あの日、双葉町であったこと「パニックを抑えたもの」

iRyota25

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双葉町に暮らし、福島第一原発で働いていた佐藤大さん。3月11日に起きたことをテーマにした講演会の記録です。

家族へ安否が分からないことが強い不安につながる

で、次は夜の様子について。私はたまたま家族全員に連絡がついたんです。連絡っていうとちょっと違うかな。私んとこはこどもが3人、長女はその当時小学生だったんで、まずは小学校に迎えに行きました。「いるかな?」と心配だったんですが幸いにも下校前で体育館にいた。それで娘を連れて車に乗せて。

2番目と3番目の娘は保育園だったので、保育園に向かったんです。パニックで町中が散乱している中を車走らせていったら、たまたま目の前をうちの嫁さんが車でぶーん。

あら!ってね、ばったりだったんですよ。「いたー」と思って携帯電話して呼び出しているんだけど、嫁さん何も気づかないでずっと手を振ってるんですよ。あ、無事で良かった~って。
だけどこっちは電話してるんだから、電話電話ってジェスチャーしても、「えっ、来てないよ」って、でもこっちは鳴ってるよって、すり合せてみたら、自分の携帯には嫁さんの名前も出てて呼び出し音が鳴っているんだけど、嫁さんの方には全然電話がかかってない。

それで分かった。こーりゃ特殊だなあ、こんなことになってるんだから、誰に電話してもそりゃ出んわって。分かったんで良かったと思うんです。そっから不安が解消されましたから。

(家族の心配や安否確認できないことが不安を煽ってパニックにつながるという話は、前回もお伝えしたとおり。覚えておいてほしいと佐藤さんも強調していたところです)

緊急対応:オフロードバイクで消防団発進

家族全員の無事が確認できたんで、夜になっておれは消防団に行こうと。消防の法被を着て、制服を着て、今度はまあ町の為にいろいろやるかというわけです。

で、出て行ったんですけど。その当時、車がもう大渋滞になってるってことは、私自身通ってきたから分かっている。車は無理だ、バイクの方が正解だ。自分はバイクも乗るんです。当時は3台持っていて、そのうち1台は競技用のバイク、オフロードって山道とかいろんなところを走るバイクだったんです。これの方がいいや。悪路でもなんでもどこでも行ける……。

本当はいけないんでしょうけど、そのバイクなら田んぼでも畑でも道なきところも走って行ける。消防団としては海の方にも行きたいし、山の方にも行かなきゃならない。だけど道は通れない。苦渋の決断です。でもこの際だし、特殊な状況だから赦してもらえるだろう、消防の格好しているから、まあ何とか大目に見てくれるだろうって。でも、皆さんは真似しちゃだめですよ。(笑)

そういうことで、そのオフロード用のバイクを引っ張り出してきて、ライトはね点きますけど何しろ外は真っ暗なんで、赤く光る警備棒を腰のところに差して、ピカピカさせながらバイク乗ってばーって走って行ったんです。

いろいろ見て行った中で、幹線道路、こっちで言うと国道1号線みたいな幹線道路、うちの方だと国道6号線なんですけど、メインの国道はね、地割れとかそんなんでまったく動いてないんですよ。孤立しているところもある。橋と橋に挟まれたところで、両サイドの橋が落ちて、残された車はもうどうにもならないってことで、みんな車を置いて行ってる。どうしようもないですからね。そこのところに行って、車の中に誰もいないかとか確認する。消防団として、そんなことをして回りました。

パニックを防ぐコミュニケーション

交通整理もやりました。本当は警察の仕事なんですから。もちろん停電で信号は動かないし、道はあちこち壊れて車が渋滞して動きが取れなくなっている中、警備棒振って「はい、こっちね」って誘導したりして。

でも私たちは消防団なんで、当然ですが情報は持ってないんです。警察や消防署ではないんですから。でも、道路状況がどういうふうになっているかといろんな人に聞かれるんです。「こっから先どうなってる? 行ける? 行けない?」「わたし、どこそこの町なんだけど、家まで帰れるかなあ」とか。

