海に向かって坂道を下って行くと小さな集落があった。まるで夢の中のような光景。
夢のようなという言葉の意味のひとつは悪い夢だ。
集落があった場所には大きな消波ブロックが転がっている。ブロックは傷だらけだ。
「集落」という言葉をそのまま呑み込んではならないと思う。ここには家があり、日々の暮らしがあり、おしゃべりがあり、祭りがあり、うれしいことや悲しいことがあり、人の生活そのものがつまった場所だったはずだ。
常磐線の線路と海に挟まれたこの場所に、いまは見えなくなってしまったけれど。
海が、こんなにも近い。
ここに故郷あり
「夢のような」のもうひとつの意味は、文字通り未来につながるものとしての夢だ。
ここは久之浜(福島県いわき市)北部、金ケ沢にある見渡(みわたし)神社。仮の社殿、パイプで造られた鳥居、譲ってもらった石灯籠……。人口が少なく神社の再建そのものが危ぶまれた時期もあったという。それでも、たくさんの人たちの支援を力に、地元の人たちはひとつずつ、少しずつ再興に向けてのあゆみを進めてきたらしい。
4月27日にはこの地で鎮守の森の再生に向けて植樹が行われた。地元の人たちやボランティア約300人が植えたのは、シラカシ、タブノキ、シイノキなど25種類、約700本。仮社殿を取り巻く若木たちは、国内外1700カ所以上で植樹を指導し、これまで4000万本以上の木を植えてきた宮脇昭横浜国立大学名誉教授の指導で植えられたものだ。
宮脇さんは、その土地本来の植生を復活させることで、緑の防潮堤を東北各地に築く活動を進めていることで知られる。神社の森、鎮守の森は人々に守られることで自然の植生が伝えられてきた場所。地域の人たちにとってはコミュニティの中心であり、祭りの場であり、尊崇と畏敬の対象。そして本来の自然が生き続けてきた場所。
その復活のために木を植える。それもその土地本来の木々を。高木美郎宮司の奥さんにいただいた新聞記事の切り抜きには、こんな宮司の言葉が記されていた。
「津波があらゆるものをのみ込み、避難者の生活再建も道半ばだ。植樹した若木が深く根を張るように、私たちも古里を次代に残していきたい」
平成26年4月27日、新聞に掲載された高木宮司の言葉
若木が成長し、鎮守の森に育っていくのにどれくらいの時間がかかるのか分からない。少なくともそれは人の人生に匹敵するほどの時間だろう。それでもきっと、鎮守の若木が枝を伸ばし根を張っていくのと同じ時間の中で、集落の人々は社殿を再建し、暮らしの場を復活させ、この土地に生きる時間をよびがえらせていくことだろう。よろこびやかなしみ、日々の暮らしが流れていく時間を。
久之浜の神社で風に吹かれる旗「ここに故郷あり」。
復興は若木が成長するように時間をかけて育っていくことなのかもしれない。
写真と文●井上良太
4月27日の「鎮守の森」復活事業について
見渡神社境内の植樹は、日本財団が2012年から東北の被災3県を対象に進める「鎮守の森復活プロジェクト」の一環で、福島県では初の開催。神社本庁、福島県神社庁の後援で行われた。植樹された苗はもとより、石垣が流出した場所を植樹できるように整える土壌改良費など全面的な支援に地元の方がたはたいへん感謝されていた。
「鎮守の森復活プロジェクト」は、これまで次の神社で行われている。八重垣神社(宮城県山元町)、神明社(宮城亘理町)、青巣稲荷神社(宮城県山元町)、川口神社(宮城県亘理町)、鳥海塩神社(宮城県亘理町)、伊去波夜和気命神社(宮城県石巻市)、見渡神社(福島県いわき市)、新山神社 (宮城県石巻市)。次回は宮城県石巻市の五十鈴神社での植樹が予定されている。
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