五月の祭りの次の日、いつもお世話になっている福島県の神社の社務所におじゃまして、宮司さんと奥さんとお茶っこさせてもらった。
前日の神輿のこと、神輿の担ぎ方のこと、それぞれの神社の神様のこと、復興に向けての町の雰囲気など様々な話をしていくなか、急にオーブの話になった。
祭礼の1月ほど前、復興を祈念し、犠牲者の御霊を鎮める思いが込められた紅梅の木が、京都の著名な神社から献木されていた。祭りの日、たくさんの人でごった返す中、翌日の社務所に居合わせた客の全員がその梅の木の写真を撮っていたというのも不思議だったが、もっと不思議だったのが、献木された梅の木を境内に植樹する様子を、地元新聞社の記者が撮影した写真にたくさんのオーブが写っていたことだ。
「これ、よく見ていただくとオーブなんですよ」と宮司さん。
「本当だ、こりゃすごいね」「あ、ここにもいますね」と客人が声を上げる。
「オーブって言っても怖いものじゃないんですよ。魂なんですから」と奥さん。
30代から60代まで、要は大の大人が6人も集まってオーブについて語らっているのだ。明るい午前の日差しが差し込む畳敷きの部屋で、オカルトめいた雰囲気など微塵もなく、ごくふつうのこととして、いやむしろ、ありがたいことだといった雰囲気で。
昨年の正月、宮城県の大川小学校の校舎内に飾るイルミネーションづくりを手伝った時、災害支援チーム「311Karats。」の新沼さんが、ここで写真を撮るとオーブがたくさん来てくれるんだよね、と言って写真を見せてくれたのを思い出した。それはそれは見事なくらいのオーブたちだった。
オーブは大川小学校で亡くなったこどもたちの魂。イルミネーションを作ってくれてありがとうとか、一緒に遊んでよって言って出てきてくれたんだろう。そう思わずにいられなかった。そうと気づくと自分でも見てみたい。自分が撮った写真にも写ってほしいと熱望するような思いにもなったが、なぜかなかなか写ってくれない。
そんな話を神社の社務所でしていたら、「オーブって純粋な人に写るんだよね。写ってもよさそうなもんだけどね」と言ってくれた人がいて、そう聞いた時に分かった気がしたことがある。
たとえ「写ってほしい」と熱望していたとしても、そういうことじゃないんだと。
大川小学校のイルミネーションを作る人たちは、こどもたちに少しでも楽しんでほしいと純粋に思って思って思ってあの場所を訪れる。東京からくる人、山形からくる人、地元からの人たち、石巻からタクシーで駆けつけた人もいた。純粋に真剣に思ってくれるから、何度も何度もやってくきてくれるお兄ちゃんたちのところに、オーブたちは、ねえ遊ぼうよと言ったり、ありがとうと言って集まってくるんだろう――。だって魂なんだから。
神社に植樹された梅の木は、梅にゆかりの由緒ある神社から贈られたもの。神社を中心にお祭や日常行事やお茶っこしたりしてきた町の人たちなのだから、自分たちのコミュニティへの価値あるプレゼントを嬉しく思ったり、ありがたいと手を合わせたりしている魂はたくさんいるに違いない。
こんな話、小中学生にしたら笑われるかもしれないな。帰りの電車の中でそう思った。けれどもたくさんの人が亡くなった場所、町の建物が流され、破壊され、わずかに遺された町の記憶ともいえる道路までもがかさ上げで失われていく場所に立っていると、そこにいるであろう魂に話しかけたくなる。自分が本当に話しかけたりしてしまうことが、そんなに不思議なこととは思えないのだ。
以前、被災地で聞いたゆうれいの話について書いたことがあった。今でもゆうれいの話を聞くことがある。そして今も変わらず、被災した土地の人たちがゆうれいをそれほど恐れていないことに気づかされる。
オーブでもゆうれいでも、そこに存在した人々の魂を悼む気持ちの反映なのだから、迷信だとか非科学的とか指弾されるようなものではないのだと感じる。
被災地で聞いたゆうれいの話では、ゆうれいよりも生きている人間の方が別の意味で恐ろしいということも書いた。それも今も変わらないように感じる。もしかしたら生身の人間のいやな話が目につくからこそ、オーブやゆうれいに気持ちが近づいていくという側面もあるのかもしれない。
いや、でも、そんな問題じゃなく、魂もオーブもゆうれいもいるのだろう。そう思う。
祭りの日もその翌日も、五月の空は明るく晴れていた。ゆうれいの話などまるで似つかわしくない、薫風かおる空の下、われわれ大人たちはオーブやゆうれいをまるで隣人のような感じで話し合っていたのだった。
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