初めての姉妹会は東北で!

jina

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かねてからの夢だった三姉妹だけで行く女旅。東北も被災地も初めての姉と妹に、美しい東北、人と人がつながる東北、そして東日本大震災の爪あとを自分の目で見てそして感じて、これから私たちにできること、そして子供たちに伝えていくべきことを一緒に考えたい。

<参加者>
長女 くっぴん 年齢不詳 中学生2年生、小学5年生のママ
次女 サリー 39 才   高校生1年生、小学4年生、小学3年生のママ
三女 マリン 年齢未公開 小学6年生のママ

【1日目】
三島駅 出発6:45仙台駅 到着 9:30
仙台駅~若林区荒浜へ
運転手は私サリー、レンタカーは広めのプリウスを借りたけど。。運転したことがないし、なんかこの車進まない~~~(パニック)そんな調子で仙台駅スタート。

でも三女マリンちゃんは 「出だし好調イエーイ☆」と高めのテンションで頼りない私をフォロー。ありがとマリン。かわいい妹。車酔いする理由で助手席に座った長女くっぴんはいつもどおりおっとり。慣れない車でカチコチになってる私を独自なゆる~い空気で和ませてくれた。

そんなこんなでスタートした2泊3日の姉妹会。荒浜に入っていくうちに色が変わった。初めて東北を訪れる姉と妹の前に映ったのはおそろしいし津波の爪あとだった。

七の市商店街

七の市商店街

◇ 若林区荒浜 → 七の市商店街

荒浜周辺をゆっくりまわってからは商店街へ。

とても小さな仮設商店街、店主さんが常連のお客さんに「今日は何飲む?」といった会話が聞こえた。お茶っこ発見!

 七の市商店街
www.shichigahama.com  

◇ 七の市商店街 → しおがま・みなと復興市場

わかめの試食をすすめされて食べたら甘くてやわらかい。共栄丸水産さんのわかめは松島でスイーツとしても販売されているそうで、常温で一週間、冷蔵庫では何年ももつとのこと。

なんでわかめが甘いんだ~~~、激うま。迷わずみんなで大量買い。茎わかめもコリコリしていて味があり、乾燥ひじきは水でもどすと7倍に増えるそう。蒸した牡蠣もごちそうしてもらいました。牡蠣が苦手な三女マリンも「おいしい!」と笑顔。

共栄丸水産さん
共栄丸水産さん
3.11 あの日
3.11 あの日
殻付きならまだ販売中
殻付きならまだ販売中
 しおがま・みなと復興市場 - 東北物語
tohoku-monogatari.org  

◇ しおがま・みなと復興市場 → 松島温泉 元湯 ホテル海風土

宿泊はアジアンテイストの旅館。フロント横のショップには女子にはたまらないアジアン雑貨。せっかくの露天風呂付客室なので5回はお風呂に入るぞ~と宣言。

お茶を飲んで一息ついたら夕方の松島をお散歩開始。歩きながら津波が来たことを確信できる場所が何ヶ所もあった。

お散歩のあとは展望露天風呂。ディナーはお造の大皿盛りや、炭火焼きのタラバガニ、ホヤ貝、サバとお野菜など、贅沢すぎてボリュームもお味も満点だった。

松島温泉 元湯 ホテル海風土
 松島温泉 元湯 ホテル海風土
www.ubudo.jp  

【2日目】
◇ 松島温泉 元湯 ホテル海風土 → 松島港
2日目は遊覧船で島々を楽しむ50分のクルーズに出発。東日本大震災で崩れてしまった島もあった。この美しい島々、後世の人々の目にも変わらぬ美しい景色で映りますように。

◇ 松島港 → 東名駅
小さなかわいい無人駅だった東名駅。レールは外され無造作においってあった。取り外されたレールに「ありがと、おつかれさま」

水没した東名には被害を受けた住宅がまだ静かに残っていた。

◇ 東名駅 → 野蒜海岸(ノビルカイガン)
次の目的はビーチクリーン。ノビルカイガンに着いたはずだが積み上げられた岩がずっと続いていて海が見えない。車を止めて3人で岩を登りグラグラする岩を降りてやっと海岸へ。牡蠣とホタテの貝殻がたくさんあった。

