3月11日14時46分、きっと日本中でたくさんの人たちが目を閉じて、あの日のことを思うでしょう。どんな様子が思い浮かびますか?
4年前の3月11日、地震の揺れは6分間以上も続いたということです。立っていることができない烈しい揺れが続いた6分は、地震を経験した人にはもっと長い時間に感じられたそうです。
地震による大きな揺れの最中には、岩手県、宮城県、福島県の沿岸に津波警報が発表されています。予想される津波の高さは最初の発表では宮城県で6メートル、岩手県と福島県で3メートルでした。岩手県から九十九里までの津波予想高さが10メートル以上に改められたのは15時30分。その時すでに巨大津波は三陸沿岸部の広い範囲に襲いかかっていました。
人も家も車も船も鉄道も町の全てを巻き込んだ津波は奔流となって、人々の生活があった場所で渦巻き続けました。多くの命が奪われました。たくさんの人たちが親を子を妻を夫を兄弟姉妹を恋人を親友を子どもの友達を近所のおばちゃんやおじちゃんを奪われました。学校を職場を生業を地域のつながりを生活と心の糧を失いました。
3月11日14時46分、日本中でたくさんの人たちが目を閉じて、あの日を思うことでしょう。でもその黙祷の1分間は地震の始まりの1分間でしかないのです。4年前のその時間に始まって今日もまだ続いていること。まだまだ長い時間がかかること。どんなに時間を費やそうとも取り返すことのできないものがあるということ。
今日は4年しかたっていないということを思う最初の1日目でしかないのかもしれません。
「東北のことを全部のテレビ局がやるのって、この頃だけだもんな」。そんな言葉もよく聞きます。「すっかり忘れられてんだべなぁ」という呟きには絶望まで滲みます。
そんなことないですよ。そう伝えることができる私たちでありたい。
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