Pharrell Williams - HAPPY (Ishinomaki, Japan) #happyishinomaki #happyday
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今さらながら、HAPPY (Ishinomaki, Japan)。
だけど、撮影があった頃に日和キッチンのキヨミちゃん(もう二度と誰にもこんな思いをしてもらいたくないんですと話してくれた人)から、Pharrell Williamsのこの歌が好きって教えてもらっていた。
だけど、そのちょっと後に、別の被災地でこんなことがあった。
ボランティアの人たちとか、久しぶりに訪ねてきてくれた人に見てもらっているんですよ、と知り合いの方が見せてくれたのは震災前の町の様子を写した写真のパネル。その中にびっくりするような一枚があった。
それは、震災の前の大漁祭りで撮影された写真。そこには、テントの中からお祭りを見ている人たちの笑顔が写されていた。
笑顔? そう、それは見たこともないくらい素晴らしい笑顔。
「素・晴らしい」という言葉そのもの、「一点の曇りもないストレートな」「晴れ晴れとした」笑顔。パネルを手にして言葉をなくした。そして、ほんとにバカだったんだけど、見せてくれた人にこう言ってしまったんだ。
「こんな笑顔、見たことない」
大震災の後になって、それまでほとんど行ったことがなかった(1回行ったことがあるとか、ドライブで素通りしたとか、その程度だった)町々で、多くの方達と知り合いにさせて頂いた。また会いたい、また行きたい。そう思わずにいられない人たちばかりだった。だけど、その写真パネルのような笑顔には、出会ったことがなかった。
パネルを見せてくれた方は、「そうですね、なかなかこんな風に底抜けに笑えることってなかったかもね」と言葉を合わせてくれたけれど、自分の不用意な一言を心底から悔やんだ。心底。
それから1カ月くらい経つが、その思いはずっと続いている。細部の記憶は飛んでしまっても、写真パネルに写っていた人の笑顔は、強烈すぎるほどのコントラストとして自分の心の中にある「眼」とか「思いの心臓」をえぐり続けている。
そんな時間が続く中で、たまたま、今さらながらHAPPY (Ishinomaki, Japan)を見たんだ。そこには、知ってる人たちが、ちょっとオーバーな言い方をするならほとんど半分くらい(さすがにオーバーすぎるか、三分の一くらい?)登場して、たまんないくらいの笑顔で歌って、踊っていた。
友だちみたいな感じでいろんな話を聞かせてくれた人たちが、笑顔で踊っている。あんなこと、いろんなこと、きついこととかも話してくれた友だちが、映像の中で手を叩いて踊っていた。
気がつけば、見てるこっちまで、いっしょになって手を打っていた。
今日ネットで「可哀想な被災者なんていない」というタイトルの記事を見かけた。そりゃそうだ。可哀想なんて上から目線で絶対に許せない。だけど、とはいえ辛い思いが癒えた訳ではないということを思って、けっきょくその記事を読むことはしなかった。
写真のパネルで見せてもらった笑顔が、頭の中にあった。
そして、目の前のモニタの中は被災した友だちたちがHAPPYを踊ってる。
いま目に見える光景はモザイクのようなもの。言葉で言い表せるようなものではないんだろうなと思う。
1年半前に真冬のヒマワリの写真展で知り合ったカヅコちゃん、そのころはまだ取材みたいな格好で話を聞かせてもらったんだけれど、インタビューのほとんど最後の方で彼女はこんなことを教えてくれた。とても大切なこと。
苦しい人、いる。そのことをかき消しちゃダメだ。どうしても立ち上がれない人もたくさんいる。それでも立ち上がろうと本人が決めて、立ち上がろうとして苦労している人たちを、なんとかして支えようとしているだけ。それがわたしたちの仕事だし、わたしたちにはそうしかできないんだよね。——さすがカヅコちゃんだ。
モザイクがぐるぐる回り出す。だけど、キヨミちゃんもお勧めのPharrell Williamsの音楽がいっしょに回っているから、日本中、世界中のHAPPY好きのみんなともつながっていけるかもしれない。それは、きっととっても嬉しいこと。その輪の中に入って行こうよ。日本中みんなで。
という訳でもう一回。HAPPY (Ishinomaki, Japan)を
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