12月17日の報道一斉メールで、福島第一原発正門近くに新設されていたJタンクエリアから、送水していた処理水を漏らしてしまったとの発表があった。その後、第二報、第三報に続き19日の「日報」には、漏らしてしまった原因についての発表も行われた。
状況は極めて深刻である。漏らしてしまった水が、多核種除去設備で処理した後の水であり、比較的汚染度が低いものだったとか、水漏れを防ぐ為にわざわざ設置されてきた堰の外に漏れたとはいえ、附近に排水溝がないから海への流出は認められないとか、そのような問題ではない。
今回、汚染水(処理後の水とはいえ、自然界に存在する水に比べれば極めて汚染度が高いものだ)を漏らしてしまった「事故」がいかに深刻なものであるか、その理由をこの日発表の「日報」の引用に続いて、以下に述べる。
※平成26年12月17日、多核種除去設備処理水をJ6タンクエリアに移送していたが、J5タンクエリアとJ6タンクエリアの配管が一部接続されておらず、同日午後3時頃、当該処理水が漏えいした。当該処理水は堰外に漏えいしたが、当該接続配管の弁を閉じて、漏えいは停止。また、漏えい箇所近傍には排水溝はないため、海への漏えいはないことを確認。なお、モニタリングポスト指示値の有意な変動は確認されていない。
現場確認の結果、漏えいした水は近くの土壌に染みこんでいること、また配管トレンチに溜まっており、その先も土嚢により流出が止まっていることを確認したことから、海への流出はないと判断した。漏えい量は、移送量と移送時間から約6トンと推定。
至近(12月15日)における当該処理水の分析結果は、以下の通り。
・多核種除去設備A系処理水:8.9×101 Bq/L(全ベータ)
・多核種除去設備C系処理水:1.2×102 Bq/L(全ベータ)
また、本件については、12月17日午後4時25分に核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法令第62条の3に基づき制定された、東京電力株式会社福島第一原子力発電所原子炉施設の保安及び特定核燃料物質の防護に関する規則第18条第12号「発電用原子炉施設の故障その他の不測の事態が生じたことにより、核燃料物質等(気体状のものを除く)が管理区域内で漏えいしたとき。」に該当すると判断した。
その後、配管トレンチ内の溜まり水(雨水も含む)については、同日午後7時35分に回収を完了。回収量は約9m3。漏えい水が染みこんだ土砂については、同日午後5時30分までに約20m×約0.5mの範囲で回収している。
事故はまた起きる。そう言わざるをえない。
たしかに今回の事故と類似の事故は、「図面だけではなく現地確認」という基本を徹底することで回避されるようになるかもしれない。しかし、現地確認は作業の基本中の基本だ。これが原因であったということが意味するのは何か。
手順書を作成する人間が現場に出ていないということだ。
仮に出ていたとしても、実際に現場で行われている作業を具体的に見ていないということだ。
手順書の策定に当たっては、何人もの責任者による確認印がずらっと並んで捺印されていたことだろう。確認もせずに押印された確認印。想像するだに恐ろしくなる。
現場は正門の近くなのは前の記事で指摘したとおりだ。原発事故の爆心である原子炉建屋などからはもっとも離れたエリアだといえる。高線量を現場確認を行われなかった理由にすることはできない。そんな場所にも工事を監理し計画を策定する責任者が出ていないとすれば、ほかの現場はどんな状況なのだろうか。
いわゆる「吉田調書」を見ると、2011年の事故直後から、決定的にマンパワーが不足していたことが明かされている。深刻な人員不足は現在も続いているのではないか。作業員についてのみならず、管理者・監督者についても。
そんなことすらできない状態
事故原発で収束に向けて作業している人たちの中に、地元出身の東京電力社員がたくさんいることは知られている。縁故者たちが常々語るのは、東電や関連会社で頑張っている人たちは、事故の収束の為に本気で頑張ってくれているということだ。
それは間違いない。
しかし、なぜ今回のようにあまりに初歩的な事故、その原因をたずねても、結局は考えられないような杜撰さが見えてしまうのか。
そこにはもっと本質的な問題があるとしか考えられない。
知識や経験を持った人たちが、地元の被害を少しでも早く減じて行く為に努力されている。しかし残念ながら、報告される事故や事象の原因のほとんどが、あまりにも初歩的なヒューマンエラーによるということ。このことの意味を、深く考える必要がある。
これは東京電力だけの問題なのか?
日本中の人たちが考えれば、必ず善処の方向は見えてくるはずだ。東電や政府、行政の問題だと、どこか遠くで見ている私たちにも責任はあるのではないか。
接続していない配管に水を流して漏らしてしまいましたなんて、本来なら、このこと一事で会社が吹っ飛ぶほどの重大事故(事件)であったということを、私たちは忘れていないか。
事故原発で繰り返される事故やトラブルに、私たちは馴らされてはいないか。
「いい加減にしっかりしろ」と声をあげなければならないのではないか。事故原発の収束に向けての活動を応援しながら見てきた身には、今回のあまりに杜撰な事故(事件)の衝撃は大きすぎる。
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