすか?」

うわははは〜と、6畳二間の山岳会事務所に笑い声が響いた後、教えられたのは、

厳冬期、外でクソが出来ない時にここでウンチするための穴だよ、とのこと。

高田の馬場のカモシカスポーツとか、代々木のICI石井スポーツとかでたまに展示されていた初期のヒマラヤアタック隊や南極越冬隊用の防寒具の股ぐらに、特別なジッパーが着いていたのを思い出して「な・る・ほ・ど」と理解したのを思い出した。

カビ臭い押し入れから引っ張り出された黄色いダンロップテントは、そんな過酷な環境で使用される時を待って何十年も越冬していたのであった。

その後、テントの素材の発展は日進月歩で、昔ながらのカマボコテントを過酷な環境に連れて行こうという計画など、事務局長レベルで却下されるのが習わしとなり、自分のような新参者は大掃除の時に初めてお目にかかることができたわけであったが、生死の境となるかもしれぬ環境で、その境目として踏ん張るべく生み出されたテントからは、かび臭さとは少し違ったいいじらしい誇りのようなものが感じられたのであった。

(そんな記憶があったものだから、自分が事務局長になった時の大掃除では、スンゲー臭いけどそれは棄てるなよって言っといたんだけど、今はどうだかなぁ)

山屋といえばテントでしょ。貧乏/裕福関係なく

高校時代の部活説明会の衝撃で山岳部に入部すると思いきや、そうはしなかったとはいいながらも課外授業とか、まとめて2コマ分の単位を貰える合宿授業などでキャンプに参加はしてきたのだけれど、ほとんど記憶にない。カレーライスが不味かったとか、あるいは可愛い子が作ったからおいしかったとか、キャンプファイヤーの出し物で南米の太鼓を打ち破ってしまったとか、風変わりな記憶ばかり。

次のキャンプの思い出は、山の先輩と一緒に当時の山ガール3人くらいを連れての白馬岳登山。いくらなんでも素人だから無茶だよとの進言も聞き届けられることはなく、ボッカ(荷物運び)役として連れて行かれて、案の定、途中からは当初の持ち物以上の荷物を背負わされ、ようやくたどり着いた稜線の山小屋。というか山小屋前のテント場。小屋に泊まれるものと勝手に夢想していた疲労困憊ガールズの横で、ジャンボエスパースという当代最大サイズのテントを伸展して建てていく時の彼女たちの表情と来たら!

そもそも8人~10人だって泊まれるくらいのサイズのジャンボエスパース。5人で登るのに担ぎ上げるのは明らかにオーバースペックというか、無駄なデカさ。それを背負わされた(いちおう先輩は本体で、こっちはポールと外張り《って倍近くこっちが重いんですけどね》)こっちの身にもなってみやがれってもんだけど、先輩のお客さんだから文句も言えず。さらに、山ガール諸姉は、テン泊のショックゆえか。疲れのせいか、先輩と俺が作った夕食をほとんど口にもせず。

むむむむむ~とお腹の虫が騒いでいたら(実際、高山では気圧が低いためにオナラがいっぱい出たりもする)、その夜突如暴風が襲ってきた。

ボッカでけっこう疲れていたこっちは、なかなか気づかなかったのだけど、ふと目覚めてみると風のせいでテントの横っ腹が寝ている自分の口に触れるほどにテントが傾いている。かと思ったら、逆向きの突風でテントが反対方向に横倒しになる。その瞬間、テントの布の内側に着いた結露がぶわっとテント内に激しく散る。それだけでも大暴風雨って感じ。にも関わらず、山ガール3人組はぐーぐーぐー。先輩はテントの外に出て、何とかテントが倒れないようにしようとしているのだが、ドーム型のテントを補強することは物理的に不可能だ。不可能だけど、そんなことは分かっているけれども、先輩は3人も初心者を「だまして(ぜんぜんキツくないから、大丈夫だから、などと)」連れて来たのだからケガなどさせるわけにはいかないのでとにかく頑張る。その間も、テントはアーチの壁の部分が寝ている彼女たちの顔に引っ付くくらいに倒れかけては、また逆方向にバタッと一瞬にして倒れ返すような動きを続ける。テン場が稜線上だったことが裏目に出て、テントは右に左に翻弄される嵐の中の帆のようだ。

しばらくテントの内側から支えていたが、内側から持ち上げるように力を入れると、ポールの継ぎ目が抜ける方向に力が掛かってしまうので自分も外に出た。

ヤバいな。山稜の砂粒まで一緒に飛んでくるような嵐を頬に受けながら先輩が言った。こんな嵐の中でよくもまあ、寝ていられるもんですよと方頬で笑おうとした瞬間、ついにテントのポールが折れた(このテントは先輩が大学の山岳部から借用してきていたものだが、ポールが樹脂製というジャンボエスパースの中でも最も古いタイプのものだった。当然、必要以上に重い上に弱い)。テントはポールのテンションで支えられている訳だから、2つのポールのうち1つが折れれば、ほとんど単純な布袋状態になる。あとはテント内にいる3人の体重だけで、飛ばされないように支えているようなものだ。

超・大ピンチ!

どうやって彼女たちを脱出させたのか。どうやってテントを風に飛ばされないように回収したのか、残念ながらまったく記憶にない。記憶する余裕がないくらい働いたということなのだろう。でも記憶にないくらいだから、決定的に命の危険に晒されるという感覚もなかったのかもしれないけれど。たぶん、ものすごくラッキーだったのだと思う。

その後2日間に渡って天候が回復することはなく、結局、山小屋で2泊3日を過ごすことになったわけで、彼女たちは山小屋での3食昼寝付きを満喫し、テレビもなくてヒマだヒマだと駄々をこね続け、おかげでこっちは「ジェンガ」とか「ぐらぐら斜塔ゲーム」とか、下界での通常の生活では読む機会のなかったであろう絵本のたぐいの読み聞かせとかを体験させていただくことになったのであった。

いやあ、書いているうちに思い出してくる記憶ってあるのですね。楽しい。

ということで、山のじいさんの昔話、気が向いたら続けますかな。次は、無理矢理登山道でビバークした話にしようかな。。。

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