【甲子園伝説】怪物松井秀喜に勝つために!明徳義塾が取った作戦は『どんな状況でも歩かせる』5打席連続敬遠だった!

doraemon

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伝説の5打席連続敬遠
伝説の5打席連続敬遠

元読売ジャイアンツ、そしてメジャーリーグ、ヤンキースでも活躍した松井秀喜は星稜高校時代1年生から4番を打ち、3年春のセンバツではラッキーゾーンがなくなった甲子園で3本のホームランを打ち、プロも注目する超高校級選手としてその名は全国に知れ渡っていました。

そして今から23年前の1992年8月16日、松井秀喜にとって高校最後の甲子園となる第74回夏の甲子園の2回戦。明徳義塾対星稜高校の試合で事件は起きました。

なんとこの日、松井秀喜は1度もバットを振ることなく、5打席連続で敬遠されてしまいます。

松井秀喜・全5打席
松井秀喜・全5打席

試合は松井の星稜が2-3で敗れ、高校生活最後の松井の夏が終わりました。

--------------------------------星稜   001 010 000 | 2
明徳義塾 021 000 00X | 3
--------------------------------

私が思うこと。。。

敬遠も野球の大事な作戦の1つということは重々わかっている上で話します。。

どんな強打者が相手であれ、どんなに勝つことが大事とはいえ、高校野球で5打席連続敬遠という作戦は私は反対です。敬遠された松井選手も悔しかったと思いますが、明徳義塾の選手たちはどんな気持ちだったんだろうかと考えてしまいます。

監督が『どんなことがあっても敬遠』という作戦を立てたならば選手は従うしかありません。もしかしたら勝負したかった選手もいるんじゃないかと私は思います。少なくとも私が明徳義塾のピッチャーだとしたら悔しくてたまりません。

試合後、明徳義塾の馬淵監督は
『正々堂々と戦って潔く散るというのもひとつの選択だったかもしれないが、県代表として、ひとつでも多く甲子園で勝たせたかった。選手には嫌な思いをさせてしまった。私もつらかった』と語っています。

ルール違反をしたわけではない。松井秀喜がすごすぎた。これがすべてなのかもしれませんが。。。

星稜は最終回に1番2番と内野ゴロに倒れたあと、3番の山口くんが左中間を破る3塁打を放ち最後の最後で松井に打順をまわしました。ところがここでも松井は敬遠されました。この日5度目の敬遠でした。

レフト星稜高校の応援席と外野席からはメガホンや紙コップがグラウンドに大量に投げ込まれました。星稜の選手たちがこれを片づけていたのを覚えています。これは何があってもあってはならないことです。試合後も勝った明徳を罵倒するような声がスタンドから響いていました。校歌を歌っているときは『帰れコール』もありました。とても残念な気分になりました。

星稜応援席からは大量のメガホンや紙コップが
星稜応援席からは大量のメガホンや紙コップが

一番悔しかったのは彼かもしれない

そしてこの試合で忘れてはならないのが星稜高校の5番打者の月岩くんです。そう、彼は敬遠され続けた4番松井の次のバッターです。

月岩くんも屈指の好打者でしたが、松井を敬遠すると決めていた明徳義塾は月岩くんを徹底的に研究したそうです。結果、1つのスクイズ以外は4打席ともチャンスで凡退しました。

月岩くんは地元に戻ってからも誹謗中傷にあいます。そしてその後の人生においてもこの甲子園の苦い経験がネックになり自暴自棄に陥ってしまったそうです。

そんなときでした。テレビをつけるとたまたまヤンキースに移籍したばかりの松井秀喜が映っていました。テレビの中の松井はホームデビュー戦でホームランを打ちました。奇しくも前の打者が敬遠された後でした。

その光景を見た月岩くんはあの時の自分とダブり、プレッシャーをものともせずはねのけ、ホームランを打った松井を見て涙が止まらなかったそうです。そして、『こんなことで腐っている場合じゃねぇ』と元気を取り戻したそうです。

松井秀喜は野球人としても、一人の人間としてもすばらしい

松井秀喜は5打席連続敬遠されても、
たったの1度のバットも振らしてもらえなくても、

イヤな顔、ふてくされるような態度を一切表に出さずに1塁へ走って行きました。そして試合後、『相手の作戦なので、なんとも言えない』と語る姿はとても18歳の少年とは思えないものがありました。

この経験は松井秀喜を1まわりも2まわりも成長させたのではないでしょうか。

のちに読売巨人軍で4番を打ち、名門ヤンキースでも4番を打ち、さらにはワールドシリーズを制覇、MVPにも選ばれました。日本で10年、メジャーで10年。合計507本ものホームランを打ち、輝かしい成績を残し彼は現役を引退しました。

その裏には並々ならぬ努力があったことは言うまでもないでしょう。

そして、もしかしたら彼の『輝かしいまでの素敵な野球人生』は松井秀喜という男を見てきた野球の神様が彼にプレゼントしたものなのかもしれません。

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コメント(4

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  • P

    pamapama

    松井選手の地元、石川県能美市に住むわたしの叔父はいまでもこの話になると怒ります(笑)。

    • D

      doraemon

      能美市なら思いっきり地元ですもんね。甲子園の優勝がない石川県にとって松井の代は期待が大きかったと思います。星陵高校のユニフォームは独特でかっこいいですよね。地元の球児たちの憧れなんじゃないですか~^^

    • 5

      51mister

      切ない出来事でした。勝つための戦術としては、監督の判断は正しいでしょう。勝つだけのためなら。甲子園に出場し、星陵の松井と戦える!選手は絶対に勝負したいですよね。松井だって打率10割、全打席ホームランだったわけではないのですから。打者と投手の違いはありますが、江川攻略に全チームがなりふり構わず戦略をたてたように、松井も同じ高校生では、太刀打ちできない突出した選手だったことは間違いありません。「ドカベン」では敬遠対策で、山田を1番にしたところ、足の遅い山田がワザと敬遠され、かえって明訓は苦しみました。結構リアルにあり得るシーンを描いているところが、水島マンガの凄いところです。「タッチ」では、こうしたリアリティは描かれません。「巨人の星」では、リアリティどころか、根性と魔球ですから。まぁ、将来的にヤンキースで4番を打つ選手でしたから、打ち取れないとの判断は正しいでしょう。自分が監督だったらと考えても、その場にならないとわからないでしょうね。選手たちには勝たせてあげたいし。

      • D

        doraemon

        あの年の明徳義塾は絶対的なエースと呼べるピッチャーがいなかったのもこういう作戦を取らざるを得なかったのかもしれません。馬淵監督もこの作戦がここまで大ごとになるとは思っていなかったのでは、、、

        勝った明徳義塾も次の試合は広島工に大敗でした。広島工とはこの年2試合練習試合を行い、2試合とも圧勝だったそうですから選手たちは普通の状態で試合に臨めなかったのかもしれません。私が気になったのは、試合後の馬淵監督のコメントで『正々堂々と戦って潔く散るというのもひとつの選択だったかもしれない』というところです。最初から勝負したら『負ける』前提でした。正々堂々と戦って勝つかもしれないという考えはなかったようですね^^;私はやはり反対ですが、記事にも書いた通り、ルール違反をしたわけではない。松井秀喜がすごすぎた。これがすべてなのかもしれませんね。