11.6 この日は平和の実現のために、戦争による環境被害を考える日

iRyota25

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クウェートに侵攻したイラクに対して、ブッシュ父政権のアメリカを中心とする多国籍軍が制裁の戦いを行ったとされる湾岸戦争。あれからもう20年以上の時間が経過しました。湾岸戦争が始まって数週間後、破壊された原油積み出し施設から流出した真っ黒な油にまみれて、羽ばたくことすらできなくなった真っ黒な海鳥の映像が世界を駆け巡りました。ショッキングでした。それまで、クウェートを侵略したイラクをやっつける「正義V.S.悪の戦い」という図式で説明されてきたあの戦争の印象が一変したのを覚えています。

しかし同時に、多くの人命が戦乱によって失われている中、海鳥の苦境にクローズアップするする報道がセンチメンタリズムに過ぎるという批判を浴びたことも忘れられません。進行形の最中にある報道は、良くも悪くも表層をなぞるものになりがちであるといういうことも、あの戦乱によって示されました。

湾岸戦争では、例の海鳥(ウミウの一種だったとされます)が油まみれになる原因となった沖合の原油積み出し施設からは、400万トンもの原油が流出したとされています(日本の国立環境研修所の資料による)。その影響は非常に広範囲に及び、沿岸のマングローブ林やサンゴ礁に影響を及ぼし、ジュゴンやイルカ、ウミガメなどの多くの野生生物が生息していた地域に破壊的な影響を及ぼしたとされます。

さらに、航空攻撃などにより撃沈されたタンカーからも多くの原油が流出。さらに地上戦で破壊された油田からは、1日当たり1万3千トンのばい煙、1万7千トンの硫黄酸化物、107万トンの二酸化炭素が出ていると推測されたといいます(いずれも国立環境研修所の資料より)。

油にまみれて飛ぶことすらままならなくなった海鳥の映像が象徴していたのは、人類を含めた多くの生物たちにとって、かけがえのない「地球環境」の破壊そのものだったのです。それは、原油にまみれたウミウの悲惨さを語るのみならず、同じくこの地球上で生命を育んでいる人間が直面する苦難の象徴ですらあったのです。

無理がある例えとは知りながらも、たとえば、私たちの生活環境が原油まみれにされてしまったら、私たちは生きて行けるでしょうか。

当然、不可能でしょう。生存を脅かす深刻な汚染、生きて行くべき当たり前の環境の破壊は、ヒトという生物が「生きる上で欠くことができない、言うに言われない理由」によって引き起こされたのではありません。

破壊の原因は、戦乱です。

仮にそれがなくても、間違いなく生きて行けるであろう、戦いという不条理です。

同じ場所を生きる人々のみならず、広く世界の同時代人にとっても縁遠く、さらに地球の自然環境の立場から見れば意味不明な訳の分からないような動機によって破壊が始められ、それは拡大拡散し、その結果として、生物が生きてく基盤となるものが損なわれたのです。

戦乱は人々に非情なる苦しみをもたらします。家族は破壊され、親しい人と人のきずなは断ち切られ、多くのこども達を孤児とするようなことが正義の名の下に行われ、人と人との信頼までもが切り刻まれて行きます。

のみならず、戦乱はもう一つの面では、人々が築いてきたコミュニティを「町」という目に見える形でも破壊し尽くします。戦争とは、国家あるいは集団によって組織された大規模な破壊行為に他ならないからです。

町が、そしてコミュニティが破壊されていく中、人々は恐れおののき逃げまどうほかありません。多くの仮設のキャンプを転々とし、生き長らえることだけを直近の目標に生きて行くほかない人々をたくん生み出すことになります。そんなこと、許せますか。

故郷を逃げ延びずにすんだ人たちの上にも、住まうべき町の再建という厳しい試練がのしかかってきます。あるいは一時的に逃げ延びた人たちの中にも、いずれは故郷に戻りたいという思いを強くする人がたくさんいることでしょう。帰還を時局が許すときになれば、その人達も故郷に還り、あらたな住まいを、そしてコミュニティを再興したいと模索しはじめることでしょう。

もとより、破壊されることがなければ、この「再建」は不要なものです。そこには多くの資材とエネルギーが注ぎ込まれることになります。家を造るために木が切り倒され、煉瓦を焼くために燃料しての植物が使われ、それでも足りない分はコンクリートなど大量のエネルギーによって造られる建築材料が大量に用いられることになります。それでもそれは、町の復活という華々しい未来に続くことだと信じられるかもしれません。

しかし、それは地球全体で見ると、極めて無駄な、環境資源の浪費でしかありません。

もちろん、被害を受けた人たちが再興の道を辿ることを批判するわけではありません。その大元の元になった出来事を防ぐことができさえすれば、地球の環境に無意味な負荷をかけることなく、もちろん人々が生活を脅かされることもなく、地球全体で見たときの幸せが増大できるのではないかということなのです。

11月6日は、「戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー」です。日本語に訳すと、悲しくなるくらいもどかしく、堅苦しい言葉になってしまうのが無念なのですが、人類が、そして人類も含めた地球の生き物全体が、人間による戦争の惨禍によって危機に瀕している。そのことを、改めて考えてみる日。そういう日なのだと思います。

11月6日。何だか日本語では難しげな名前の日だけど、地球と生命と人類のために戦争を止めることを人類が決意する日。日付を数字で言うことが最近では一般化しているから、言葉は覚えなくても「11.6」がそういう日、地球と人類のために戦争を止める一歩を始める日として広まったらいいなと思う次第なのです。

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