あの日の前の大川小学校と町の姿

iRyota25

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大川小学校――。多くの人々が訪れ、沈痛な面持ちでため息をつき、手を合わせて去っていく場所。

大川小学校近くの町並みの様子が映された、あの日の前の映像をFBで見つけました。

動画は新北上大橋の北から始まります。土手の上の国道から左折して大橋を渡っていく風景。もちろん津波からの仮復旧のクランクはなく、橋は釜谷方面へ真っ直ぐに続いています。渡りきったところにある変則信号を左折し、S字カーブの小さな坂を下った先には右手に酒屋さん、道の両側には民家が立ち並んでいます。

大川小学校に行ったことがある方なら地形から思い出してもらえるでしょう。

いまは大型トラックが土埃をあげる道路の、すぐ先右手の桜の並木が大川小学校の桜並木なのだそうです。

いまでは小学校の建物が残るばかりですが、ここには町があり、人々の暮らしがあったのだということを教えられます。

津波の後、大川小学校を訪れる人たちが駐車場のように使っている場所、そこも町の人たちの住居があった場所だったのだということが、動画を見るとよく分かります。

[VM0407A]_100430_宮城県石巻市(旧河北町)01_北上川_釜谷_長面_長面浦_尾ノ崎

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SenbaMasakiさん
2013/02/08 に公開

[VM0407B]_100430_宮城県石巻市(旧河北町)02_長面浦_尾ノ崎_大川小学校_釜谷峠

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SenbaMasakiさん
2013/02/10 に公開

車からの映像は大川小学校前から北上川を河口に向かって進み、追波湾の太平洋、長面湾、尾ノ崎あたりから再び大川小学校前を通り、新北上大橋の橋詰を左折し雄勝へと進んでいきます。

震災の前の町の姿が残された映像は貴重です。そして、この映像に映された町の風景をいまも瞳の奥に見続けている人がたくさんいらっしゃるのです。

文●井上良太

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