みんな不安なんです。でも自分たちには何にも情報がない。「ごめんね、でも行った先にももしかしたら消防団がいるかもしれないし、警察がいるかもわからない。いま俺らのところでは、そこまで行けるかどうかは分からないから。ごめんね、誰かいたら聞いてみて」ていうしかなかった。

それでも、そういうふうなコミュニケーションを取ることによって、相手に安心してもらえる。交通整理をしていることで、「あ、やってくれてる人がいるんだ」って、それだけでも安心してもらえる。

だからね、誘導しながら必ず何か話してました。パニックを何とかして抑えようと。トラックの運ちゃんとかともいろんな話をしましたね。

「こっから先、ごめん、トラックはちょっと無理だから、邪魔にならない脇に寄せてくれない?」とかね。

実際、家が傾いたり、電線が下がっていたりとかで、トラックは無理なんです。声かけて、話をしてると運ちゃんも「分かった、じゃあ脇に寄せるからちょっと見ててくんねえか」ってことになる。そうやってトラックを1台動かすことで一般車両がばっと走れるようになる、そういうようなこともありました。

あの時はそんなふうで、みんな優しくて。交通整理してると「コーヒー飲みな」って手渡してくれたりね。

地震の後にコンビニとかに駆け込んだ人もいるんですよ。なくなる前に買い物しようって。で当日は寒くて、雪も降っていたんですが、雪の中で交通整理しているのを見て、せっかく買ってきたコーヒーを差し出してくれたりするんです。

「いやいいよ、せっかく買ったんだから自分で飲んでよ」って言っても、「私はなんとかなるから」って。「頑張ってね」「寒い中ご苦労さん」。お互いに声を掛け合ってを気を遣い合っていました。

(不安な時こそ、ちょっとした言葉でも心の平静を保つことができる。人と人が気を掛け合うことがパニックに陥ることを防いだのです)

非常時にいちばん頼りになったのは地元の力

あと、倒壊している家から家財道具を取り出している人もいました。で、この時も余震は続いているんです。消防団としては「危険だからやめて!」なんですけど、ダメだよって引っ張り出すことはできないんです。そこまでの権限は持ってないんで。

危険が伴うようなことは必ず複数で、2人一組とかでやってって言うことですね。1人で入っちゃうと、入ったことも分からないし、何かあった時に助けることができないですから。誰か一人が外にいて、もしも何かあったら助けを求められるようにすることです。っていうことをお願いして回りました。

で、幸いにも双葉町では倒壊した家から亡くなった人は発見されていないんです。まあ、時間帯も良かったんですね。午後の2時40分過ぎですから。お昼ご飯はとうに終わった。どれ畑仕事にでも行くかなみたいな感じで、おじいちゃんおばあちゃんたちは外に出ていた人が多かったんでしょう。で、3時前だから家に帰る途中だったという人もいたかもしれない。ちょうどいい時間だったんです。ガスも使ってないから火災もなかったし、倒壊した家の中で亡くなった人もいなかった。ホント幸いにも。

巨大地震を経験した者としてぜひお伝えしておきたいのは、警察・消防・行政、この三つは絶対に手が回らないってことです。これは覚えといてください。

ここでいう消防は消防団じゃなくて消防署、行政の消防の方です。これをアテにしてたら、後手後手になってしまいます。何事も先手を打たないと、町の混乱てのはなかなかおさまらない。行政なんて何をしていいのか分からないんです。消防もなかなか動かない。いろんなところから、まあ私のところの場合は第一原発ってのがあるんで、そういうところに先に行っちゃうんですね。

だからやっぱり、地域に根差した団体が重要な役割を担うことになるんじゃないかと思います。

今回の震災で私はこんなふうに学んだところです。いまはNPOとかボランティアとかもいろんな団体があります。ある程度、同じ方向を向いている団体と手を組めば、どんな時でも役割ってものができるんじゃないか。地域っていうと隣三軒両隣っていいますけど、その近所の中で統制をとっていけば、みんな一致団結していろいろやって行けるんじゃないか。

災害の直後に動けるのは、地元の人たちなんだと私自身はそう思います。

(つづく)

書きおこしと編集●井上良太

 あの日、双葉町であったこと
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