小学生の頃、夏休みになると毎年パパが海水浴に連れて行ってくれたね。このビーチにもたくさんの人たちの思い出があるはず。思い出はみんなの心の中で輝いているのかな。

縄文宮戸まつり

縄文宮戸まつり

◇ 野蒜海岸(ノビルカイガン) → 宮戸島
海岸でゴルフスイングレッスン中の男性が宮戸島で縄文祭りをやっていると教えてくれた。ビーチクリーンを終了して宮戸島へ。少し走っただけなのに島時間が流れている。漁業体験のできる民宿を経営していた方のブースで焼海苔を購入。経営していた民宿は津波で流されてしまったが5件ほど民宿を再開していると教えてくれた。

◇ 宮戸島 → かんぽの宿 松島
震災遺構として検討されているかんぽの宿松島で、ひとりサックスを演奏している男性と私たち三姉妹だけ。静寂の合間に流れるサックスの音色は亡くなった方の魂を鎮めるかのようだった。電灯はまっすぐ倒れているのではなく、ねじれ曲がって倒れている。津波は水の中で激しくうずを巻いているのだと思った。

◇ かんぽの宿松島 → 石巻復興支援ネットワーク やっぺす

妹が石巻でかねてからゲットしたいと思っていた石巻コットンパールのブレスレット。販売先を電話で問い合わせしたところ、アマネセールを運営しているやっぺす代表兼子佳恵様が直接事務所で販売してくれた。

やっぺすとは『一緒にやろう』という意味です。「がんばって」や「がんばろう」ではなく、一方的な支援でもない『一緒にやろう』と活動しています。

”タイミング”と”チャレンジ”そしてやる気さえあれば誰でもチャンスはつかめます。私も震災前は普通の主婦でした。助けてくれる人がたくさんいたから活動することができました。

このアクセサリーは石巻の女性が自宅で手仕事で作っています。単価の安い内職とは違い、かわいいアクセサリーを時給で作ってもらいます。カワイイからこそ笑顔で作れるのです。

~やっぺす 代表 兼子佳恵氏~

三女マリンの石巻コットンパールをゲットしたいという熱意から思わぬ素敵な女性との出会いにつながって大興奮の時間でした。

 海と太陽の街・石巻のママによるハンドメイドアクセサリー Amanecer(アマネセール)
amanecer.ocnk.net  
 石巻復興支援ネットワーク(やっぺす石巻)
yappesu.jp  

◇ 石巻 復興支援ネットワーク やっぺす → 石巻まちの本棚

一箱本送り隊に送った本を探しに立ち寄った「石巻まちの本棚」木のぬくもりいっぱいの本棚。たまたま留守番を頼まれたという女性が本のお話と震災時のエピソードを話してくれた。

本は世界を広げてくれる。そして本をきっかけに人と人がつながっている。本で勉強しようと敷居を高くせず、軽い気持ちで楽しく本に触れて欲しい。本が一冊できるまでにたくさんの人が関わり、本が物だとしたら1冊の本の中の物はここには並びきれない物になるでしょう。だから本を大切にして欲しい。

石巻は震災で大変なことになってしまったけど、あなたたちの税金で私達は助かりました。ありがとう。本当にたくさんの支援を受けてきました。震災当時から毎週ボランティアに来てくれたピースボートの人たち、お帰り隊と言ってバイトとボランティアを繰り返しながら何度も来てくれた。

ただ物をもらう支援は辛かったが一緒にやろうと言ってくれたボランティアさんたちに助けられた。物で心はつなげられないが一緒にというフラットな支援に心が救われた。

情報がとにかく足りなかったので8:00に毎朝朝会を開いて情報を共有しあった。近所に住んでいるのに挨拶もしなかった人たちと毎朝同じ場所に集まることで仲良くなった。震災は本当にたいへんだったけど失ったことばかりではない。

石巻まちの本棚 S様

◇ 石巻 まちの本棚 → 女川町宿泊村 Elfaro(エルファロ)

エルファロに着いたのはもう夜だった。急いでチェックインを済ませて、お茶タイム。今日もあっという間の一日だったけど、涙あり感動ありで生きている感じがいっぱいだった。

1年前に来た エルファロはカフェやBARのスペースが追加されてさらに充実。フロントではセラミカ工房さんの雑貨や、女川FISHなどカワイイ雑貨が販売されていた。
室内はトレーナーハウスとは思えない清潔さ、アメニティも充実していてタオルもあるしパジャマもあるし、リーズナブルなので要チェック。

◇ エルファロ → ひわらび食堂

昼も食べずに動きまわっていたのでおなかがペコペコ。店主さんは「ここでしか食べれないものを食べろ~」と言って、自家製ホヤキムチ、カラスミ、くじらのお刺身。そして特製餃子。三女マリンは温かい食べ物を食べたいとリクエストで冷やしそばを温かいおそばにかえて出していただいた。

震災当日は港の市場でお祭りの予定がありお好み焼きを販売するための準備がしてあったので食べ物には困らなかった。非常食として小麦粉2,3袋を用意しておけばなんとかなるからとアドバイスをいただいた。

クジラのお刺身
クジラのお刺身
自家製ホヤキムチ
自家製ホヤキムチ
特製手作り餃子
特製手作り餃子
子どもたちのコミュニティ。駄菓子屋まがりかどさん

子どもたちのコミュニティ。駄菓子屋まがりかどさん

◇ エルファロ → 駄菓子屋 まがりかど

子どもたちのお土産に駄菓子のセット(200円)をふたつ購入。長女と三女は懐かしい懐かしいと自分へのおみやげ購入。家族旅行で訪れたのは去年のゴールデンウィークだが、店主さん私のこと覚えていてくれていた。店主さんのお母さんはあいにく留守だったがお母さんもお子さんもお元気とのこと。

よかった、また着まーす!とお店を出てレンタカーで大川小学校をナビに登録していたらお父さんがひょっこり登場!「久しぶり、元気だったか~?娘に会ったか?大川小学校は雄勝通って行くと早いから、トンネルのとこさ間違えなければ45分くらいでつくからな。気をつけてな。」お父さんも覚えていてくれた。うれしいな。

◇ 駄菓子屋 まがりかど → 大川小学校
長女、三女は初めての大川小学校。子供を持つ親として話し合った。どうしてあんなにたくさんの子供たちがいのちを落とすことになってしまったのか。あの裏山には登れなかったのか。どうやって避難したら子供たちのいのちを守ることができたのか。他人ごとではない、あの日が終わったわけではない。

この場所で空に逝ったたくさんの小さないのちをつなぐために、悲しみを背負ったまま生きるご家族のためにも、私たちの子供たちだけではなく、生きているすべての子供たちのいのちを失わないための取り組みをはじめようと決意した。

長女より

ここに自分が住んでいたとしたら自分はどんな行動をしただろうか。家族はどうなのだろうか。回りの人々はどうだろう。どうやったら逃げることができただろうか。最悪の事態を自分の力でどれだけ防げるだろうか。被災地訪問中色々な場所を見るたびにそんなことを考えました。

自分の住んでいる地域も震災直後は計画停電もあったり店の品物が少なくなったりしました。東北に住んでいる友人の安否がわからなくて不安になったりもしました。そんなあの当時の緊張感を今までも思い返せますが時間が経つにつれ、平和な毎日に埋れていってしまっている感じがしていました。

今回直接被災地を自分の目で見て現地の方のお話を聞くと言うことで新たに衝撃を受けたり違う視点も生まれました。防災について色んな面から考えて対策を実行して行かなければならないと感じました。

でもまた時が経つにつれ、そんな意識も薄らいでいってしまうかもしれません。

どんな事があったか、人々がそういう場面でどんな行動を取ったのか、そしてその結果どうなったのか、そして現在少しずつ復興していく中色んな想いを抱えて生きているたくさんの人がいる。

震災は過去の事でも災害はいつ自分の身に起きるかわからない。
過去から学ぶことができること、対策できることは何か身近な人達と考える。そういう機会を作っていくことにより記憶を風化させないようにできたらと良いなと思います。

次女より

今回出会った人たちの言葉はとても深くて辛い話もあった。なにかしたい。今は聞くことしかできない。じゃあどうするのか。

生きているのが辛くて、人と話すことができなくって、家から出たくない誰にも会いたくないと思ってしまうこと、自分を責めて悩んでいる、死にたいと思ってしまう、その人の心に心を重ねるアプローチをしたい。

一緒にいよう、一緒に考えよう、わたしはあなたが大切だということ、いつか地球の同じ土に帰るのだから、その先もあるのだから、心と心をかよわせよう。私はそんなおせっかいおばさんのプロになる。そのためにやることを決めた。

・「うまれて来てくれてありがとう」を学ぶ
・日々失われている世界中のいのちを一人でも救うためのアクションをする
・東北に毎年足を運び「いのちの授業」を継続して行う

三姉妹で東北に行けてよかった。失われたいのちの場所、ここはいのちの大切さを教える場所だ。いのちのことをたくさん考える場所。それは「いのちの授業」だと思う。

いのちの授業で学んだことは、こどもたちへ、世界へ、つなげていく。

三女より

東北被災地 宮城を旅して

初日、晴れ渡る青空の早朝、旅は始まりました。地元を離れ三姉妹で旅行に行くこと自体が初めての試みでしたので、子供の様にワクワクした気持ちも不謹慎かもしれませんがありました。

宮城県の何処に立ち寄ったかは、姉のレポートで一目瞭然ですので、私が旅をして何を感じたか、この先どうしていきたいかを短くまとめて綴らせていただきます。

2011年の東北大震災から早3年、震災後なかなか被災地に私は足を運ぶ事が出来ませんでした。何故なら、被災間もないその惨状を目の当たりにする勇気が無かったからです。ですが、今回この旅の企画を姉から聞き、今なら行けると思い、参加するに至りました。

この旅を通じ、私が強く感じたことは天災は私達から全てを奪い、人知の及ばない恐ろしいものだという事。更にその復興も然り、まずは被災された方々、日本政府を筆頭に有識者たちや工事関係者、ボランティアの方々など復興に携わる多種多様な方々の地道な努力が続けられていますが、3年経った今尚、それは被災の爪跡をまじまじと見せつけるものでした。

被災し命を失った方、遺族の方々、被災者の皆様にはとても一言では言いあらわせない思いでいっぱいで、私は立ち寄った様々な場所で手を合わせ、亡くなった方々の鎮魂と、御存命の被災者の方々の気持ちが一日も早く救われる日がくる事を祈るばかりでした。

しかし、そんな私達にもなにか被災者の方々のお役に立てることが出来るはずです。震災の記録、記憶を決して風化させない事、私自身が体験した今回の旅で見た事、感じた事を色々な方々に語る事、本当に微力ながら実行していきたいと思いました。

言葉は言霊と言います。言葉には魂が宿り、相手の心に必ず響いていくものだと私は信じています。

最後に・・・ありがとうございました!

三女マリンより。
今回の被災地訪問のチャンスを与えて下さった姉が勤務する会社代表の方、スタッフの皆様、きっかけを作ってくれた姉に心から感謝致します。有難うございました。乱文失礼致しました、最後までお読みいただきまして、有難うございました。

【費用合計】205,190 円
○ 宿泊
1泊目 26,000円 × 3名 = 78,000円
2泊目 15,500円 × 1室 = 15,500 円

○ 乗車券(駅レンタカー レール&レンタカー割引あり)
往復(3名) 78,780円

○ レンタカー
2泊3 日 32,910円 × 1台 = 32,910円

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  • O

    onagawa986

    とても充実した内容で楽しめたご様子!3姉妹の仲の良さが伝わってしました♪ また季節の違う時にいらしてください! 来るたびに違った良さが、驚きの発見があるはずです! やっぺすさんの活動は市民同士の新たな交流の場となってます! 今は石恋(石巻に恋しちゃった♡)開催中です。次回は2月開催予定なので、その時期に合わせ、石巻の達人からいろんなことを学びながら石巻の魅力を探るのもイイかもしれません!またぜひお出で下さいね♪